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第24話
(13)
しおりを挟む座卓についた和彦は、何度目かのため息を洩らすと、所在なく室内を見回す。
監禁されているわけではないため客間を出てもいいのだが、夜、あんな騒動があったあとで、組員たちとまともに顔を合わせられない。いつも和彦の食事の面倒を見てくれている組員も、そんな和彦の心情を慮ったらしく、朝食をわざわざ客間に運んでくれた。ただ、その朝食は喉を通らなかった。
衝撃的な出来事の余韻は、数時間ほど布団に入ったぐらいで消えるはずもなく、まだ呆然としているような状態だ。クリニックのスタッフや、予約を入れていた患者には申し訳ないが、今日は無理をして出勤したところで、仕事にはならなかっただろう。
賢吾は和彦の状態を見越すだけではなく、隠し事すらを見透かしてしまう。いまさらながら、自分はとてつもなく怖い男の〈オンナ〉なのだと痛感していた。
針が刺さった腰の辺りを、羽織ったカーディガンの上からまさぐる。針は決して深く刺さったわけではないし、もしかすると肌の上を滑っただけなのかもしれないが、和彦の全身を駆け巡った鋭い痛みは本物だ。
周囲の男たちに大事にされているせいで、最近はすっかり痛みに対して無防備になっていたと和彦は思う。皮肉にもその男たちは、必要であればいくらでも、他人に痛みを与えられる非情さを持っている。
それどころか、あえて痛みを自分の身に受け入れる男もいるぐらいだ。痛みの果てに、おぞましくも艶かしい刺青を体に宿すために。
これまで目にした男たちの生々しい刺青が脳裏に蘇り、眩暈にも似た感覚に襲われる。
急に居たたまれない気持ちになり、慌てて立ち上がった和彦はやっと障子を開ける。視界に飛び込んできた中庭は、春らしい柔らかな陽射しに溢れていた。
少しの間、立ったままぼんやりと中庭を眺めていた和彦の耳に、慌ただしい足音が届く。何事かと思って廊下に顔を出してみると、スーツ姿の千尋が血相を変えてこちらに向かってくるところだった。
側まできた千尋に、いきなり強く抱き締められる。
「おい――」
「……よかった、無事だったっ……」
呻くように千尋が洩らした言葉に、和彦は目を丸くする。どうしたのかと問いかけようとして、夜、賢吾が枕元で洩らした言葉を思い出した。
「お前、聞いた、のか?」
「聞いた。総和会の本部に泊まっていて、夜中に連絡が入ったんだ。俺はすぐに本宅に帰ろうとしたけど、組の人間に止められた。今は修羅場中だから、そこに俺まで加わったら収拾がつかなくなるからってさ。それで今朝、こうして戻ってきたわけ」
流血沙汰にはならなかったが、確かに修羅場ではあった。千尋に連絡を入れた組員の判断は正しかったといわざるをえないだろう。賢吾と向き合うだけで、限界まで神経をすり減らした和彦には、千尋の強い眼差しまで受け止める余裕はなかった。
「……心配で、一睡もできなかった」
そう言って千尋が吐息を洩らし、和彦の罪悪感が疼く。千尋の顔を一目見れば、どれだけ心配してくれていたのか十分察することはできた。和彦は、千尋の背を優しく撫でながら応じる。
「すまない……。心配をかけた」
ここで千尋が間近まで顔を寄せてきて、射竦めてくるようなきつい眼差しで和彦を見据えてきた。
「――それで先生、浮気したの?」
あまりに単刀直入な物言いに絶句した和彦だが、すぐに否定する。
「してないっ」
「でも、誤解させるような行動は取った?」
和彦を〈オンナ〉として扱う男らしく、千尋の口調には、賢吾ほどではないにしても厳しさがあった。こうして本宅に戻ってきたのも、和彦を心配するだけではなく、真実を知る権利を行使するためでもあったのだろう。
千尋を甘く見てはいけない。和彦は、心の中で自分に言い聞かせながら、小さく頷く。
「ぼくは――」
和彦が話し始めようとしたとき、突然千尋が片手を上げて制した。
「待った。先に着替えてくる」
「……ああ。今日はクリニックを休んだから、時間はたっぷりある」
自嘲気味に和彦が答えると、千尋は人懐こい笑みを浮かべ、額と額を合わせてきた。
「しょんぼりしてる先生、可愛い」
「うるさい。さっさと着替えてこい」
強気を装って和彦が肩を押し返すと、千尋は小さく笑い声を洩らしながら、部屋にやってきたときとは対照的に、やけに軽い足取りで出て行った。
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