血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
526 / 1,268
第24話

(8)

しおりを挟む



 深夜だというのに、本宅の空気はピンと張り詰めていた。
 玄関に一歩足を踏み入れただけで和彦はそれを感じ取り、体が強張って動けなくなる。そんな和彦を追い立てるように、組員が声をかけてくる。
「先生、組長がお待ちです」
 立ち竦んでいたところで、みっともなく引きずられていくだけだろう。微かに震えを帯びた息を吐き出してから、和彦は靴を脱いだ。
 賢吾の部屋の前まで行くと、何も言わず組員は立ち去り、廊下には和彦だけが取り残される。なんと声をかけようかと逡巡していると、中から声がした。
「――入ってこい」
 ビクリと身を震わせてから、まるで操られるように障子を開ける。一瞬意外に感じたが、賢吾はまだ浴衣に着替えてはいなかった。もしかすると、すでに寝る準備を整えていたものの、和彦の行動を知って再び着替えたのかもしれない。
 とにかく賢吾は、一見平素と変わらない様子で座卓についていた。ぎこちなく障子を閉めた和彦は、賢吾の正面に座る。賢吾は、すぐには口を開かなかった。
 息も詰まるような緊張感に押し潰されそうになりながら、和彦は視線を伏せて耐える。激しい動揺に、膝の上に置いた手は小刻みに震え、心臓の鼓動は壊れそうなほど速くなっている。
 ただ、深夜に部屋を抜け出して、外から電話をかけていただけなのだ。
 状況を端的に説明するなら、それだけだ。しかし、賢吾にとって重要なのは、和彦がそんな行動を取った理由だろう。だから本宅に連れて来られたのだ。
〈オンナ〉の裏切りを疑って――。
 頭に浮かんだ言葉に、ゾッと寒気がする。目の前にいる男が、どれほど危険な執着心を持っているか、和彦は知っている。
 警戒心が強く慎重でありながら、獲物を絞め殺し、丸呑みできるほど凶暴で冷酷な大蛇を背負った男だ。殺されるかもしれない、と本気で和彦は思った。
 いよいよ恐怖と緊張で呼吸困難になりかけたとき、唐突に賢吾が沈黙を破った。
「俺は、自分が執念深い性格だということも、厄介な独占欲を持っていることも自覚している。だからこそ、大事で可愛いオンナを窒息死させないために、寛大であるよう心がけている。お前の淫奔ぶりは、責めるべきものじゃなく、愛でるべきものだと思っているからな。クセのある男たちに大事にされてこそ、オンナっぷりを上げて、ますます俺は骨抜きになる」
 どんな表情で賢吾はこんなことを言っているのか、和彦は顔を上げて確認することはできなかった。魅力的なバリトンが、今は太い鞭のように和彦の体に振り下ろされ、一言一言に打ち据えられる。
「――お前は、秘密を抱えると艶を増す。そんなお前を眺めるのは好きだが、それ以上に、その秘密を暴いてやりたくて仕方なくなる。俺が寛大さを示せるのは、俺が作った人間関係の中だけの話だ。俺の知らない誰かと……と考えると、嫉妬で歯噛みして、気が狂いそうになる」
 言葉の激しさとは裏腹に、賢吾の口調はあくまで淡々としている。だからこそ、賢吾が内に抱える凶暴さ、狂気ともいえるものに気圧される。手を上げられたわけでもないのに、すでに和彦は気を失いそうになっていた。いやむしろ、そうなりたいと思っていた。
「夜中に部屋を抜け出して、散歩がてら、近くのコンビニに行くことをどうこう言うつもりはない。だがな、それが誰かに秘密の電話をかけるためだとしたら、知らん顔はできねーんだ。臆病な男としては、大事なオンナが逃げ出すための算段を、誰かとしているんじゃないかと、あれこれ考えちまう」
「逃げ出すなんて――」
 反射的に顔を上げた和彦は、こちらを見据える賢吾の冷徹な眼差しに射竦められ、一瞬息が止まった。まさに、大蛇が潜む目だった。身を潜め、じっと獲物の動きを追いかけ、食らいつく瞬間を抜け目なく探っている。
 和彦は、観念していた。この男に対して、ウソをつくことも、言い訳もできない――許されないと。
「……一つ、教えてくれないか」
 震える声で問いかけると、賢吾の口元に薄い笑みが浮かぶ。
「なんだ」
「ぼくが、コンビニまで出かけて電話をかけていると、最初から知っていたのか?」
「後ろ暗いことがあると、必要以上に行動が慎重になるものだ。特に、物騒な世界に身を置いて、物騒な連中に囲まれているとな。……電話一つかけるにしても、クリニックのスタッフにでも携帯を借りればいいし、三田村と一緒に過ごしているときは、お前に甘いあいつの目を盗むぐらいできるはずだ。なのに、それもしない。自分の周囲にいる人間に迷惑をかけたくないからだ。男関係が奔放な分、人間関係には気をつかう性質だからな、お前は」
 和彦は改めて、自分がどんな男たちと同じ世界で生きているのかと痛感する。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...