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第24話
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長嶺組の男たちは、怖くて物騒なくせに、和彦に優しい。その優しさが、裏の世界から逃がさないための打算含みのものだとしても、やはり心地いいし、嬉しいのだ。
「……あまりぼくを甘やかすと、とんでもないわがままを言い出すぞ」
「この間も言ったが、先生のわがままはささやかだ。先生が本気を出したら、俺が困るぐらいのわがままを言ってくれるのかな」
三田村の困り顔を見てみたい気もするが、それを見た自分が、ひどい罪悪感に苛まれるのは容易に想像できる。和彦はぼそぼそと応じた。
「あんたに嫌われたら、ぼくが困る」
土曜日の昼間から、酔っ払ったような会話をしているなと、和彦は急に気恥ずかしさに襲われる。一方の三田村は巧みに表情を隠してしまい、何を考えているのか読めない。
不自然に会話が途切れたまま公園内を歩いていると、ちょうど空いたベンチを見つける。広場でシートを広げて大人数で花見を楽しんでいる人は多いが、二人連れでベンチに腰掛け、のんびりと昼食をとっている人の姿も意外にある。おかげで、妙にちぐはぐな組み合わせともいえる和彦と三田村も、さほど肩身の狭い思いをしなくて済む。
ペットボトルのお茶と弁当を手渡され、さっそく昼食の時間となった。
ご飯を口に運びつつ、和彦は頭上の桜を見上げる。揺れる枝の間から青空が覗き、桜色の花びらとの対比にため息が洩れそうになる。
「――去年は、こんなに桜を見られなかった」
「いろいろあって、そんな余裕はなかっただろうからな、先生は」
「今も必死だ。ただ、折り合いをつける方法を覚えたんだろうな……」
ヤクザに守られながら、表向きは健全なクリニックを経営し、裏では不法な治療に手を貸す。そして、賢吾の許可の下、複数の男たちと関係を持っているのだ。そうやって和彦は毎日、道徳心や良心といったものに折り合いをつけて、バランスを取りながら生活をしている。
「一年前は、自分がこんな状況になっているなんて、考えもしなかった」
「……一年前の今頃、先生は確か――」
「組長に振り回されて、怯えていたな」
弁当を食べながら話すことではないなと思ったが、和彦と賢吾のやり取りを、間近で誰よりも見てきた三田村はあくまで淡々としている。三田村なりに、胸の内でさまざまなものを呑み込み、収まるべき場所に感情が収まっているのかもしれない。和彦にとっても、こんなことが言えるぐらい、三田村は特別な男なのだ。
「ぼくは、自分が思っていたより遥かに図太い神経をしていたみたいだ。大変だと思いながら、今の生活に馴染んで、居心地がいいと感じているんだから」
「よかった、と俺が答えるのは、先生にとって酷か?」
じっとこちらを見つめてくる三田村の眼差しは、鋭い。和彦が現状にどんな感情を抱いているか、見逃すまいとするかのように。この眼差しは、三田村の一途さと真摯さの表れだ。
和彦はそっと笑みをこぼすと、口調で応じた。
「優しいくせに、残酷な男だな、あんたは」
「――ヤクザだからな」
「そして、ぼくの〈オトコ〉だ」
囁くように付け加えると、ヤクザだと言い切った三田村の唇が緩んだ。
公園でのささやかな花見のあと、スーパーで明日までの食料を買い込んでから、三田村の運転する車で帰宅する。もちろん帰宅する先は、自宅マンションではなく、和彦と三田村が二人きりで過ごすための部屋だ。
久しぶりに部屋に入った和彦は、なんだか懐かしい気持ちになりながら、さほど広くない室内を見回す。一見武骨そうな若頭補佐は、誰よりも気遣いができる。その証拠に、和彦がこの部屋を訪れるたびに、こまごまとした生活用品や雑貨が増えている。
これまでなかった姿見が壁際に置かれているのを見て、和彦はつい笑ってしまう。洗面所の壁にかかった鏡が小さくて少々不便だと感じていたのは、どうやら自分だけではなかったようだ。次にこの部屋に来たときには、どんな物が増えているだろうかと思いながら、キッチンのほうを見る。三田村は、スーパーで買ってきたものを冷蔵庫に仕舞っている最中だった。
和彦はベッドに腰掛けると、パーカーを脱ぐ。陽気のよさもあって、外を歩いているうちにすっかり汗をかいてしまった。喉の渇きを自覚したとき、絶妙のタイミングで三田村が声をかけてきた。
「先生、何か飲むか?」
本当に気遣いが行き届いているなと、内心で苦笑を洩らして和彦は頷く。三田村は、買ってきたばかりのオレンジジュースをグラスに注いで持ってきてくれた。
ベッドに腰掛けたままグラスに口をつけながら、目の前に立つ三田村を上目遣いで見上げる。とっくに寛いでいる和彦とは対照的に、三田村はまだジャケットすら脱いでいない。
「……あまりぼくを甘やかすと、とんでもないわがままを言い出すぞ」
「この間も言ったが、先生のわがままはささやかだ。先生が本気を出したら、俺が困るぐらいのわがままを言ってくれるのかな」
三田村の困り顔を見てみたい気もするが、それを見た自分が、ひどい罪悪感に苛まれるのは容易に想像できる。和彦はぼそぼそと応じた。
「あんたに嫌われたら、ぼくが困る」
土曜日の昼間から、酔っ払ったような会話をしているなと、和彦は急に気恥ずかしさに襲われる。一方の三田村は巧みに表情を隠してしまい、何を考えているのか読めない。
不自然に会話が途切れたまま公園内を歩いていると、ちょうど空いたベンチを見つける。広場でシートを広げて大人数で花見を楽しんでいる人は多いが、二人連れでベンチに腰掛け、のんびりと昼食をとっている人の姿も意外にある。おかげで、妙にちぐはぐな組み合わせともいえる和彦と三田村も、さほど肩身の狭い思いをしなくて済む。
ペットボトルのお茶と弁当を手渡され、さっそく昼食の時間となった。
ご飯を口に運びつつ、和彦は頭上の桜を見上げる。揺れる枝の間から青空が覗き、桜色の花びらとの対比にため息が洩れそうになる。
「――去年は、こんなに桜を見られなかった」
「いろいろあって、そんな余裕はなかっただろうからな、先生は」
「今も必死だ。ただ、折り合いをつける方法を覚えたんだろうな……」
ヤクザに守られながら、表向きは健全なクリニックを経営し、裏では不法な治療に手を貸す。そして、賢吾の許可の下、複数の男たちと関係を持っているのだ。そうやって和彦は毎日、道徳心や良心といったものに折り合いをつけて、バランスを取りながら生活をしている。
「一年前は、自分がこんな状況になっているなんて、考えもしなかった」
「……一年前の今頃、先生は確か――」
「組長に振り回されて、怯えていたな」
弁当を食べながら話すことではないなと思ったが、和彦と賢吾のやり取りを、間近で誰よりも見てきた三田村はあくまで淡々としている。三田村なりに、胸の内でさまざまなものを呑み込み、収まるべき場所に感情が収まっているのかもしれない。和彦にとっても、こんなことが言えるぐらい、三田村は特別な男なのだ。
「ぼくは、自分が思っていたより遥かに図太い神経をしていたみたいだ。大変だと思いながら、今の生活に馴染んで、居心地がいいと感じているんだから」
「よかった、と俺が答えるのは、先生にとって酷か?」
じっとこちらを見つめてくる三田村の眼差しは、鋭い。和彦が現状にどんな感情を抱いているか、見逃すまいとするかのように。この眼差しは、三田村の一途さと真摯さの表れだ。
和彦はそっと笑みをこぼすと、口調で応じた。
「優しいくせに、残酷な男だな、あんたは」
「――ヤクザだからな」
「そして、ぼくの〈オトコ〉だ」
囁くように付け加えると、ヤクザだと言い切った三田村の唇が緩んだ。
公園でのささやかな花見のあと、スーパーで明日までの食料を買い込んでから、三田村の運転する車で帰宅する。もちろん帰宅する先は、自宅マンションではなく、和彦と三田村が二人きりで過ごすための部屋だ。
久しぶりに部屋に入った和彦は、なんだか懐かしい気持ちになりながら、さほど広くない室内を見回す。一見武骨そうな若頭補佐は、誰よりも気遣いができる。その証拠に、和彦がこの部屋を訪れるたびに、こまごまとした生活用品や雑貨が増えている。
これまでなかった姿見が壁際に置かれているのを見て、和彦はつい笑ってしまう。洗面所の壁にかかった鏡が小さくて少々不便だと感じていたのは、どうやら自分だけではなかったようだ。次にこの部屋に来たときには、どんな物が増えているだろうかと思いながら、キッチンのほうを見る。三田村は、スーパーで買ってきたものを冷蔵庫に仕舞っている最中だった。
和彦はベッドに腰掛けると、パーカーを脱ぐ。陽気のよさもあって、外を歩いているうちにすっかり汗をかいてしまった。喉の渇きを自覚したとき、絶妙のタイミングで三田村が声をかけてきた。
「先生、何か飲むか?」
本当に気遣いが行き届いているなと、内心で苦笑を洩らして和彦は頷く。三田村は、買ってきたばかりのオレンジジュースをグラスに注いで持ってきてくれた。
ベッドに腰掛けたままグラスに口をつけながら、目の前に立つ三田村を上目遣いで見上げる。とっくに寛いでいる和彦とは対照的に、三田村はまだジャケットすら脱いでいない。
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