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第23話
(26)
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守光とともにダイニングに行くと、入れ違いに一人の男が玄関へと向かう。守光の生活全般の世話をしているそうで、今日、和彦の着替えを用意したり、布団を敷いてくれたのも彼だった。ただし、まだ直接言葉を交わしていない。砕けた空気で接してくれる長嶺組の男たちとは対照的だ。
ダイニングテーブルの上にはすでに二人分のお茶が用意されており、守光に促されて和彦はイスに腰掛ける。
向き合い、熱いお茶を啜ってから、和彦はほっと息を吐き出す。
同じ建物の中で、今も何人もの男たちが働いているのだろうが、少なくともこの空間は静かだった。気を抜くと、ここがどんな場所なのか忘れてしまいそうになる。
「今日はご苦労だった。大勢の人間に会って、気疲れしただろう」
守光からかけられた言葉に、素直に和彦は頷く。
「まだ、信じられません。自分が、大きな組織の行事ごとに出席していたなんて」
「あんたは本当に、肝が据わっている。気負うわけでもなく、澄ました顔で場に馴染んでいた」
「……緊張しすぎて、顔の筋肉が動かなかっただけです。とにかく迷惑をかけてはいけないと、それだけで頭がいっぱいでした」
ふふ、と守光が低く笑い声を洩らす。
「心配せんでも、あんたは――化ける。下手な極道など太刀打ちできんような、したたかさとふてぶてしさと妖しさで、厄介な男たちを手懐けていけばいい。そしてできれば、長嶺の男たちを可愛がって、支えてやってほしい」
和彦は目を丸くして、守光の顔を凝視する。今日は守光から、たくさんのことを聞かされた。まるでこの先、和彦がどんな日々を送り、男たちから何を求められるのか知っているような口ぶりで。
自分の目の前に、どこに続いているのかわからない道が伸びている光景を想像し、和彦は急に不安に襲われる。つい、ささやかな抵抗を示すようにこう言っていた。
「先のことは……、わかりません。そうありたいとぼくが願っても、賢吾さんや千尋が、同じことを願うとは限りませんし」
「ふむ。むしろわしは、それはあまり心配していない。あんたが逃げ出そうとしても、賢吾も千尋も許さんだろう。縛り上げて、監禁してでも、あんたを側に置こうとするはずだ」
大げさな表現だと思い、口元を緩めようとした和彦だが、すぐに表情を強張らせることになる。守光がこう続けたからだ。
「――もちろん、わしも」
この瞬間から、空気は変わる。素早くそれを感じ取った和彦は、努めて冷静を装いながらお茶を飲む。一刻も早く客間に戻ろうと思ったのだが、先に行動を起こしたのは守光だった。
静かに立ち上がり、ゆっくりとした足取りで和彦の傍らに立つと、肩に手が置かれる。
「少し腰を揉んでほしいんだが、頼めるかな」
数瞬、息を詰めた和彦は、浅く頷く。まるで操られているようにぎこちない動作で立ち上がった。
初めて足を踏み入れた守光の部屋は、ごく普通の和室だった。高価な調度品を飾っているわけでもなく、唯一目についたのは、床の間に掛けられた掛け軸だ。画かれているのは、満開の花をつけた桜の木だ。
その桜は、華やかさではなく、陰りを帯びている。室内をぼんやりと照らし出すスタンド照明のせいかもしれない。シェードに使われた和紙を通して、人工的な明かりは独特の風合いを帯び、濃密な空気を作り出す小道具となる。
すでに敷いてある布団の上に、丹前を脱いだ守光がうつ伏せで横になる。和彦は傍らに膝をつくと、おずおずと両手を伸ばした。
「……すみません。腰を揉んだことがないので、多分、下手だと思います」
「かまわんよ。要領なんてすぐ覚える」
最初は遠慮がちに手に動かしていたが、痩身でありながらしっかりと硬い感触が伝わってくる守光の体は、多少の力を加えても跳ね返してくる。和彦は、体重をかけるようにして守光の腰を揉んでいく。
「昔は、千尋が揉んでくれていた。人の腰の上で飛び跳ねて、とにかく元気な子供だった」
「今の姿を見ていても、想像できます。……賢吾さんは、どうだったのですか?」
「やはり、気になるかね」
そう返した守光の声は、笑いを含んでいる。他意のない問いかけをしたつもりだったが、意識しないまま和彦の顔は熱くなってくる。守光がうつ伏せの姿勢で助かったと思った。
「あの人の子供の頃というのが、まったく想像できなくて……」
「あれも、悪ガキだった。千尋とは違って人懐こい性質ではなかったが、それでも不思議と、年寄り連中には受けがよかった。それと――女に」
ここで守光に、腰だけでなく背も揉むように言われる。和彦はわずかに動揺し、手を止めて守光の背を見下ろす。浴衣の下には、あの九尾の狐の刺青が息づいているのかと思うと、背に触れることをためらってしまう。
「どうかしたかね?」
ダイニングテーブルの上にはすでに二人分のお茶が用意されており、守光に促されて和彦はイスに腰掛ける。
向き合い、熱いお茶を啜ってから、和彦はほっと息を吐き出す。
同じ建物の中で、今も何人もの男たちが働いているのだろうが、少なくともこの空間は静かだった。気を抜くと、ここがどんな場所なのか忘れてしまいそうになる。
「今日はご苦労だった。大勢の人間に会って、気疲れしただろう」
守光からかけられた言葉に、素直に和彦は頷く。
「まだ、信じられません。自分が、大きな組織の行事ごとに出席していたなんて」
「あんたは本当に、肝が据わっている。気負うわけでもなく、澄ました顔で場に馴染んでいた」
「……緊張しすぎて、顔の筋肉が動かなかっただけです。とにかく迷惑をかけてはいけないと、それだけで頭がいっぱいでした」
ふふ、と守光が低く笑い声を洩らす。
「心配せんでも、あんたは――化ける。下手な極道など太刀打ちできんような、したたかさとふてぶてしさと妖しさで、厄介な男たちを手懐けていけばいい。そしてできれば、長嶺の男たちを可愛がって、支えてやってほしい」
和彦は目を丸くして、守光の顔を凝視する。今日は守光から、たくさんのことを聞かされた。まるでこの先、和彦がどんな日々を送り、男たちから何を求められるのか知っているような口ぶりで。
自分の目の前に、どこに続いているのかわからない道が伸びている光景を想像し、和彦は急に不安に襲われる。つい、ささやかな抵抗を示すようにこう言っていた。
「先のことは……、わかりません。そうありたいとぼくが願っても、賢吾さんや千尋が、同じことを願うとは限りませんし」
「ふむ。むしろわしは、それはあまり心配していない。あんたが逃げ出そうとしても、賢吾も千尋も許さんだろう。縛り上げて、監禁してでも、あんたを側に置こうとするはずだ」
大げさな表現だと思い、口元を緩めようとした和彦だが、すぐに表情を強張らせることになる。守光がこう続けたからだ。
「――もちろん、わしも」
この瞬間から、空気は変わる。素早くそれを感じ取った和彦は、努めて冷静を装いながらお茶を飲む。一刻も早く客間に戻ろうと思ったのだが、先に行動を起こしたのは守光だった。
静かに立ち上がり、ゆっくりとした足取りで和彦の傍らに立つと、肩に手が置かれる。
「少し腰を揉んでほしいんだが、頼めるかな」
数瞬、息を詰めた和彦は、浅く頷く。まるで操られているようにぎこちない動作で立ち上がった。
初めて足を踏み入れた守光の部屋は、ごく普通の和室だった。高価な調度品を飾っているわけでもなく、唯一目についたのは、床の間に掛けられた掛け軸だ。画かれているのは、満開の花をつけた桜の木だ。
その桜は、華やかさではなく、陰りを帯びている。室内をぼんやりと照らし出すスタンド照明のせいかもしれない。シェードに使われた和紙を通して、人工的な明かりは独特の風合いを帯び、濃密な空気を作り出す小道具となる。
すでに敷いてある布団の上に、丹前を脱いだ守光がうつ伏せで横になる。和彦は傍らに膝をつくと、おずおずと両手を伸ばした。
「……すみません。腰を揉んだことがないので、多分、下手だと思います」
「かまわんよ。要領なんてすぐ覚える」
最初は遠慮がちに手に動かしていたが、痩身でありながらしっかりと硬い感触が伝わってくる守光の体は、多少の力を加えても跳ね返してくる。和彦は、体重をかけるようにして守光の腰を揉んでいく。
「昔は、千尋が揉んでくれていた。人の腰の上で飛び跳ねて、とにかく元気な子供だった」
「今の姿を見ていても、想像できます。……賢吾さんは、どうだったのですか?」
「やはり、気になるかね」
そう返した守光の声は、笑いを含んでいる。他意のない問いかけをしたつもりだったが、意識しないまま和彦の顔は熱くなってくる。守光がうつ伏せの姿勢で助かったと思った。
「あの人の子供の頃というのが、まったく想像できなくて……」
「あれも、悪ガキだった。千尋とは違って人懐こい性質ではなかったが、それでも不思議と、年寄り連中には受けがよかった。それと――女に」
ここで守光に、腰だけでなく背も揉むように言われる。和彦はわずかに動揺し、手を止めて守光の背を見下ろす。浴衣の下には、あの九尾の狐の刺青が息づいているのかと思うと、背に触れることをためらってしまう。
「どうかしたかね?」
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