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第23話
(25)
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和彦と賢吾の妖しい雰囲気を感じ取ったはずだろうが、かまわず南郷は、砂利を踏む派手な足音を立てて側までやってくる。
「ご挨拶が遅くなりました、長嶺組長」
南郷は大きな体を折り曲げるようにして、深々と頭を下げる。賢吾は、ゾッとするほど冷ややかな眼差しを南郷に向けていた。
和彦は、静かで穏やかだった場の空気が一瞬にして張り詰めたことを、肌で感じ取る。敵意や悪意といったあらかさまなものではないが、抜き差しならぬ何かが二人の男の間を行き来していた。
「新年の挨拶のとき以来か、南郷。オヤジによく尽くしてくれているようで、息子として礼を言う。――花見の席で、オヤジがお前を連れ歩いている姿を見ていると、まるでお前のほうが、本当の息子のようだった」
傍で聞いているほうがヒヤリとするようなことを賢吾が言う。南郷がようやく頭を上げ、賢吾に負けず劣らず鋭い眼差しを向けてくる。陽射しの下で動き回っていたのか、浅黒い肌は汗で濡れていた。
「野良犬同然だったわたしを、長嶺会長には過分なほど引き立てていただいています。ご恩に報いるために――」
「堅苦しいことはいい。総和会の中では、お前はオヤジの息子だ。そういう役割を与えられている。お前自身、身に覚えはあるだろ?」
「……わたしの口からはなんとも」
賢吾は挑発的に、南郷は不気味なほど控えめに。二人のやり取りを息を詰めて見守っていた和彦は、無意識のうちに賢吾の腕に手をかける。それでなくても、賢吾の表現を借りるなら、守光の毒気にあてられたような状態の和彦には、今の緊張感が耐えられなかった。
南郷の目があるというのに、賢吾が再び頬を撫でてくる。
「大丈夫か、先生?」
「二人で話したいなら、邪魔をしたくないからぼくは場所を移動する」
和彦の言葉に、一瞬の間を置いて賢吾は薄い笑みを浮かべた。そして、南郷を見る。
「南郷、俺じゃなく、先生に用があって来たんじゃないのか?」
「はい。会長が、先生をお呼びです」
「ふん。だったら、俺が先生を独占しているわけにはいかねーな」
そう言って賢吾の手が背にかかり、促されるように和彦は立ち上がる。南郷の元に向かいながら、後ろ髪をひかれるように振り返ると、賢吾はじっと南郷を見つめていた。
まさに、草むらに身をひそめ、獲物の動きを追う大蛇のような冷酷な目で。
風呂から上がって浴衣に着替えた和彦は、敷かれた布団の上に座り込み、疲れた、と一言洩らす。それだけで体中の力が抜けてしまい、このまま寝転がりたい誘惑に駆られる。
だが、〈彼〉の視線が気になる――。
和彦が目を向けた先には、床の間に掛けられた掛け軸がある。画かれているのは、凛々しくも艶かしい鎧姿の若武者だ。ようやく桜が咲き始めた季節には、この掛け軸は少々時季が早いかもしれないが、もしかすると和彦の宿泊に合わせて飾ったのかもしれない。
花見会を無事に終えてから、一息つく間もなく和彦は、総和会の人間たちとともに外で夕食をとった。その後、帰りの車の中で守光から言われたのだ。自宅に泊まるように、と。守光は最初から、花見会の後も和彦を解放する気はなかったのだろう。
和彦にしても、今日一日、自分の体は総和会に貸したも同然で、求められればどんな役割でも果たすつもりではいた。その役割の中には当然、総和会会長の〈オンナ〉というものも含まれている。
せっかくの日曜日は花見会で潰れてしまい、明日は平常通りクリニックがある。てっとり早く疲労を取るにはすぐにでも、課された役割から解放され、何も考えずに眠ってしまうに限るのだろうが、まだ無理そうだった。
総和会という組織の巨大さを見せつけられた行事の余韻に、心と体がまだ興奮している。そのため、疲れているのに少しも眠気がやってこない。
なんだか落ち着かない気分になり、立ち上がった和彦は障子に歩み寄る。その向こうにある窓は、外部からの侵入者だけではなく発砲沙汰を恐れて、特殊ガラスのうえ、嵌め殺しとなっている。気軽に外の風にあたることは叶わない。
障子をわずかに開け、夜の住宅街の様子を隙間から眺める。少しの間そうしていると、客間の外から声をかけられた。
「――起きているなら、お茶につき合わないかね」
ピクリと肩を揺らした和彦は、逡巡はしたものの無視できるはずもなく、引き戸を開ける。浴衣の上から丹前を羽織った守光が立っていた。和彦が客間に入る前に、片付けておきたい用事があるということで誰かと電話で話していたが、ようやく落ち着いたらしい。
「ご挨拶が遅くなりました、長嶺組長」
南郷は大きな体を折り曲げるようにして、深々と頭を下げる。賢吾は、ゾッとするほど冷ややかな眼差しを南郷に向けていた。
和彦は、静かで穏やかだった場の空気が一瞬にして張り詰めたことを、肌で感じ取る。敵意や悪意といったあらかさまなものではないが、抜き差しならぬ何かが二人の男の間を行き来していた。
「新年の挨拶のとき以来か、南郷。オヤジによく尽くしてくれているようで、息子として礼を言う。――花見の席で、オヤジがお前を連れ歩いている姿を見ていると、まるでお前のほうが、本当の息子のようだった」
傍で聞いているほうがヒヤリとするようなことを賢吾が言う。南郷がようやく頭を上げ、賢吾に負けず劣らず鋭い眼差しを向けてくる。陽射しの下で動き回っていたのか、浅黒い肌は汗で濡れていた。
「野良犬同然だったわたしを、長嶺会長には過分なほど引き立てていただいています。ご恩に報いるために――」
「堅苦しいことはいい。総和会の中では、お前はオヤジの息子だ。そういう役割を与えられている。お前自身、身に覚えはあるだろ?」
「……わたしの口からはなんとも」
賢吾は挑発的に、南郷は不気味なほど控えめに。二人のやり取りを息を詰めて見守っていた和彦は、無意識のうちに賢吾の腕に手をかける。それでなくても、賢吾の表現を借りるなら、守光の毒気にあてられたような状態の和彦には、今の緊張感が耐えられなかった。
南郷の目があるというのに、賢吾が再び頬を撫でてくる。
「大丈夫か、先生?」
「二人で話したいなら、邪魔をしたくないからぼくは場所を移動する」
和彦の言葉に、一瞬の間を置いて賢吾は薄い笑みを浮かべた。そして、南郷を見る。
「南郷、俺じゃなく、先生に用があって来たんじゃないのか?」
「はい。会長が、先生をお呼びです」
「ふん。だったら、俺が先生を独占しているわけにはいかねーな」
そう言って賢吾の手が背にかかり、促されるように和彦は立ち上がる。南郷の元に向かいながら、後ろ髪をひかれるように振り返ると、賢吾はじっと南郷を見つめていた。
まさに、草むらに身をひそめ、獲物の動きを追う大蛇のような冷酷な目で。
風呂から上がって浴衣に着替えた和彦は、敷かれた布団の上に座り込み、疲れた、と一言洩らす。それだけで体中の力が抜けてしまい、このまま寝転がりたい誘惑に駆られる。
だが、〈彼〉の視線が気になる――。
和彦が目を向けた先には、床の間に掛けられた掛け軸がある。画かれているのは、凛々しくも艶かしい鎧姿の若武者だ。ようやく桜が咲き始めた季節には、この掛け軸は少々時季が早いかもしれないが、もしかすると和彦の宿泊に合わせて飾ったのかもしれない。
花見会を無事に終えてから、一息つく間もなく和彦は、総和会の人間たちとともに外で夕食をとった。その後、帰りの車の中で守光から言われたのだ。自宅に泊まるように、と。守光は最初から、花見会の後も和彦を解放する気はなかったのだろう。
和彦にしても、今日一日、自分の体は総和会に貸したも同然で、求められればどんな役割でも果たすつもりではいた。その役割の中には当然、総和会会長の〈オンナ〉というものも含まれている。
せっかくの日曜日は花見会で潰れてしまい、明日は平常通りクリニックがある。てっとり早く疲労を取るにはすぐにでも、課された役割から解放され、何も考えずに眠ってしまうに限るのだろうが、まだ無理そうだった。
総和会という組織の巨大さを見せつけられた行事の余韻に、心と体がまだ興奮している。そのため、疲れているのに少しも眠気がやってこない。
なんだか落ち着かない気分になり、立ち上がった和彦は障子に歩み寄る。その向こうにある窓は、外部からの侵入者だけではなく発砲沙汰を恐れて、特殊ガラスのうえ、嵌め殺しとなっている。気軽に外の風にあたることは叶わない。
障子をわずかに開け、夜の住宅街の様子を隙間から眺める。少しの間そうしていると、客間の外から声をかけられた。
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