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第23話
(24)
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しかし今日は、花見会に出席してほんの数時間ほどしか経っていないというのに、一気に情報に触れすぎたようだ。それに人にも酔った。少し頭がぼうっとしている。
縁台に腰掛けた和彦は池を眺めながら、ペットボトルに口をつける。午後に入ってから気温が上がってきて、雲一つない晴天ということもあり汗が滲む。冷たい水が喉を通る感触が心地よく思えるほどだ。
守光に許可を得て、一人で庭を散策できる時間ができて助かった。人前で無様な姿を晒しては、和彦一人が恥をかくならともかく、守光の顔に泥を塗るところだった。
短く息を吐くと、頭上を仰ぎ見る。釣殿を意識したものらしい池の辺にあるこの建物は、風通しがいいよう周囲を吹き放ちにしており、屋根は四本の柱で支えられている。おかげで陽射しは遮られ、休憩をするにはうってつけの場所だ。
何よりありがたいのは、人が来ないということだ。
すっかり気を抜いた和彦が手すりに腕をかけようとしたとき、砂利を踏む音が耳に届く。反射的に振り返ると、賢吾が立っていた。
「どうして――」
思わず和彦が洩らすと、陽射しを避けるように賢吾も屋根の下に入ってくる。周囲をぐるりと見回してから、当然のように和彦の隣に腰掛けた。
「こんなところに一人でいると、怖い男にかどわかされるぞ、先生」
「あんたみたいな男が、他にいるわけないだろっ……」
ムキになって言い返すと、賢吾がニヤリと笑う。その顔を見て、胸の奥がじわりと熱くなる。素直には認めたくないが、賢吾の声を聞いて安心したのだ。ずっと守光の側にいたため、今日賢吾と会話を交わしたのは、これが初めてだった。
「少しの間、様子を見ていたが、オヤジの毒気にあてられたような顔をしていたな」
「……悪趣味だな」
「何を吹き込まれたのかと、考えていたんだ」
実は賢吾は、自分と守光の会話をどこかで聞いていたのではないかと、ありえないことを一瞬本気で和彦は考えてしまう。
警戒心を露わにした和彦の反応に満足したように、賢吾は目を細める。
「オヤジはやけに、先生に執心だ。息子と孫が骨抜きになっている色男を、物珍しがっているだけなのかと、最初は思っていたんだがな……。あれは確かに、執心だ。オヤジが、先生の父親と面識があったと聞いてから、妙に引っかかるものがあるんだ」
「引っかかるって……?」
「縁、というやつだな。千尋と先生が出会う遥かに昔に、オヤジが佐伯家と結んでいた。これを因縁というのかもしれない。偶然の一言で片付けるのは簡単だが、どういうわけだか長嶺の男は、先生と相性がいい。オヤジが執心するのも無理はない。なんとしても先生を――特別な縁を、繋ぎとめておこうとするだろう」
賢吾の艶のあるバリトンは、いつになく凄みを帯びていた。首筋を冷たいもので撫でられたようで、和彦は大きく身震いする。それに気づいた賢吾の手が肩にかかった。
「冷えたか、先生」
「……違う。あんたの放つ毒気にあてられそうになったんだ」
「俺が毒気? だったら大蛇の毒だな。ちなみに九尾の狐は、死んだあとに大きな石に姿を変えて、毒気を放ち続けたらしいぞ」
「そのうちぼくは、長嶺の男の毒で弱っていくかもな」
苦々しく和彦が洩らすと、失礼なことに賢吾は鼻先で笑った。
「そんなタマじゃねーだろ、先生は。貪欲に毒すら呑み込んで、オンナっぷりを上げるんだ」
野外だというのに、かまわず賢吾が片手を伸ばしてきて、和彦の頬を撫でてくる。慌てて手を押しのけようとしたが、向けられる熱っぽい眼差しに、まるで大蛇の毒が回ったように体が動かなくなる。
「――堂々としていたぞ。あの総和会会長の隣にいて臆した様子もなかった。会長お気に入りの医者、という触れ込みにはなっていたが、先生を目にして信じた奴はいねーだろうな。総和会のバッジを胸につけた澄まし顔の色男ということで、薄々とながら事情を察する。あれが、総和会会長の〈オンナ〉か、とな。どうやって抱いているのかと、想像する奴もいただろうな」
「そんな悪趣味な人間が、何人もいるなんて思いたくない……」
賢吾の指先に耳朶を弄られ、微かな疼きが背筋を這い上がってくる。
「だったら俺は、その悪趣味な人間の一人だな」
和彦をからかっているようでいて、賢吾の言葉の端々からうかがえるのは、実に人間らしい感情だ。それとも自分のうぬぼれなのかと、和彦が内心で戸惑っている間も、賢吾の指先はまるで愛撫するように動き、うなじをまさぐってくる。
引き寄せられるまま賢吾との距離を縮めようとしたとき、和彦の視界に、小道から姿を現した南郷の姿が飛び込んでくる。驚いて目を見開くと、賢吾が鋭い表情となり、ゆっくりと振り返った。
縁台に腰掛けた和彦は池を眺めながら、ペットボトルに口をつける。午後に入ってから気温が上がってきて、雲一つない晴天ということもあり汗が滲む。冷たい水が喉を通る感触が心地よく思えるほどだ。
守光に許可を得て、一人で庭を散策できる時間ができて助かった。人前で無様な姿を晒しては、和彦一人が恥をかくならともかく、守光の顔に泥を塗るところだった。
短く息を吐くと、頭上を仰ぎ見る。釣殿を意識したものらしい池の辺にあるこの建物は、風通しがいいよう周囲を吹き放ちにしており、屋根は四本の柱で支えられている。おかげで陽射しは遮られ、休憩をするにはうってつけの場所だ。
何よりありがたいのは、人が来ないということだ。
すっかり気を抜いた和彦が手すりに腕をかけようとしたとき、砂利を踏む音が耳に届く。反射的に振り返ると、賢吾が立っていた。
「どうして――」
思わず和彦が洩らすと、陽射しを避けるように賢吾も屋根の下に入ってくる。周囲をぐるりと見回してから、当然のように和彦の隣に腰掛けた。
「こんなところに一人でいると、怖い男にかどわかされるぞ、先生」
「あんたみたいな男が、他にいるわけないだろっ……」
ムキになって言い返すと、賢吾がニヤリと笑う。その顔を見て、胸の奥がじわりと熱くなる。素直には認めたくないが、賢吾の声を聞いて安心したのだ。ずっと守光の側にいたため、今日賢吾と会話を交わしたのは、これが初めてだった。
「少しの間、様子を見ていたが、オヤジの毒気にあてられたような顔をしていたな」
「……悪趣味だな」
「何を吹き込まれたのかと、考えていたんだ」
実は賢吾は、自分と守光の会話をどこかで聞いていたのではないかと、ありえないことを一瞬本気で和彦は考えてしまう。
警戒心を露わにした和彦の反応に満足したように、賢吾は目を細める。
「オヤジはやけに、先生に執心だ。息子と孫が骨抜きになっている色男を、物珍しがっているだけなのかと、最初は思っていたんだがな……。あれは確かに、執心だ。オヤジが、先生の父親と面識があったと聞いてから、妙に引っかかるものがあるんだ」
「引っかかるって……?」
「縁、というやつだな。千尋と先生が出会う遥かに昔に、オヤジが佐伯家と結んでいた。これを因縁というのかもしれない。偶然の一言で片付けるのは簡単だが、どういうわけだか長嶺の男は、先生と相性がいい。オヤジが執心するのも無理はない。なんとしても先生を――特別な縁を、繋ぎとめておこうとするだろう」
賢吾の艶のあるバリトンは、いつになく凄みを帯びていた。首筋を冷たいもので撫でられたようで、和彦は大きく身震いする。それに気づいた賢吾の手が肩にかかった。
「冷えたか、先生」
「……違う。あんたの放つ毒気にあてられそうになったんだ」
「俺が毒気? だったら大蛇の毒だな。ちなみに九尾の狐は、死んだあとに大きな石に姿を変えて、毒気を放ち続けたらしいぞ」
「そのうちぼくは、長嶺の男の毒で弱っていくかもな」
苦々しく和彦が洩らすと、失礼なことに賢吾は鼻先で笑った。
「そんなタマじゃねーだろ、先生は。貪欲に毒すら呑み込んで、オンナっぷりを上げるんだ」
野外だというのに、かまわず賢吾が片手を伸ばしてきて、和彦の頬を撫でてくる。慌てて手を押しのけようとしたが、向けられる熱っぽい眼差しに、まるで大蛇の毒が回ったように体が動かなくなる。
「――堂々としていたぞ。あの総和会会長の隣にいて臆した様子もなかった。会長お気に入りの医者、という触れ込みにはなっていたが、先生を目にして信じた奴はいねーだろうな。総和会のバッジを胸につけた澄まし顔の色男ということで、薄々とながら事情を察する。あれが、総和会会長の〈オンナ〉か、とな。どうやって抱いているのかと、想像する奴もいただろうな」
「そんな悪趣味な人間が、何人もいるなんて思いたくない……」
賢吾の指先に耳朶を弄られ、微かな疼きが背筋を這い上がってくる。
「だったら俺は、その悪趣味な人間の一人だな」
和彦をからかっているようでいて、賢吾の言葉の端々からうかがえるのは、実に人間らしい感情だ。それとも自分のうぬぼれなのかと、和彦が内心で戸惑っている間も、賢吾の指先はまるで愛撫するように動き、うなじをまさぐってくる。
引き寄せられるまま賢吾との距離を縮めようとしたとき、和彦の視界に、小道から姿を現した南郷の姿が飛び込んでくる。驚いて目を見開くと、賢吾が鋭い表情となり、ゆっくりと振り返った。
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