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第23話
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さりげなく付け加えられた言葉がどれだけの重要性を持っているか、和彦はすぐに解した。ハッとして守光の顔を見ると、鋭い笑みで返される。
「何も知ろうとしないことで、無害な存在としてこの世界で生きていくことは可能だろう。だが、わしの〈オンナ〉になったことで、あんたはもう、その手段は使えんよ。知ることが、あんたの身を守ることになる。もしかすると、あんたの可愛い男たちを守ることにも……」
守光が視線を向けた先に、見慣れた男の姿があった。賢吾だ。こちらに気づいていないのか、数人の男たちと立ったまま話していた。
もう一人の長嶺の男である千尋は、今日は長嶺組の事務所に詰めている。組長である賢吾が表舞台に顔を出している間、その跡目は組を守るのが役目だ――と賢吾自身が言っていたが、千尋を出席させないための方便ではないかと和彦は勘繰っている。総和会会長の孫として千尋が大々的に注目を浴びる状況を、賢吾が喜ぶとは思えない。
賢吾を見つめたまま、和彦はわずかに目を細める。
やはり、陽射しの下が似合わない男だと思う。禍々しい存在感が増し、まとった陰がより濃く見える。だからこそ、一際魅力的に見えてしまう。
その賢吾以上に禍々しいながら、一切の陰をうかがわせない守光が、機嫌よさそうな声で続けた。
「わしとともにいるときは、見聞きしたことはなんでも覚えるようにしておくといい。総和会会長の隣で、人や情報に接する機会はなかなか貴重だ」
そうすることで和彦は、ますます裏の世界に深入りすることになる。守光や、さきほどの南郷の意味ありげな言葉を聞いていると、知らず知らずのうちに自分は、何かとてつもない役目を負わされようとしているのではないかと不安に駆られる。
それが表情に出たらしい。守光は低く笑い声を洩らした。
「あんた自身に、人間を見極められるようになってほしいだけだ。花見会の席に、わしがあんたを伴って歩いたということで、佐伯和彦という存在は秘密ではなくなった。これをきっかけに、なんらかの利益を得ようと、あんた個人に接触しようとする者も現れるだろう。長嶺組の護衛に適当にあしらってもらうもよし、膝をつき合わせて世間話をしてみるもよし。どうしたいかはあんた次第だ。とにかく、この世界の人間を知っていけばいい。好きか嫌いか。使えるか否か。まあ、物差しはいろいろだ」
話す守光の口調にわずかに熱がこもり、比例するように目には冷徹な光が宿っていた。桜の開花をさらに促すような陽気すら凍りつかせてしまいそうな、そんな恐れを抱かせる光だ。
これが守光の本性なのだろう。内にどれだけの陰を抱えようが、それを表に出すことなく、穏やかな人柄を装える。そんな守光を化け物だと言ったのは、賢吾だ。
「息子と孫が大事にするあんたには、賢い人間でいてもらいたい」
「……ぼくは、どんな蔑みの言葉をかけられても気にしません。ただ、あの二人が、ぼくのせいで恥をかくことだけは我慢できないと思います」
和彦の返答に満足したように守光は頷き、優しい顔で言った。
「これから、口うるさい年寄りたちと座って話すんだが、あんたも同席するといい。話好きな連中だから、聞き上手な人間は歓迎される」
守光が機会を与えてくれ、愚鈍な人間でいたくない和彦は受け入れる。
この瞬間、立場がまったく違う二人の間で、ささやかな取引が成立した。
広い庭は、探索心を刺激する魅力に溢れている。芝庭では、桜の花と、黒を身につけた男たちの対照的な姿で占められていたが、屋敷の周りを少し歩いて移動すると、和彦が着替えのために与えられた部屋の裏に出て、窓から見えた景色が目の前に現れた。
隣接する自然公園とは、無粋な分厚いコンクリートの壁で仕切られているのだが、それを巧みに見せないよう、まっすぐ伸びた竹が隠している。おかげで竹林が広がっているように見えるのだ。
もともと自然公園は、花見会の会場となっている広い庭と屋敷の主の所有地だったが、手入れの手間や莫大な固定資産税を考えて、市に寄付したのだそうだ。
このときどんなやり取りがあったのか和彦には想像もできないが、屋敷の主は総和会と深い間柄でありながら、地元の名士という一面を持っている。外にどれだけの数の警官が配備されようが、塀の内側への介入は一切許さない姿勢を貫くことは、相応の地位や後ろ盾がなければ不可能だろう。
ちなみにこれらの情報は、屋敷で昼食をとりながら、さりげなく耳に入ってきたものだ。守光に言われたからではないが、和彦は見聞きしたことはできるだけ、記憶に留めておくことにした。
「何も知ろうとしないことで、無害な存在としてこの世界で生きていくことは可能だろう。だが、わしの〈オンナ〉になったことで、あんたはもう、その手段は使えんよ。知ることが、あんたの身を守ることになる。もしかすると、あんたの可愛い男たちを守ることにも……」
守光が視線を向けた先に、見慣れた男の姿があった。賢吾だ。こちらに気づいていないのか、数人の男たちと立ったまま話していた。
もう一人の長嶺の男である千尋は、今日は長嶺組の事務所に詰めている。組長である賢吾が表舞台に顔を出している間、その跡目は組を守るのが役目だ――と賢吾自身が言っていたが、千尋を出席させないための方便ではないかと和彦は勘繰っている。総和会会長の孫として千尋が大々的に注目を浴びる状況を、賢吾が喜ぶとは思えない。
賢吾を見つめたまま、和彦はわずかに目を細める。
やはり、陽射しの下が似合わない男だと思う。禍々しい存在感が増し、まとった陰がより濃く見える。だからこそ、一際魅力的に見えてしまう。
その賢吾以上に禍々しいながら、一切の陰をうかがわせない守光が、機嫌よさそうな声で続けた。
「わしとともにいるときは、見聞きしたことはなんでも覚えるようにしておくといい。総和会会長の隣で、人や情報に接する機会はなかなか貴重だ」
そうすることで和彦は、ますます裏の世界に深入りすることになる。守光や、さきほどの南郷の意味ありげな言葉を聞いていると、知らず知らずのうちに自分は、何かとてつもない役目を負わされようとしているのではないかと不安に駆られる。
それが表情に出たらしい。守光は低く笑い声を洩らした。
「あんた自身に、人間を見極められるようになってほしいだけだ。花見会の席に、わしがあんたを伴って歩いたということで、佐伯和彦という存在は秘密ではなくなった。これをきっかけに、なんらかの利益を得ようと、あんた個人に接触しようとする者も現れるだろう。長嶺組の護衛に適当にあしらってもらうもよし、膝をつき合わせて世間話をしてみるもよし。どうしたいかはあんた次第だ。とにかく、この世界の人間を知っていけばいい。好きか嫌いか。使えるか否か。まあ、物差しはいろいろだ」
話す守光の口調にわずかに熱がこもり、比例するように目には冷徹な光が宿っていた。桜の開花をさらに促すような陽気すら凍りつかせてしまいそうな、そんな恐れを抱かせる光だ。
これが守光の本性なのだろう。内にどれだけの陰を抱えようが、それを表に出すことなく、穏やかな人柄を装える。そんな守光を化け物だと言ったのは、賢吾だ。
「息子と孫が大事にするあんたには、賢い人間でいてもらいたい」
「……ぼくは、どんな蔑みの言葉をかけられても気にしません。ただ、あの二人が、ぼくのせいで恥をかくことだけは我慢できないと思います」
和彦の返答に満足したように守光は頷き、優しい顔で言った。
「これから、口うるさい年寄りたちと座って話すんだが、あんたも同席するといい。話好きな連中だから、聞き上手な人間は歓迎される」
守光が機会を与えてくれ、愚鈍な人間でいたくない和彦は受け入れる。
この瞬間、立場がまったく違う二人の間で、ささやかな取引が成立した。
広い庭は、探索心を刺激する魅力に溢れている。芝庭では、桜の花と、黒を身につけた男たちの対照的な姿で占められていたが、屋敷の周りを少し歩いて移動すると、和彦が着替えのために与えられた部屋の裏に出て、窓から見えた景色が目の前に現れた。
隣接する自然公園とは、無粋な分厚いコンクリートの壁で仕切られているのだが、それを巧みに見せないよう、まっすぐ伸びた竹が隠している。おかげで竹林が広がっているように見えるのだ。
もともと自然公園は、花見会の会場となっている広い庭と屋敷の主の所有地だったが、手入れの手間や莫大な固定資産税を考えて、市に寄付したのだそうだ。
このときどんなやり取りがあったのか和彦には想像もできないが、屋敷の主は総和会と深い間柄でありながら、地元の名士という一面を持っている。外にどれだけの数の警官が配備されようが、塀の内側への介入は一切許さない姿勢を貫くことは、相応の地位や後ろ盾がなければ不可能だろう。
ちなみにこれらの情報は、屋敷で昼食をとりながら、さりげなく耳に入ってきたものだ。守光に言われたからではないが、和彦は見聞きしたことはできるだけ、記憶に留めておくことにした。
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