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第23話
(21)
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和彦はタクシーで移動しながら、外にどれだけの数の警官や機動隊が動員されているか、自分の目で見ることができた。まるで威圧するように、塀の周囲を数メートル間隔で機動隊員が立っており、警官が往来で容赦なく所持品と身体検査を行い、花見会の出席者たちはおとなしく従っていた。
自分があんなに目に遭っていたらと考えるだけで、和彦は底知れない不安感に襲われる。今日は大丈夫だったとしても、いつかは、佐伯和彦という人間が何者なのか、警察に知られるかもしれないのだ。
靴を脱いで式台に上がった和彦は、改めて玄関前へと視線を向ける。玄関は開け放たれているのに、正面に据えられた門が頑なに閉ざされているというのは、不思議な感覚を与えてくるのだ。何より、門を内側から守っているのはダークスーツ姿の男たちで、門の外に立つのは警察という現実が、裏と表の世界の境界線を示していると感じる。
心の中に入り込もうとした何かを振り切るように踵を返し、和彦は男についていく。
案内されたのは、こじんまりとした和室だった。外からたっぷりの陽射しが差し込んでいるため室内は明るく、何より、窓から見える景色が贅沢なほど素晴らしい。生い茂った木々の間から池が見え、そこにかかる小さな橋の風情も相まって、まるで風景画のようだ。
「部屋の外にうちの者を立たせていますから、安心してお寛ぎください。会長が庭に出られるときに、声をおかけしますから」
わかりましたと和彦が答えると、男は一礼して障子を閉めた。
一人になって肩から力を抜いた和彦は、室内を見回す。ハンガーラックにはダークスーツ一式が掛けられていた。いつ必要になるかわからないものの賢吾に言われるまま仕立ててもらい、長嶺の本宅に置いてあったのだ。この先、身につける機会が増えるのかもしれない。
ゆっくりするのは後回しにして、とにかく着替えることにする。
ダークスーツを腕にかけたところで和彦は、この部屋にあるのは姿見ではなく、鏡台であることに気づいた。置かれた化粧箱や手鏡、部屋にさりげなく飾られた小物などから推測するに、どうやらこの部屋は、普段は女性の利用を主としているようだ。
自分の置かれた立場もあって、何か意味はあるのだろうかと深読みをしたくなるのは、自虐に近い感情ゆえだ。和彦は、鏡に映る難しい顔をした男を一瞥して、ジャケットのボタンに指をかけた。
柔らかな芝を踏みしめて歩いているという感覚が、まるでなかった。それどころか、手足がきちんと動いているのかすら、自分で認識できない。
緊張のあまり気分が悪くなりそうだと、荒く息を吐き出した和彦は無意識に喉元に手をやる。いつも通り締めたはずのネクタイを苦しく感じるが、当然、この状況で緩めることなどできるはずもない。
伏し目がちだった和彦は、思いきって視線を上げる。数歩先を歩いているのは、上背のある痩身の体を紋付羽織袴で包んだ総和会会長だ。黒羽二重の黒が豊かな白髪をより際立たせるが、だからといって老いを印象付けられることはない。そういう次元で、目の前の人物を捉えてはいけないのだ。
泰然と歩く後ろ姿は、まるで散歩でもしているようでもあるが、向けられた背に一体何が棲んでいるか知っていると、畏怖と畏敬の念を抱くだけだ。
それだけではない。和彦はさきほどから、獣のような野蛮で荒々しい気配を隣から感じていた。大柄な体をダークスーツで包んだ南郷だ。
庭に出る守光の同行者は、和彦と南郷の二人しかいない。せっかくの花見で、無粋に護衛を引き連れて歩くわけにはいかない、という守光自身の言葉があったためだが、なぜ自分がと、和彦は自問せずにはいられない。
「――肝が据わっていると評判の先生も、さすがに緊張しているようだな」
唐突に南郷が、揶揄するように話しかけてくる。和彦は冷ややかな一瞥を向けてから、頭上に咲く桜の花を見上げる。ちくちくと神経を刺激してくるような南郷の言葉に、わざわざ応える気にはなれなかった。南郷は機嫌を損ねたふうもなく、聞こえよがしに呟く。
「素っ気ない……」
率直に言って、和彦は南郷が苦手だ。鷹津も大概嫌な男だとは思うが、あの男の場合、言動が明け透けで遠慮がない分、和彦も同様に遠慮なく言い返せるため、割り切ってつき合う分にはストレスが少ない。何より刑事という肩書きが、狂犬のようなあの男の歯止めとなっている。だからこそ、和彦の番犬でもあるのだ。
一方の南郷は――とにかく得体が知れない。和彦の神経を逆撫でるような言動を取りながら、紳士的な姿勢だけは崩さない。しかし、獣のような本性が透けて見える。おそらく本人は計算したうえで、和彦の反応を楽しんでいるはずだ。
自分があんなに目に遭っていたらと考えるだけで、和彦は底知れない不安感に襲われる。今日は大丈夫だったとしても、いつかは、佐伯和彦という人間が何者なのか、警察に知られるかもしれないのだ。
靴を脱いで式台に上がった和彦は、改めて玄関前へと視線を向ける。玄関は開け放たれているのに、正面に据えられた門が頑なに閉ざされているというのは、不思議な感覚を与えてくるのだ。何より、門を内側から守っているのはダークスーツ姿の男たちで、門の外に立つのは警察という現実が、裏と表の世界の境界線を示していると感じる。
心の中に入り込もうとした何かを振り切るように踵を返し、和彦は男についていく。
案内されたのは、こじんまりとした和室だった。外からたっぷりの陽射しが差し込んでいるため室内は明るく、何より、窓から見える景色が贅沢なほど素晴らしい。生い茂った木々の間から池が見え、そこにかかる小さな橋の風情も相まって、まるで風景画のようだ。
「部屋の外にうちの者を立たせていますから、安心してお寛ぎください。会長が庭に出られるときに、声をおかけしますから」
わかりましたと和彦が答えると、男は一礼して障子を閉めた。
一人になって肩から力を抜いた和彦は、室内を見回す。ハンガーラックにはダークスーツ一式が掛けられていた。いつ必要になるかわからないものの賢吾に言われるまま仕立ててもらい、長嶺の本宅に置いてあったのだ。この先、身につける機会が増えるのかもしれない。
ゆっくりするのは後回しにして、とにかく着替えることにする。
ダークスーツを腕にかけたところで和彦は、この部屋にあるのは姿見ではなく、鏡台であることに気づいた。置かれた化粧箱や手鏡、部屋にさりげなく飾られた小物などから推測するに、どうやらこの部屋は、普段は女性の利用を主としているようだ。
自分の置かれた立場もあって、何か意味はあるのだろうかと深読みをしたくなるのは、自虐に近い感情ゆえだ。和彦は、鏡に映る難しい顔をした男を一瞥して、ジャケットのボタンに指をかけた。
柔らかな芝を踏みしめて歩いているという感覚が、まるでなかった。それどころか、手足がきちんと動いているのかすら、自分で認識できない。
緊張のあまり気分が悪くなりそうだと、荒く息を吐き出した和彦は無意識に喉元に手をやる。いつも通り締めたはずのネクタイを苦しく感じるが、当然、この状況で緩めることなどできるはずもない。
伏し目がちだった和彦は、思いきって視線を上げる。数歩先を歩いているのは、上背のある痩身の体を紋付羽織袴で包んだ総和会会長だ。黒羽二重の黒が豊かな白髪をより際立たせるが、だからといって老いを印象付けられることはない。そういう次元で、目の前の人物を捉えてはいけないのだ。
泰然と歩く後ろ姿は、まるで散歩でもしているようでもあるが、向けられた背に一体何が棲んでいるか知っていると、畏怖と畏敬の念を抱くだけだ。
それだけではない。和彦はさきほどから、獣のような野蛮で荒々しい気配を隣から感じていた。大柄な体をダークスーツで包んだ南郷だ。
庭に出る守光の同行者は、和彦と南郷の二人しかいない。せっかくの花見で、無粋に護衛を引き連れて歩くわけにはいかない、という守光自身の言葉があったためだが、なぜ自分がと、和彦は自問せずにはいられない。
「――肝が据わっていると評判の先生も、さすがに緊張しているようだな」
唐突に南郷が、揶揄するように話しかけてくる。和彦は冷ややかな一瞥を向けてから、頭上に咲く桜の花を見上げる。ちくちくと神経を刺激してくるような南郷の言葉に、わざわざ応える気にはなれなかった。南郷は機嫌を損ねたふうもなく、聞こえよがしに呟く。
「素っ気ない……」
率直に言って、和彦は南郷が苦手だ。鷹津も大概嫌な男だとは思うが、あの男の場合、言動が明け透けで遠慮がない分、和彦も同様に遠慮なく言い返せるため、割り切ってつき合う分にはストレスが少ない。何より刑事という肩書きが、狂犬のようなあの男の歯止めとなっている。だからこそ、和彦の番犬でもあるのだ。
一方の南郷は――とにかく得体が知れない。和彦の神経を逆撫でるような言動を取りながら、紳士的な姿勢だけは崩さない。しかし、獣のような本性が透けて見える。おそらく本人は計算したうえで、和彦の反応を楽しんでいるはずだ。
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