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第23話
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パッと頭を上げた和彦は、瞬きも忘れて賢吾の顔を凝視する。防衛本能というべきか、賢吾の今の発言は冗談だと、咄嗟に和彦は判断した。本気にしてしまう自分自身を恐れたためだ。
どんな言葉をかけられるより賢吾の提案は優しいと感じ、同時に、どんな打算が含まれているのだろうかとも勘繰ってしまう。和彦と賢吾の関係で、これは仕方のないことだった。
「そんなことをしたら、ぼくは一生、長嶺の男から離れられないな……」
「なんだ、離れるつもりなのか?」
じっと身を潜めていた大蛇が、ふいに鎌首をもたげてチロリとした舌を覗かせる。そんなイメージが和彦の脳裏を過ぎり、つい顔が強張る。
賢吾の優しさは、怖い。和彦はさりげなく体を離そうとしたが、しっかりと肩を掴まれて動けなくなる。間近で賢吾と目が合ったそのとき、前触れもなくインターホンが鳴った。この時間の訪問者は限られている。心当たりがあるうちの一人は、すでにもう和彦の目の前にいる。そうなると、考えられるのはもう一人しかいない。
無視するわけにもいかずインターホンに出ると、案の定画面には、犬っころ――ではなく、千尋の姿が映っていた。
「どうしたんだ、千尋。お前また、酔ってるんじゃ……」
応対しつつ和彦は、リビングの様子をうかがう。
気まぐれにマンションに立ち寄ることが多い賢吾と千尋だが、護衛の組員たちが互いの行動をしっかり把握しているため、この部屋で父子が〈たまたま〉顔を合わせることはない。つまり今のこの事態は、どちらかが意図したものだということだ。
『今日は素面。先生にケーキ買ってきたんだ。一緒に食おうと思ってさ』
「……それはありがたいが、今はお前の父親が来ているぞ」
口にして改めて、和彦は自分が置かれた境遇について複雑な想いを抱える。与えられた部屋に二人の男を招き入れているが、その二人が父子なのだ。そして、和彦を含めた三人が、この奇妙な関係を受け入れている。
『知ってる。……本当は今日は俺が、先生と一緒にメシ食うつもりだったのに、俺が連絡するより先に、オヤジがさっさと先生をメシに連れ出したんだ。だからせめて、ケーキぐらい一緒に食おうと思ってさ。あと、オヤジに対する嫌がらせ』
賢吾はいい躾をしていると、和彦は苦笑を洩らす。
「エントランス前で、恥ずかしいことをぼやくな。とにかく、早く上がってこい」
インターホンを切ると、その足で玄関のドアの鍵を開ける。次に、コーヒーを淹れるためにキッチンへと向かう。リビングでおとなしくしているかと思った賢吾も、すぐにやってきた。
「息子にデートを邪魔されるとはな……」
聞こえよがしにぼやく賢吾だが、その口調は笑いを含んでいる。和彦は湯を沸かす間に、カップや皿を準備しつつ応じた。
「その千尋は、父親が邪魔をしたと思っているようだが」
「だったら二人まとめて、先生が面倒を見てくれたら済む話だな」
「……勘弁してくれ。ぼくだって、仕事終わりで疲れているんだ」
「それこそ、俺と千尋で癒してやろう」
カウンターに電動ミルを置いた和彦は、じろりと賢吾を睨みつける。
「コーヒー豆ぶつけるぞ」
賢吾が声を上げて笑い、そこに、ケーキの箱を手にした千尋がやってくる。楽しげな父親の様子に目を丸くしたあと、対照的に千尋は顔をしかめた。
「もう帰っていいぞ、オヤジ」
「そういうお前は、ガキはもう寝る時間じゃないのか」
父子の、仲が悪いようでいて、実はじゃれ合っているとしか思えない会話を聞き流しつつ、和彦は黙々とコーヒー豆を挽く。
「――もしかして二人して、花見会の打ち合わせでもしてた?」
突然の千尋の言葉に、反射的に和彦は賢吾を見る。
「どうして、そう思うんだ」
そう問いかけたのは賢吾だ。
「今日、じいちゃんから連絡があってさ。花見会の準備で少し変更があるとか言われたんだ。改めて幹部会から、うちの組の執行部に連絡を入れるって話だったけど……、当然、オヤジにも何か言ってきたんだろ?」
「まあな。どうやら、総和会も、バタバタしているようだな」
「その辺りは、じいちゃんは教えてくれなかった」
和彦は、自分には関わりないという顔をして、ドリッパーにフィルターをセットする。何が珍しいのか、千尋がカウンターに身を乗り出して、じっと作業を見つめてくる。あくまで自己流のコーヒーの淹れ方をしている和彦はやりにくくて仕方ないが、見るなとも言えない。
「先生が、キッチンで細々とした作業をしているの見ると、なんかすげー、違和感というか、不思議な感じがするんだよな」
「細々って……、コーヒーを淹れているぐらいで大げさだ」
どんな言葉をかけられるより賢吾の提案は優しいと感じ、同時に、どんな打算が含まれているのだろうかとも勘繰ってしまう。和彦と賢吾の関係で、これは仕方のないことだった。
「そんなことをしたら、ぼくは一生、長嶺の男から離れられないな……」
「なんだ、離れるつもりなのか?」
じっと身を潜めていた大蛇が、ふいに鎌首をもたげてチロリとした舌を覗かせる。そんなイメージが和彦の脳裏を過ぎり、つい顔が強張る。
賢吾の優しさは、怖い。和彦はさりげなく体を離そうとしたが、しっかりと肩を掴まれて動けなくなる。間近で賢吾と目が合ったそのとき、前触れもなくインターホンが鳴った。この時間の訪問者は限られている。心当たりがあるうちの一人は、すでにもう和彦の目の前にいる。そうなると、考えられるのはもう一人しかいない。
無視するわけにもいかずインターホンに出ると、案の定画面には、犬っころ――ではなく、千尋の姿が映っていた。
「どうしたんだ、千尋。お前また、酔ってるんじゃ……」
応対しつつ和彦は、リビングの様子をうかがう。
気まぐれにマンションに立ち寄ることが多い賢吾と千尋だが、護衛の組員たちが互いの行動をしっかり把握しているため、この部屋で父子が〈たまたま〉顔を合わせることはない。つまり今のこの事態は、どちらかが意図したものだということだ。
『今日は素面。先生にケーキ買ってきたんだ。一緒に食おうと思ってさ』
「……それはありがたいが、今はお前の父親が来ているぞ」
口にして改めて、和彦は自分が置かれた境遇について複雑な想いを抱える。与えられた部屋に二人の男を招き入れているが、その二人が父子なのだ。そして、和彦を含めた三人が、この奇妙な関係を受け入れている。
『知ってる。……本当は今日は俺が、先生と一緒にメシ食うつもりだったのに、俺が連絡するより先に、オヤジがさっさと先生をメシに連れ出したんだ。だからせめて、ケーキぐらい一緒に食おうと思ってさ。あと、オヤジに対する嫌がらせ』
賢吾はいい躾をしていると、和彦は苦笑を洩らす。
「エントランス前で、恥ずかしいことをぼやくな。とにかく、早く上がってこい」
インターホンを切ると、その足で玄関のドアの鍵を開ける。次に、コーヒーを淹れるためにキッチンへと向かう。リビングでおとなしくしているかと思った賢吾も、すぐにやってきた。
「息子にデートを邪魔されるとはな……」
聞こえよがしにぼやく賢吾だが、その口調は笑いを含んでいる。和彦は湯を沸かす間に、カップや皿を準備しつつ応じた。
「その千尋は、父親が邪魔をしたと思っているようだが」
「だったら二人まとめて、先生が面倒を見てくれたら済む話だな」
「……勘弁してくれ。ぼくだって、仕事終わりで疲れているんだ」
「それこそ、俺と千尋で癒してやろう」
カウンターに電動ミルを置いた和彦は、じろりと賢吾を睨みつける。
「コーヒー豆ぶつけるぞ」
賢吾が声を上げて笑い、そこに、ケーキの箱を手にした千尋がやってくる。楽しげな父親の様子に目を丸くしたあと、対照的に千尋は顔をしかめた。
「もう帰っていいぞ、オヤジ」
「そういうお前は、ガキはもう寝る時間じゃないのか」
父子の、仲が悪いようでいて、実はじゃれ合っているとしか思えない会話を聞き流しつつ、和彦は黙々とコーヒー豆を挽く。
「――もしかして二人して、花見会の打ち合わせでもしてた?」
突然の千尋の言葉に、反射的に和彦は賢吾を見る。
「どうして、そう思うんだ」
そう問いかけたのは賢吾だ。
「今日、じいちゃんから連絡があってさ。花見会の準備で少し変更があるとか言われたんだ。改めて幹部会から、うちの組の執行部に連絡を入れるって話だったけど……、当然、オヤジにも何か言ってきたんだろ?」
「まあな。どうやら、総和会も、バタバタしているようだな」
「その辺りは、じいちゃんは教えてくれなかった」
和彦は、自分には関わりないという顔をして、ドリッパーにフィルターをセットする。何が珍しいのか、千尋がカウンターに身を乗り出して、じっと作業を見つめてくる。あくまで自己流のコーヒーの淹れ方をしている和彦はやりにくくて仕方ないが、見るなとも言えない。
「先生が、キッチンで細々とした作業をしているの見ると、なんかすげー、違和感というか、不思議な感じがするんだよな」
「細々って……、コーヒーを淹れているぐらいで大げさだ」
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