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第23話
(14)
しおりを挟むさきほどから地図を眺めて、賢吾はひどく楽しそうだった。食えない男のその表情を、キッチンから缶ビールとグラスを取って戻ってきた和彦は、興味深く観察する。
「――何か言いたそうだな、先生」
地図からちらりと視線を上げ、賢吾が口を開く。油断ならない男だと、いまさらなことを実感しつつ、和彦は賢吾の隣に座った。
グラスにビールを注いでやってから、一緒に地図を覗き込む。鷹津の乱雑な字がびっしりと書き込まれた地図は、執念のようなものが滲み出ているようだった。
鷹津は、表向きは暴力団組織――長嶺組を憎悪する悪徳刑事を演じている。事実、憎悪はしているのだろうが、長嶺組組長のオンナである和彦と関係を持ち、結果として長嶺組に情報を流している。
鷹津という男の屈折した感情を、この地図の存在はよく表しているのかもしれない。
「さっきから、地図を眺めて楽しそうだな」
和彦の言葉に、賢吾は目元を和らげる。
「先生が、ヤクザの組長のオンナらしい仕事をしたと思ってな。悪徳刑事を手玉に取って、自分の身を守るための情報を取ってきた」
「……人聞きが悪い」
「そうだな。鷹津が勝手に先生を気遣って、気を回した結果だ。先生は鷹津に何も頼んでいないし、媚びてもいない。手玉に取るなんて、失礼な言い方だった」
「その言い方も――」
気に障る。心の中で洩らした和彦は、窓の外に目を向ける。すでに日は落ち、外は暗い。
本当であれば今日は、クリニックが終わってから弁当でも買って帰り、部屋で一人ゆっくりと過ごすつもりだったのだ。ところが夕方になって賢吾から連絡が入ったことで、和彦のささやかな予定は狂った。
外で待ち合わせて一緒に夕食をとったあと、少し部屋で寛がせてくれと賢吾に言われては、拒めるはずもない。
和彦はソファに深くもたれかかり、グラスに口をつけつつ相変わらず地図を見ている賢吾に視線を戻す。
「その地図、役に立つのか?」
「先生にとってはな。むしろ重要なのは、鷹津が話した内容だ。本当に、暴力団担当係の有能な刑事と〈仲良く〉なっておくものだな。鷹津から先生に、先生から俺に。そして俺は、総和会の幹部会に連絡を入れた。先生から聞いた内容をそのまま伝えたんだ。手柄を横取りしたようだが、感謝されたぞ」
「鷹津は、話した内容については、あんたなら上手く扱うはずだと言っていた。……つまり、こういう手順を望んでいたということだろ」
「鷹津は、先生からもらえる餌さえあったら満足だろうが、まあ、そういうわけにもいかん。――俺からも何か餌を与えないとな」
冗談めかしてはいるが、賢吾の言葉には毒気が滲み出ている。和彦が睨みつけると、低く笑い声を洩らして賢吾はやっと地図を畳んだ。
鷹津は、ただ働きはしない。和彦の〈番犬〉として働いた対価に、餌を欲しがる。一昨日、鷹津と会ったときにその餌を求められたが、体調のせいもあって断った。ただし、近いうちにまた鷹津と会って、しっかり餌を与えなくてはならないだろう。
この辺りの鷹津とのやり取りすら、和彦は賢吾に報告してあった。そのうえで、今の発言だ。
「そう怒るな、先生。県警が、花見会の監視強化を計画しているなんて、まだこちらの耳には入ってない情報だ。つまりそれだけ、県警は情報管理を徹底して、取り締まりに本気だという姿勢を見せているってことだ。花見会には、総和会の面子がかかっている。騒ぎを起こさず、招待客にも迷惑をかけず、粛々と花見会を行うことで、総和会は力を誇示する。例え警察であろうが、水を差すことはまかりならぬ、ってな」
「……恐ろしくなるほど、ヤクザの理論だな」
「他人事のように言っているが、先生はその花見会に招待されているんだぞ」
重圧が肩にのしかかり、和彦は深々とため息をつく。慰めか、励ましのつもりなのか、賢吾に肩を抱き寄せられた。
「やっぱり、行かないといけないのか……」
「オヤジが招待した以上、俺も口出しできない。それに花見の最中も、先生の側にいてやることはできない。挨拶ぐらいはできるだろうがな」
そもそも、花見会での自分の役割すら把握できていない和彦だが、賢吾の言葉に驚く。建前上はどうあれ、賢吾が当然側にいてくれると思っていたからだ。和彦の戸惑いを表情から読み取ったのだろう。顔を覗き込んできた賢吾に髪を撫でられた。
「まだピンときてないだろうが、しっかり頭に叩き込んでおけ。――総和会という枠の中にあって、最上位にいるのは会長だ。俺は、総和会に名を連ねる組の組長。立場の違う男が、オンナを共有している。この際、父子であることは関係ない。より大きな力を持つほうが、公の場で自分のオンナだと主張できるということだ」
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