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第23話
(7)
しおりを挟む袖を通した長襦袢の前を合わせると、すかさず背後から回された手が衿端を持ち、たるみを調整してくれる。
「さすがに、千尋が高校生のときにあつらえたものだから、先生には少し寸足らずか。が、思っていたより不恰好じゃない」
ぴったりと背後に立っている賢吾の言葉に、耳元をくすぐられる。和彦は反射的に首をすくめ、その拍子に、姿見に映る自分と目が合った。
先月足を運んだ呉服屋でも体験したが、着物を身につける自分の姿を鏡で見るというのは、なんとも照れくさくて、気恥ずかしい。
そんな和彦を、賢吾が妙にまじめな顔で見つめていた。こちらはすでに端然とした着物姿で、さきほどから熱心に着付けを指導してくれている。だから和彦も、逃げ出したい気持ちを堪えられた。
クリニックからの帰りに呼びつけられて本宅に寄り、一緒に夕食をとったあと、和室に連れ込まれた。そのときにはすでに、着付けの練習用の着物が一揃い用意されており、ようやく和彦は、自分が本宅に呼ばれた理由を理解したのだ。
「今日は長襦袢の下はTシャツだが、外出するときは、きちんと肌襦袢を身につけるんだ。それに、裾よけも。いかにも品のいい先生が、きちんと着物を着こなしていたら、今以上に色男っぷりが上がるぞ」
そんなことを言いながら、賢吾は腰紐を差し出してくる。受け取った和彦は、いつも賢吾がしているように結んでみる。
「上手いもんだ、先生」
「……紐を結ぶぐらい、初心者のぼくでもできる」
「俺は、褒めて伸ばす男なんだ」
和彦が顔をしかめるのとは対照的に、賢吾はニヤニヤと笑いながら、今度は長着を肩にかけてきた。袖に手を通すと、賢吾が肩をてのひらで撫でたあと、袖先を軽く引っ張り、たるみが出ないよう整えてくれる。
長襦袢の衿に重ねるように、長着の衿を合わせる。すかさず賢吾が身幅の余りを丁寧に始末して、不恰好にならないよう上前で隠す方法を説明してくれた。
「なんだか、複雑だ。あんたはいつも簡単に着付けているから、そういうものなのかと思っていた」
思わず和彦がぼやくと、前触れもなく賢吾の手が、上前の下に入り込んでくる。驚いて体を固くした和彦だが、どうやら賢吾にやましい意図はないらしく、あまり窮屈にならないよう少し緩めてくれた。
「あまりきっちり着込むと、動いたときに早く着崩れする。着物に慣れてない先生は特に、そうなるだろうな。だから、自分に合った楽な着方を覚えることだ。思っていたほど着物は堅苦しいものじゃないとわかったら、普段でも着る気になるだろ」
「あまり……、自信がないな」
「俺にしてみりゃ、人間の体を縫ったり、骨を削ったりするほうが、よほど難しいと思うが」
もう一本の腰紐を取り上げて、今度は賢吾が結んでくれる。腰を締め付けられる感触に、和彦はそっと息を吐き出す。そんな和彦の腰を撫でて、きついかと賢吾が問いかけてきたので、慌てて首を横に振る。
和彦は促されるまま帯を手に取り腰に当てる。指示に従い、おぼつかない手つきで帯を腰に巻き付け、途中から賢吾の手に帯を取られて締めてもらう。
「先生は器用だから、あっという間に数分とかからずに締められるようになるはずだ」
「……努力はしてみる」
体の後ろで帯を締め上げられ、反射的に背筋を伸ばす。和彦によく見せるためか、体の向きを変えられ、賢吾と向き合う。なんとなく気恥ずかしくて肩越しに振り返ると、ちょうど姿見には、自分の後ろ姿と、賢吾が帯を締めていく様子が映っていた。
他人の帯を締めているというのに、賢吾の手は迷うことなく動き続け、きれいな結び目を作り上げてしまった。和彦は素直に感嘆する。
「先生、苦しくないか?」
「平気だ」
「だったら今度は、自分で締めてみろ」
せっかくの結び目があっという間に解かれ、帯が緩む。和彦は仕方なく挑戦してみる。
賢吾の手の動きを思い出しつつ、ぎこちない手つきで帯を締め始める。そんな和彦を賢吾は楽しげに眺めながら、今度は手は出さずに、端的な指示だけを出してくる。
残念ながら、きれいな結び目を作ることはできず、背の中心からややズレたうえに、妙に歪んで見えた。姿見を振り返って結び目に触れた和彦は、出来の悪さにため息を洩らす。すると賢吾が低く笑い声を洩らす。
「初めて締めたにしては、なかなかのもんだぞ。あとは、どうすればバランスがよくなるか、指先が覚えるほど、練習するだけだ」
「……確かにあんたは、褒めて伸ばすタイプだな」
冗談交じりに言って和彦が正面を向いた瞬間、狙っていたようなタイミングで賢吾に唇を塞がれた。
「なっ……」
思わず後ずさりかけたが、背に賢吾の手がかかって阻まれる。
「着物姿の先生が色っぽくて、そそられた」
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