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第23話
(6)
しおりを挟む和彦の顔を一目見るなり、端麗な容貌の男は表情をわずかに曇らせる。
それが芝居がかって見えるのは、この男の美貌ゆえか、それとも胡散臭い存在のせいか――。
頭の片隅でちらりとそんなことを考えた和彦は、唇をへの字に曲げてテーブルにつく。
「……ぼくの顔に何かついているか?」
あえてぶっきらぼうな口調で問いかけると、今日の昼食の相手である秦は肩をすくめた。ごく一般的なレストランなのだが、この男が正面に座っているというだけで、とてつもない贅沢をしているような気がしてくる。
平日ということもあり、周囲のテーブルを占めるのは、ビジネスマンやOLたちだ。ノーネクタイのやや砕けた格好の和彦と、きちんとスーツを着てはいても、見るからに普通の勤め人ではない秦の組み合わせは目立って仕方ない。
「少し居心地が悪いかもしれないが、我慢してくれ。午後一番に予約が入っているから、あまりクリニックから離れるわけにもいかないんだ」
ランチを頼んでから和彦がぼそぼそと言うと、秦は穏やかに微笑む。
「気にしないでください。わたしの都合で、先生につき合ってもらっているんですから」
午前中、秦から連絡が入り、渡したいものがあるので昼食を一緒に、と言われたのだ。断る理由もないため和彦は誘いに乗ったが、何を渡されるのか、いまだに教えられていない。
おしぼりで手を拭く和彦の顔を、秦がじっと見つめてくる。最初は気づかないふりをしていたが、次第に苦痛になってきて、仕方なく和彦は口を開いた。
「……なんだ」
「先生もしかして、少しお疲れですか?」
鋭いなと思いつつ頷く。
「昨夜はあまり……寝てないんだ」
酔っ払った千尋がやってきて、そのまま深夜まで体を重ねていたのだ。そこに、キッチンの片付けという労働も加わった。
十歳も年下の青年相手の痴態が生々しく蘇り、知らず知らずのうちに頬が熱くなってくる。そこに、さらに羞恥を煽るようなことを秦が言った。
「――わたしが出張している間、中嶋の相手をしてくれたそうですね。あいつ、喜んでいましたよ」
和彦は咄嗟に返事ができず、視線をさまよわせる。こんな場所で露骨な言葉を口にすることもできず、慎重に言葉を選ぶしかない。
「全部、聞いたのか……?」
「ある程度は。とにかく、中嶋の機嫌はよかったですよ。わたしとしては、秘密の多い出張を終えて帰ってきたところだったので、中嶋からどんな探りを入れられるのか身構えていたんですが……、拍子抜けしました。事情を知って、先生に感謝しましたよ」
中嶋から聞いた内容を、秦は艶然とした笑みを浮かべながら賢吾に報告しただろう。いや、それ以前に、すでに中嶋から賢吾へと報告済みかもしれない。
和彦が関係を持つ男たちは、和彦の情報を当然のように共有するのだ。情も利害も絡んだ、妖しいネットワークだ。
「……ぼくは、彼に感謝しないとな。気分が塞ぎ込みそうになっていたところを、助けてもらった」
「セックスして先生に感謝されるなんて、羨ましい立場だ」
秦が楽しげに洩らした言葉に素早く和彦は反応し、慌てて周囲を見回した。
「それで……、ぼくに渡したいものってなんだ」
ああ、と声を洩らした秦は、隣のイスに置いた小さな紙袋を差し出してきた。
「出張のお土産で、香水です。なんとなく先生に合いそうだと思って。嫌な香りでなかったら、仕事が休みの日にでも使ってください」
「ありがとう……」
紙袋を受け取った和彦は、香水の香り以上に、秦がどんな仕事で、どこに出かけていたのかが気になる。ちらりと視線を向けると、秦は秘密をたっぷり含んだ艶やかな笑みを返してくる。その表情を見ただけで、和彦が何を尋ねても、『出張』について答える気がないとわかった。
ランチが運ばれてきたところで、腕時計で時間を確認する。秦とのおしゃべりを楽しみながら、優雅に食事ができるほどの余裕はあまりない。
「――お土産を渡すためだけに、わざわざ来てくれたのか?」
食事をしつつ和彦が率直に疑問をぶつけると、秦は首を横に振った。
「中嶋と話していて、なんとなく決まったことなんですが、せっかくなので先生も誘おうという話になったんです」
「何を……」
つい反射的に警戒してみせると、楽しそうに秦は口元を緩める。
「三人で、花見をしませんか。とはいっても、人ごみの中でにぎやかに飲むわけではなくて、ビルから夜桜を見下ろしながら、という形になりますが」
「花見、か」
昨夜千尋から聞かされた、総和会の花見会のことが頭に浮かぶ。暖かくなってきて、物騒な男たちが精力的に動き始めたような気がして、なんだか和彦までソワソワとしてくる。
春の嵐が起こる前触れのようなものを、今から感じていた。
「気が乗りませんか?」
秦が顔を覗き込むふりをしたので、和彦は苦笑を洩らす。
「ぼくは、かまわない。……長嶺のほうで問題がないなら、いつでも夜遊びの誘いに乗る」
よかった、と洩らした秦から意味ありげな視線を向けられる。ここ何日かの自分の痴態すべてを見透かされそうな危惧を覚え、和彦は食事に集中するふりをして目を伏せた。
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