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第22話
(23)
しおりを挟む「――そういえば先生、もう聞いていますか? 総和会の護衛の件」
鶏すきの締めとしてうどんまで堪能したところで、唐突に中嶋が切り出してくる。和彦は首を傾げた。
「なんのことだ……?」
「俺もちらっと小耳に挟んだ程度で、まだ本決まりというわけではないみたいですが――」
中嶋が口にしたのは、思いがけないことだった。和彦の護衛に、総和会の人間をつけるという話が出ているというのだ。総和会が仲介となる仕事も増えてきたため、長嶺組だけに和彦の護衛という負担を押し付けるのは如何なものか、ということらしい。
長嶺組組長のオンナという立場があるにせよ、表向きは一介の医者でしない和彦を、総和会が気にかけるには相応の理由がある。和彦には、その理由は一つしか思いつかなかった。
もちろん、耳聡い組関係者も薄々とながら事情を察しているだろう。和彦の目の前にいる青年も例外ではない。
澄ました顔でウーロン茶を飲み干した中嶋は、これが本題だと言わんばかりに問いかけてきた。
「先生は先日、うちの会長と旅行に出かけたんですよね?」
「……成り行きで。総和会会長直々に誘われて、断る余地があるはずないだろう。……もっとも、それだけじゃないんだが」
「何かあったんですか」
和彦は自嘲気味に唇を歪める。なんとなくこのとき、アルコールが欲しいなと思った。実は今晩、秦からの食事の誘いに乗ったのは、心に溜まる重苦しい気持ちを一時でも忘れたかったからだ。
総和会会長の〈オンナ〉になったという事実は、和彦の肩にズシリとのしかかり、その重圧に気持ちが押し潰されてしまいそうだ。
逃げられないなら、受け入れるしかない。その覚悟はしたつもりだが、長嶺守光という存在を間近に、そして体の内で感じてしまうと、和彦の覚悟など簡単に揺れる。
昨日、車内で受けた守光の愛撫が、まだ下肢に絡みついているようだ。我ながら忌々しいほど簡単に、和彦の体は反応した。守光に求められて疼いた欲望と高揚感を否定する気はない。和彦は、求められると弱い。特に、長嶺の男に。
「――……大事に扱われて、怖いんだ。男のくせに、オンナとして囲われているんだ。どれだけ蔑まれて、乱暴に扱われても、ぼく自身は不思議じゃないと思う。だけど現実はそうじゃない。ぼくはそこそこの自由と、十分な報酬と環境を与えられて、大事に守られている。そのことを、いつの間にか当然のように受け入れているんだ」
「医者としての先生の腕も買われているんですよ」
「だとしても、ぼくはまだ経験の浅い美容外科医だ。どんな手術もこなせる腕も知識もない」
「だったら、佐伯和彦という人間に、それだけの価値があるんでしょう。少し前まで堅気だったくせに、妙にこの世界に馴染んで、あっという間に怖い男たちを手懐けた。蔑まれて当然のオンナという立場にいて、そうされないというのは、先生がそれを許さないものを持っているからだ」
テーブルに頬杖をついた中嶋が艶然と笑む。秦のことを話しているわけでもないのに、このときの中嶋は〈女〉に見えた。秦には悪いが、今晩は中嶋だけが相手でよかったと思う。おそらく秦には理解できない感覚を、和彦と中嶋は共有している。
「先生、この世界、背筋を伸ばして生きていけるってのは、それだけで才能なんですよ。どれだけ後ろ暗いものを持っていても、ね。それが、この世界での強さです。腕っ節は二の次ですよ。だから元ホストの俺でも居場所がある」
「……前職はどうあれ、君は今は野心的なヤクザだ。だけどぼくは、この世界にいてもヤクザじゃない。――オンナでいることが今は重い。嫌というわけじゃなく、戸惑っているというか……」
いまさら、と言って中嶋は笑うかと思ったが、そんなことはなかった。それどころか、真剣な顔をしてこんな提案をしてきた。
「だったら、先生の気が少し晴れるよう、俺が協力しますよ」
「えっ?」
「俺の部屋で飲みましょう。今夜は泊まっていってください。そのほうが、ゆっくりと遊べる」
和彦が返事をする前に、すでに中嶋は伝票を手に立ち上がっている。状況がよく呑み込めないまま和彦も立ち上がり、コートを羽織る。
それぞれ相手の立場を慮り、面倒が起きないよう割り勘で支払いを済ませて店を出ると、車を停めてあるという駐車場に向かう。歩きながら、これから中嶋の部屋に行くことを、賢吾にメールで知らせておいた。
中嶋が運転する車の助手席に乗った和彦は、ネオンや街灯、車のライトでまばゆく照らされる街並みを横目に、ぼんやりとあることを考えていた。すると、中嶋が話しかけてくる。
「先生もしかして、迷惑だなー、とか思っています?」
和彦は反射的にシートの上で身じろいでから、慌てて首を横に振る。
「違う、そうじゃないんだっ……。ただ、君の部屋に行くのは、秦が怪我したとき以来だなと思って」
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