血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
486 / 1,268
第22話

(23)

しおりを挟む



「――そういえば先生、もう聞いていますか? 総和会の護衛の件」
 鶏すきの締めとしてうどんまで堪能したところで、唐突に中嶋が切り出してくる。和彦は首を傾げた。
「なんのことだ……?」
「俺もちらっと小耳に挟んだ程度で、まだ本決まりというわけではないみたいですが――」
 中嶋が口にしたのは、思いがけないことだった。和彦の護衛に、総和会の人間をつけるという話が出ているというのだ。総和会が仲介となる仕事も増えてきたため、長嶺組だけに和彦の護衛という負担を押し付けるのは如何なものか、ということらしい。
 長嶺組組長のオンナという立場があるにせよ、表向きは一介の医者でしない和彦を、総和会が気にかけるには相応の理由がある。和彦には、その理由は一つしか思いつかなかった。
 もちろん、耳聡い組関係者も薄々とながら事情を察しているだろう。和彦の目の前にいる青年も例外ではない。
 澄ました顔でウーロン茶を飲み干した中嶋は、これが本題だと言わんばかりに問いかけてきた。
「先生は先日、うちの会長と旅行に出かけたんですよね?」
「……成り行きで。総和会会長直々に誘われて、断る余地があるはずないだろう。……もっとも、それだけじゃないんだが」
「何かあったんですか」
 和彦は自嘲気味に唇を歪める。なんとなくこのとき、アルコールが欲しいなと思った。実は今晩、秦からの食事の誘いに乗ったのは、心に溜まる重苦しい気持ちを一時でも忘れたかったからだ。
 総和会会長の〈オンナ〉になったという事実は、和彦の肩にズシリとのしかかり、その重圧に気持ちが押し潰されてしまいそうだ。
 逃げられないなら、受け入れるしかない。その覚悟はしたつもりだが、長嶺守光という存在を間近に、そして体の内で感じてしまうと、和彦の覚悟など簡単に揺れる。
 昨日、車内で受けた守光の愛撫が、まだ下肢に絡みついているようだ。我ながら忌々しいほど簡単に、和彦の体は反応した。守光に求められて疼いた欲望と高揚感を否定する気はない。和彦は、求められると弱い。特に、長嶺の男に。
「――……大事に扱われて、怖いんだ。男のくせに、オンナとして囲われているんだ。どれだけ蔑まれて、乱暴に扱われても、ぼく自身は不思議じゃないと思う。だけど現実はそうじゃない。ぼくはそこそこの自由と、十分な報酬と環境を与えられて、大事に守られている。そのことを、いつの間にか当然のように受け入れているんだ」
「医者としての先生の腕も買われているんですよ」
「だとしても、ぼくはまだ経験の浅い美容外科医だ。どんな手術もこなせる腕も知識もない」
「だったら、佐伯和彦という人間に、それだけの価値があるんでしょう。少し前まで堅気だったくせに、妙にこの世界に馴染んで、あっという間に怖い男たちを手懐けた。蔑まれて当然のオンナという立場にいて、そうされないというのは、先生がそれを許さないものを持っているからだ」
 テーブルに頬杖をついた中嶋が艶然と笑む。秦のことを話しているわけでもないのに、このときの中嶋は〈女〉に見えた。秦には悪いが、今晩は中嶋だけが相手でよかったと思う。おそらく秦には理解できない感覚を、和彦と中嶋は共有している。
「先生、この世界、背筋を伸ばして生きていけるってのは、それだけで才能なんですよ。どれだけ後ろ暗いものを持っていても、ね。それが、この世界での強さです。腕っ節は二の次ですよ。だから元ホストの俺でも居場所がある」
「……前職はどうあれ、君は今は野心的なヤクザだ。だけどぼくは、この世界にいてもヤクザじゃない。――オンナでいることが今は重い。嫌というわけじゃなく、戸惑っているというか……」
 いまさら、と言って中嶋は笑うかと思ったが、そんなことはなかった。それどころか、真剣な顔をしてこんな提案をしてきた。
「だったら、先生の気が少し晴れるよう、俺が協力しますよ」
「えっ?」
「俺の部屋で飲みましょう。今夜は泊まっていってください。そのほうが、ゆっくりと遊べる」
 和彦が返事をする前に、すでに中嶋は伝票を手に立ち上がっている。状況がよく呑み込めないまま和彦も立ち上がり、コートを羽織る。
 それぞれ相手の立場を慮り、面倒が起きないよう割り勘で支払いを済ませて店を出ると、車を停めてあるという駐車場に向かう。歩きながら、これから中嶋の部屋に行くことを、賢吾にメールで知らせておいた。
 中嶋が運転する車の助手席に乗った和彦は、ネオンや街灯、車のライトでまばゆく照らされる街並みを横目に、ぼんやりとあることを考えていた。すると、中嶋が話しかけてくる。
「先生もしかして、迷惑だなー、とか思っています?」
 和彦は反射的にシートの上で身じろいでから、慌てて首を横に振る。
「違う、そうじゃないんだっ……。ただ、君の部屋に行くのは、秦が怪我したとき以来だなと思って」

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

男子寮のベットの軋む音

なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。 そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。 ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。 女子禁制の禁断の場所。

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

処理中です...