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第22話
(14)
しおりを挟む長嶺の本宅に足を踏み入れたとき、和彦は奇妙な違和感を覚えて一瞬戸惑っていた。玄関の風景も、出迎えてくれる組員たちの顔ぶれも変わっていない。だが、何かが変わっていると感じた。
持っていたコートとアタッシェケースを組員に預けて靴を脱ぐ。廊下を歩きながら中庭に目を向けると、きれいに手入れされた庭木たちが、ずいぶん成長しているように感じた。春が近づきつつある証か、色づき始めている。
ほんの何日か本宅へ立ち寄らなかっただけなのだが、こうして中庭の様子を目にすると、ずいぶん足が遠のいていたように思えてくるから不思議だ。
そこで和彦は、自分が感じた違和感の正体をわかった気がした。
総和会会長の〈オンナ〉という立場になって初めて、この家を訪れたのだ。後ろめたさと羞恥が、和彦の心をざわざわと落ち着かなくさせる。覚悟を決めてきたはずだが、それでも、冷静ではいられない。
夕食の準備で慌しいダイニングを素通りして、まっすぐ賢吾の部屋へと向かう。
今日は、賢吾から呼ばれて本宅に立ち寄ったわけではない。クリニックからの帰りに、和彦が言い出したのだ。自分なりに気持ちが落ち着いたと判断し、これ以上、賢吾と顔を合わせない不自然さに耐えられなくなったためだ。
賢吾は、ただ和彦からの反応を待っていた。大蛇の化身のような男らしく、じっと身を潜め、しかし獲物から目を離すことなく――。
冷たい蛇の目が脳裏に浮かび、和彦は小さく身震いする。たまらなく賢吾が怖いくせに、同時に胸の奥では、無視できない妖しい衝動がうねっていた。
賢吾の部屋の前まで行き、呼吸を整えてから声をかける。中からの返事を待って障子を開けると、賢吾はちょうどジャケットを脱いだところだった。反射的に歩み寄った和彦は、賢吾の手からジャケットを受け取る。
「帰ったばかりなのか?」
「いや、三時頃には戻っていたんだが、客と会ったりしていたら、なんとなく着替えるタイミングをなくしてな」
賢吾と自然な会話を交わせるだろうかと、頭であれこれ考えていたのだが、いざとなると身構えるまでもない。いつも通りの会話を交わせていた。和彦はほっと息をつくと、ハンガーにジャケットをかける。
「――ようやく、顔を出す気になったのか?」
背後からかけられた賢吾の言葉に、ピクリと肩を揺らす。和彦は唇を引き結びながらも、小さく頷いた。
「最近の先生の行動は、ちょっと俺にも読めねーな。俺は昔から、女心ってやつを解しようなんて気は毛頭なかったが、〈オンナ心〉となると別だ。先生が本宅を――俺を避けている間、じっくりと先生の気持ちについて考えていた」
「別にあんたを避けていたわけじゃっ――」
振り返った和彦がムキになって反論しようとしたが、彫像のような笑みを浮かべている賢吾の顔を見た途端、何も言えなくなった。冷たく残酷な表情だと思ったからだ。
和彦が見ている前で、賢吾はネクタイを解く。そのネクタイを受け取り、手で弄びながら言い訳めいたことを言っていた。
「……一人で考えたいことがあったんだ。旅行に行って疲れてもいたし」
「秘密を抱えた先生は、艶を増す。そんな先生をずっと眺めていたい気もするが、反面、その秘密を暴いてやりたくてウズウズもする。俺の〈オンナ〉が隠し事をしているなんざ、許せなくなるんだ。先生に関することでは、俺はどうも、狭量な男になるらしい」
甘い言葉を囁いているようだが、これは賢吾なりの恫喝だ。静かに息を呑んだ和彦は、改めて賢吾の怖さを噛み締める。最初から自分の意見をまくし立てられるとは思っていなかったが、すでにもう賢吾のペースに巻き込まれていた。
言いたいことが何も言えなくなりそうな危惧を抱いたとき、障子の向こうから声をかけられる。組員がお茶とおしぼりを運んできたのだ。
賢吾に言われるまま座卓についた和彦は、ふっと息を吐き出す。
「俺は少し意外だったんだ」
お茶を置いた組員が部屋を出て行くと、ワイシャツのボタンを外しながら賢吾が言う。
「意外って……」
「先生が、俺に相談なくオヤジと旅行に行くと決めたことが」
「……あんたの面子を潰したか?」
「組長のオンナらしくなったな。俺の面子を気にかけてくれるなんて」
手を拭いたおしぼりを賢吾に投げつけたが、余裕で受け止められ、あっさり投げ返された。和彦はやっと笑みをこぼすと、慎重に言葉を選びつつ話す。
「――違う場所の空気を吸ってみたかったんだ。自分ではそのつもりだったけど、会長には、複雑な人間関係から距離を置いてみたかったんじゃないかと言われた」
「先生の人間関係を複雑にしている原因の一つのくせに、よく言えるもんだ。あのジジイは」
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