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第22話
(12)
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かつて守光は、総和会会長の立場では、長嶺組の〈身内〉の処遇について命令はできないと言った。今ならこれが、言葉のうえだけの建前でしかないと理解できる。命令はしなくとも、和彦が選択するよう仕向ければいいだけの話なのだ。そして和彦は、選んだ。
男たちの思惑に搦め取られていくうちに、果たして自分はどこに行き着くのか。
考えたところでわかるはずもなく、それがまた和彦の気分を沈み込ませる。何か、しっかりとした支えに掴まっていなければ、今度こそ気持ちを立て直せない危惧すら抱いてしまう。
一度は横になりながらも眠れる心境ではなく、結局和彦は寝室を出る。コーヒーでも入れようかとキッチンに行きはしたものの、カップを出そうとしたところで動きを止める。
一瞬にして芽生えた衝動を必死に抑えようとしたが、できなかった。手早く服を着替えると、財布と部屋の鍵を掴んで玄関を出た。
部屋に引き返したほうがいいと、頭の片隅で弱々しく理性の声がする。しかしそんな声で足を止められるはずもなく、和彦はエレベーターに乗り込む。
マンションを出たときには、これが最初で最後だからと、自分自身に言い訳をしていた。
周囲をうかがいながら小走りで向かったのは、近くのコンビニだった。正確には、コンビニの外に設置された公衆電話に用がある。家から電話をかけると、盗聴器を通して会話を聞かれる恐れがあった。
つまり、組の人間に聞かれたくない電話をかけたいのだ。
慎重に辺りを見回してから受話器を取り上げる。電話番号は、携帯電話に登録したり、メモを手元に残しておくわけにもいかず、頭に叩き込んであった。
番号を押し、呼び出し音を五回聞いたところで受話器を置こうと、心の中で決める。これで、もう縁は切れたのだと諦められると、和彦は思った。
しかし決意とは裏腹に、〈彼〉との縁はそう脆いものではなかったようだ。
三回目の呼び出し音が鳴る前に、あっさりと彼が――里見が電話に出た。
『もしもし?』
電話越しに里見の声を聞いた瞬間、和彦の胸は切なく締め付けられる。自分が高校生だった頃の感覚に引き戻されるが、その一方で、自分の今の生活が脳裏を過ぎる。先日里見と会ってから、さほど日は経っていないというのに、和彦の置かれた状況はますます複雑に、物騒になった。
なんといっても、総和会会長のオンナになったのだ。
和彦が咄嗟に声を出せないでいると、それで里見は察するものがあったのか、いくらか声を潜めて尋ねてきた。
『もしかして、和彦くんか?』
「……こんな時間にごめん、里見さん」
返ってきたのは、安堵したような息遣いだった。
『気にしなくていい。こうして電話をくれたんだ。それだけで嬉しいよ』
里見の穏やかな声につい笑みをこぼしかけた和彦だが、ふとある光景が蘇り、顔が強張った。精神的に塞ぎ込んでいた原因は、何も守光のことだけではない。守光からの旅行の誘いに乗ったとき、和彦の気持ちはすでに不安定だったのだ。
『もう二度と、君の声を聞けないんじゃないかと、気が気じゃなかったんだ。それが、こんなに早く連絡をくれるなんて、嬉しいよ』
「本当は、連絡を取るつもりはなかったんだ。……里見さんに迷惑をかけるのが怖かったから。でも、だとしたら、あなたはもっと心配するんじゃないかとも思った」
『その通り。わたしは今の君について、何も知らないからね。ずっと心配していた』
ここで一度、沈黙が訪れる。和彦は急に寒さが気になり、冷たくなった指先を首筋に押し当てる。せめて手袋ぐらいしてくるべきだったかもしれない。
『――……公衆電話からかけているみたいだけど、寒くないか?』
「寒いけど、外から電話をかける必要があったんだ。携帯も……使えない」
『それは、わたしのことを用心しているのか、それとも君が置かれている環境のせいで、そこまでしないといけないのか。どっちだい?』
「両方だよ。ぼくは、佐伯家と繋がりのある里見さんを警戒している。それに、今ぼくの周囲にいる人間は用心深いんだ」
並んで歩いていた里見と英俊の姿が、脳裏をちらつく。ただ、そんな場面を見たと里見に言うわけにもいかない。
『それは……君を手放したくないからこその、用心深さかい?』
「そうだよ。ここでは大事にされている。それに、必要とされている」
『佐伯家での君を知っているわたしからしたら、胸が痛むね。その言葉は。率直に言って君は、佐伯家に必要とされている人間じゃなかった』
口調は穏やかながら、里見の言葉は切りつけてくるように鋭い。だが、事実だ。
「……あの家は、兄さんだけがいればよかったんだ。実際兄さんは有能だし、父さんと考え方もよく似ている。佐伯家を継ぐに相応しい人だよ」
男たちの思惑に搦め取られていくうちに、果たして自分はどこに行き着くのか。
考えたところでわかるはずもなく、それがまた和彦の気分を沈み込ませる。何か、しっかりとした支えに掴まっていなければ、今度こそ気持ちを立て直せない危惧すら抱いてしまう。
一度は横になりながらも眠れる心境ではなく、結局和彦は寝室を出る。コーヒーでも入れようかとキッチンに行きはしたものの、カップを出そうとしたところで動きを止める。
一瞬にして芽生えた衝動を必死に抑えようとしたが、できなかった。手早く服を着替えると、財布と部屋の鍵を掴んで玄関を出た。
部屋に引き返したほうがいいと、頭の片隅で弱々しく理性の声がする。しかしそんな声で足を止められるはずもなく、和彦はエレベーターに乗り込む。
マンションを出たときには、これが最初で最後だからと、自分自身に言い訳をしていた。
周囲をうかがいながら小走りで向かったのは、近くのコンビニだった。正確には、コンビニの外に設置された公衆電話に用がある。家から電話をかけると、盗聴器を通して会話を聞かれる恐れがあった。
つまり、組の人間に聞かれたくない電話をかけたいのだ。
慎重に辺りを見回してから受話器を取り上げる。電話番号は、携帯電話に登録したり、メモを手元に残しておくわけにもいかず、頭に叩き込んであった。
番号を押し、呼び出し音を五回聞いたところで受話器を置こうと、心の中で決める。これで、もう縁は切れたのだと諦められると、和彦は思った。
しかし決意とは裏腹に、〈彼〉との縁はそう脆いものではなかったようだ。
三回目の呼び出し音が鳴る前に、あっさりと彼が――里見が電話に出た。
『もしもし?』
電話越しに里見の声を聞いた瞬間、和彦の胸は切なく締め付けられる。自分が高校生だった頃の感覚に引き戻されるが、その一方で、自分の今の生活が脳裏を過ぎる。先日里見と会ってから、さほど日は経っていないというのに、和彦の置かれた状況はますます複雑に、物騒になった。
なんといっても、総和会会長のオンナになったのだ。
和彦が咄嗟に声を出せないでいると、それで里見は察するものがあったのか、いくらか声を潜めて尋ねてきた。
『もしかして、和彦くんか?』
「……こんな時間にごめん、里見さん」
返ってきたのは、安堵したような息遣いだった。
『気にしなくていい。こうして電話をくれたんだ。それだけで嬉しいよ』
里見の穏やかな声につい笑みをこぼしかけた和彦だが、ふとある光景が蘇り、顔が強張った。精神的に塞ぎ込んでいた原因は、何も守光のことだけではない。守光からの旅行の誘いに乗ったとき、和彦の気持ちはすでに不安定だったのだ。
『もう二度と、君の声を聞けないんじゃないかと、気が気じゃなかったんだ。それが、こんなに早く連絡をくれるなんて、嬉しいよ』
「本当は、連絡を取るつもりはなかったんだ。……里見さんに迷惑をかけるのが怖かったから。でも、だとしたら、あなたはもっと心配するんじゃないかとも思った」
『その通り。わたしは今の君について、何も知らないからね。ずっと心配していた』
ここで一度、沈黙が訪れる。和彦は急に寒さが気になり、冷たくなった指先を首筋に押し当てる。せめて手袋ぐらいしてくるべきだったかもしれない。
『――……公衆電話からかけているみたいだけど、寒くないか?』
「寒いけど、外から電話をかける必要があったんだ。携帯も……使えない」
『それは、わたしのことを用心しているのか、それとも君が置かれている環境のせいで、そこまでしないといけないのか。どっちだい?』
「両方だよ。ぼくは、佐伯家と繋がりのある里見さんを警戒している。それに、今ぼくの周囲にいる人間は用心深いんだ」
並んで歩いていた里見と英俊の姿が、脳裏をちらつく。ただ、そんな場面を見たと里見に言うわけにもいかない。
『それは……君を手放したくないからこその、用心深さかい?』
「そうだよ。ここでは大事にされている。それに、必要とされている」
『佐伯家での君を知っているわたしからしたら、胸が痛むね。その言葉は。率直に言って君は、佐伯家に必要とされている人間じゃなかった』
口調は穏やかながら、里見の言葉は切りつけてくるように鋭い。だが、事実だ。
「……あの家は、兄さんだけがいればよかったんだ。実際兄さんは有能だし、父さんと考え方もよく似ている。佐伯家を継ぐに相応しい人だよ」
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