血と束縛と

北川とも

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第22話

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「おはよう。まだ横になっていてもかまわんよ。わしはこれから外を散歩して、露天風呂に入ってくる。朝食はそれからだ」
 そうは言われても、起き抜けに強烈なものを見てしまい、眠気など一気に吹き飛んでしまった。
 いままで守光を畏怖していたが、それは総和会会長という肩書きに対するものだったのだと実感する。九尾の狐の刺青を目にして、長嶺守光という男の一端に触れ、改めて畏怖していた。その一方で、人間としての輪郭が見えてきて、心惹かれるものがあった。
 守光はかつて和彦を、抗えない力に対して逆らわず、巧く身を委ねると表現したことがある。自覚がないまま、この本能を発揮した結果が、この心境の変化なのかもしれない。
「ぼくも――」
 声を発した自分自身に驚きつつも、和彦は言葉を続ける。
「ぼくも、散歩にご一緒していいですか?」
 守光は口元に薄い笑みを浮かべて頷いた。
「大歓迎だ、先生」


 シートに体を預けた和彦は、ウィンドーの外の景色をぼんやりと眺めていた。駅からの景色は見慣れたもので、陽射しが降り注いではいるが、通りを歩く人はまだ厚着が多い。ほんの数時間前まで滞在していた場所とは明らかに気温が違う。
 ただ、見慣れた景色に和彦はほっとしていた。帰ってきたのだと実感もしていた。
 状況に流されるように守光に同行した一泊旅行に、最初はどうなることかと危惧を抱いていたが、もうすぐ終わるのかと思うと、少しだけ名残惜しさがあった。
 緊張はしたし、終始人目を気にして居心地の悪い思いもしたが、その分、総和会の男たちに丁寧に接してもらい、気遣ってもらった。特に、守光には。
 懐柔されつつあると、頭の片隅で冷静に分析はしているのだ。和彦など、裏の世界では小さな存在だ。それでも大事にされるのは、組織に対して協力的な医者であることと、長嶺の男たちと関係を持っているからだ。
 そんな和彦を男たちは容赦なく、裏の世界の深みへと引きずり込み、逃すまいとしている。
 怖くはあるが、嫌ではないと感じている時点で、この世界にしっかりと染まっている証だ。
「――さすがに疲れただろう」
 外に目を遣ったまま、じっと考え込んでいた和彦に、隣に座っている守光が声をかけてくる。てっきり駅で別れるものだと思っていたのだが、こうして同じ車に乗り、マンションまで送ってもらっている途中だ。
「あっ、いえ……。ぼくはのんびりとさせていただきましたから。疲れるようなことは、何も……」
「そうは言っても、気疲れはしただろう。それに、せっかくの土日をこんなジジイにつき合わされたんだ。せめて今夜は、よく休みなさい。明日からクリニックで仕事だろう」
 守光の物言いに、和彦は曖昧な表情で返す。冗談めかしてはいるが、守光と過ごした一泊二日の時間は濃密だった。交わした会話も、行われた淫靡な行為も、何もかもが。
 胸の奥で妖しい衝動がゾロリと蠢き、急に落ち着かない気分となった和彦はシートに座り直す。本当はドアのほうに身を寄せ、守光からわずかでも距離を置きたかったが、そこまで露骨なこともできない。
 髪を掻き上げ、意味なく腕時計で時間を確認し、なんとか気を紛らわせようとするが、横顔に守光の視線を感じる。
 沈黙では間が持たず、とにかく会話をと思った和彦は、半ば反射的に背後を振り返った。二人が乗った車の前後には、護衛の車がぴったりと張り付いている。後続車には南郷が乗っていた。
「南郷が気になるかね」
 守光の言葉に、和彦は微かに肩を揺らす。
「……いえ。ただ、会長の身近にいるのが南郷さんだとうかがっていたので、この車に同乗しなかったのが不思議で」
「あんたは、あの男が苦手だろう?」
 和彦が返事に詰まると、守光は低く笑い声を洩らした。
「クセのある男だからな。いかにも極道らしい外見をして、言動は筋金入りの極道だ。ただ――それだけの男じゃない。わしがずっと目をかけてきたのは、それなりの理由がある。南郷は、賢吾にはないものを持っている。わしはそれが気に入っているんだ」
「すみません……。彼に失礼な態度を取ってしまって」
「かまわんよ。賢吾と――長嶺の男と相性がよければよいほど、その男たちとは対照的な姿で、極道の世界を生き抜いている南郷は、合わんだろう」
 ここで、守光の腕がそっと肩に回される。身を強張らせた和彦は、何事かと思って守光を見る。じっとこちらを見据えてくる守光の目は、冷徹な光を湛えていた。静かでありながら凄みのある表情は、今朝見たばかりの守光の背にいる九尾の狐を彷彿とさせる。
「ただ、あんたには慣れてもらわないと」
「……慣れる、ですか?」
「そうだ。南郷にも、総和会のやり方にも。何より、わしに」

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