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第22話
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そう言う南郷の表情に、一瞬の嘲りが浮かんだのを見逃さなかった。南郷は、虚勢であるにせよ和彦の強気の理由を知っている。長嶺の男たちによる庇護だ。しかもそれを、医者としての腕ではなく、体によって得ているのだ。
和彦は何も言わず背を向け、部屋に戻ろうとする。その背に向けて南郷が声をかけてきた。
「あとで、部屋にコーヒーでも運ばせる。俺はあまり気が利く男じゃないが、オヤジさんが戻ってくるまで、しっかり面倒を見させてもらおう」
仕方なく振り返った和彦は、最低限の礼儀として小さく頭を下げた。
緊張して夕食が喉を通らないのではないかと危惧していた和彦だが、食前酒のワインを飲んでから、生湯葉に箸をつけると、驚くほど食欲が湧いた。
鴨肉のソテーを口に運ぶ頃には気分も和らぎ、つい顔を綻ばせる。すると、正面に座っている守光が口元に笑みを湛えた。
「どうやら、口に合ったようだ」
守光の言葉に、そんなに素直に顔に出ていたのだろうかと思いながら和彦は頷く。
「美味しいです、すごく……」
この旅館は、食事は各自の部屋に運ばれるのではなく、別棟にある食事処に客が出向き、個室でとる形をとっている。総和会の人間たちも同席するのかと思ったが、現在、個室には和彦と守光の二人だけだ。個室の外に数人の人間が控えており、相変わらず守光の護衛についている。
「――南郷から、何か礼を欠いたことでも言われたかね」
豆腐を掬った守光にさりげなく問われ、一瞬動きを止めてしまう。肯定したようなものだった。思わず和彦が苦い顔をすると、守光は声を洩らして笑った。
「許してやってくれ。あれは、礼儀作法はしっかりとしているんだが、気になる相手にはどうしても突っかかるような言動を取る。そうやって、相手を見定める――いや、もっと露骨だな。値踏みする」
「値踏み、ですか?」
「あんたのことが、気になって仕方ないんだ。なんといっても、長嶺の男〈たち〉を骨抜きにしている人だ」
守光から静かな眼差しを向けられ、瞬間的に和彦の体は熱くなる。この場から逃げ出したくなったが、そんな無礼なことができるはずもなく、一人うろたえるしかない。
ちょうどいいタイミングというべきか、次の料理として地魚の造りが運ばれてきて、座卓の上に並べられる。近くに海があるということで、運ばれてくる料理は魚介類も豊富だ。
「そういえば、南郷の隊にいる若い者と、親しくしていると聞いたんだが……。確か、中嶋と言ったか」
ピクリと肩を揺らした和彦は、ぎこちなく視線を伏せる。
「ええ……。ぼくが総和会から回ってくる仕事をこなすようになったとき、彼が運転手を。そのときから、よくしてもらっています。中嶋くんが一緒だと、賢吾さんも夜出かけるのを許可してくれますし」
「いい遊び相手、といったところか」
先日の、中嶋と秦との行為が蘇り、下がりかけた体の熱がまた上がる。守光は、中嶋との特殊な関係も把握しているのだろうかと考えはしたが、もちろん問いかけることなどできない。
「うちの者と、どんどんつき合ってやってくれ。なんといってもあんたは、長嶺組だけではなく、総和会とも縁を持つ人間だ。――この世界に足を踏み入れて一年経つのを機に、総和会が取り仕切る行事にも顔を出してみないかね?」
食事をしながらの守光の提案は自然で、押し付けがましさも強引さもなかった。ただしそれは、和彦があくまで、長嶺守光として向き合っているからだろう。総和会の人間として、総和会会長からこんな提案をされたら、断ることなどありえない。提案は、命令として言い換えられるのだ。
「あの、それは――……」
どういう意味かと問おうとしたとき、ジャケットのポケットの中で携帯電話が震えた。慌てて携帯電話を取り出して相手を確認したあと、反射的に守光を見る。ニヤリと笑って返された。
「その顔だと、相手は千尋だろ。かまわんよ。電話に出なさい」
頭を下げた和彦は体ごと横を向くと、声を潜めて電話に出る。
『先生、今何してる?』
他愛ない千尋の質問に、和彦は小さく苦笑を洩らす。
「会長と夕食をとっているところだ」
『いーよなー。豪華なんだろ? 俺なんて、今日は本宅に戻れそうにないから、これからラーメンでも食おうかって話してるところだよ』
「忙しそうだな」
そう応じた和彦は、ふと疑問を感じた。千尋のことなので、仕事絡みとはいえ一泊旅行に行くとなれば、自分も行くと言い出すのは目に見えている。かつて守光は、千尋をゴルフ旅行に同行させていたので、今回もそうしても不思議ではなかったが、状況は今電話で聞かされた通りだ。
おかげで和彦は、千尋ですら邪魔できない場所で、こうして守光と向き合っている。
和彦は何も言わず背を向け、部屋に戻ろうとする。その背に向けて南郷が声をかけてきた。
「あとで、部屋にコーヒーでも運ばせる。俺はあまり気が利く男じゃないが、オヤジさんが戻ってくるまで、しっかり面倒を見させてもらおう」
仕方なく振り返った和彦は、最低限の礼儀として小さく頭を下げた。
緊張して夕食が喉を通らないのではないかと危惧していた和彦だが、食前酒のワインを飲んでから、生湯葉に箸をつけると、驚くほど食欲が湧いた。
鴨肉のソテーを口に運ぶ頃には気分も和らぎ、つい顔を綻ばせる。すると、正面に座っている守光が口元に笑みを湛えた。
「どうやら、口に合ったようだ」
守光の言葉に、そんなに素直に顔に出ていたのだろうかと思いながら和彦は頷く。
「美味しいです、すごく……」
この旅館は、食事は各自の部屋に運ばれるのではなく、別棟にある食事処に客が出向き、個室でとる形をとっている。総和会の人間たちも同席するのかと思ったが、現在、個室には和彦と守光の二人だけだ。個室の外に数人の人間が控えており、相変わらず守光の護衛についている。
「――南郷から、何か礼を欠いたことでも言われたかね」
豆腐を掬った守光にさりげなく問われ、一瞬動きを止めてしまう。肯定したようなものだった。思わず和彦が苦い顔をすると、守光は声を洩らして笑った。
「許してやってくれ。あれは、礼儀作法はしっかりとしているんだが、気になる相手にはどうしても突っかかるような言動を取る。そうやって、相手を見定める――いや、もっと露骨だな。値踏みする」
「値踏み、ですか?」
「あんたのことが、気になって仕方ないんだ。なんといっても、長嶺の男〈たち〉を骨抜きにしている人だ」
守光から静かな眼差しを向けられ、瞬間的に和彦の体は熱くなる。この場から逃げ出したくなったが、そんな無礼なことができるはずもなく、一人うろたえるしかない。
ちょうどいいタイミングというべきか、次の料理として地魚の造りが運ばれてきて、座卓の上に並べられる。近くに海があるということで、運ばれてくる料理は魚介類も豊富だ。
「そういえば、南郷の隊にいる若い者と、親しくしていると聞いたんだが……。確か、中嶋と言ったか」
ピクリと肩を揺らした和彦は、ぎこちなく視線を伏せる。
「ええ……。ぼくが総和会から回ってくる仕事をこなすようになったとき、彼が運転手を。そのときから、よくしてもらっています。中嶋くんが一緒だと、賢吾さんも夜出かけるのを許可してくれますし」
「いい遊び相手、といったところか」
先日の、中嶋と秦との行為が蘇り、下がりかけた体の熱がまた上がる。守光は、中嶋との特殊な関係も把握しているのだろうかと考えはしたが、もちろん問いかけることなどできない。
「うちの者と、どんどんつき合ってやってくれ。なんといってもあんたは、長嶺組だけではなく、総和会とも縁を持つ人間だ。――この世界に足を踏み入れて一年経つのを機に、総和会が取り仕切る行事にも顔を出してみないかね?」
食事をしながらの守光の提案は自然で、押し付けがましさも強引さもなかった。ただしそれは、和彦があくまで、長嶺守光として向き合っているからだろう。総和会の人間として、総和会会長からこんな提案をされたら、断ることなどありえない。提案は、命令として言い換えられるのだ。
「あの、それは――……」
どういう意味かと問おうとしたとき、ジャケットのポケットの中で携帯電話が震えた。慌てて携帯電話を取り出して相手を確認したあと、反射的に守光を見る。ニヤリと笑って返された。
「その顔だと、相手は千尋だろ。かまわんよ。電話に出なさい」
頭を下げた和彦は体ごと横を向くと、声を潜めて電話に出る。
『先生、今何してる?』
他愛ない千尋の質問に、和彦は小さく苦笑を洩らす。
「会長と夕食をとっているところだ」
『いーよなー。豪華なんだろ? 俺なんて、今日は本宅に戻れそうにないから、これからラーメンでも食おうかって話してるところだよ』
「忙しそうだな」
そう応じた和彦は、ふと疑問を感じた。千尋のことなので、仕事絡みとはいえ一泊旅行に行くとなれば、自分も行くと言い出すのは目に見えている。かつて守光は、千尋をゴルフ旅行に同行させていたので、今回もそうしても不思議ではなかったが、状況は今電話で聞かされた通りだ。
おかげで和彦は、千尋ですら邪魔できない場所で、こうして守光と向き合っている。
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