血と束縛と

北川とも

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第21話

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 ふっとそんなことを考えた和彦は、美容外科医としての義務感から、自分も縫合を手伝うと申し出る。どうせ、近いうちに指紋偽造の手術を手がけることになるなら、今のうちに手を血で染めてしまったほうがいいと思ったのだ。
 和彦には、のちのち臆する自分の姿が見える。そのとき悩み苦しむぐらいなら、今、〈義務〉を果たして、自分の立場を賢吾や総和会に示しておくべきだろう。
 この世界で守られている限り、課された仕事は果たす、という立場を。


 和彦は、ファミリーレストランで一人食事をしていた。護衛の組員は気を利かせて、離れたテーブルについている。
 無意識のうちに箸で豆腐ハンバーグを崩していることに気づき、慌てて口に運ぶ。さきほど、指紋偽造手術を手伝ったせいか、いつもは直視を避けている罪悪感と、久しぶりの対面を果たしていた。
 この程度の罪悪感の疼きは、想定の範囲内だ。仕事をこなしていくうちに、何も感じなくなる。そう頭では理解しているが、やはりいつも通り食事を平らげるのは、少々無理なようだ。
 もう一つ和彦が気になっているのは、和彦が受けるべき仕事を、賢吾が選別していたということだ。総和会から強い申し入れがなければ、賢吾は和彦に、指紋偽造という仕事をさせたくなかったのかもしれない。
「――……いや、あの男がそんなに、生ぬるいわけがないか……」
 和彦なりに、賢吾の計算高さと狡猾さ、そして容赦のなさを美点として評価している。だからこそ、何か深い考えがあったのではないかと考え――期待してしまう。
 ため息をついた和彦は、今夜はこのまま飲みに行きたい心境だった。誰かつき合ってくれないだろうかと思いながら、傍らに置いたコートのポケットをまさぐり、携帯電話を取り出す。
 ここで初めて、秦からの着信があったことに気づいた。どうやら、和彦が指の皮膚を縫合している頃、かかってきたようだ。マナーモードにしておいたうえに、作業に集中していたため、まったく気づかなかった。
 一体なんの用だろうかと思いつつも、止まりがちだった箸の動きは速くなる。
 食事を終えて外に出ると、すぐに秦の携帯電話に折り返し電話をかけてみた。
『もしかして、仕事中でしたか?』
 いつもと変わらない柔らかな声の秦が出る。前を留めていないコートを掻き合わせて、和彦は駐車場に向かう。
「いや、仕事は終わった。ついさっき携帯を見たら着信が残っていたから、電話をしてみたんだ。何か用か?」
『用というほどじゃありません。ただ、わたしの部屋に中嶋もいるのですが、先生を呼んで一緒に飲みたいなと思いまして』
「……君の部屋で?」
『わたしの部屋だと都合が悪いなら、外で飲んでもかまいませんよ』
 気安くそう言った秦だが、絶妙なタイミングで、和彦の好奇心を刺激するような言葉を付け加えた。
『でも先生には、せっかくなので新しいベッドを見てもらいたいですね』
 ピクリと肩を揺らした和彦は、誰かが聞いているはずもないのに、思わず周囲を見回してしまう。
「中嶋くんが自慢していたぞ。バレンタインデーに、チョコレート代わりに買ったと言って」
『自慢はしていませんよ、先生』
 突然聞こえてきたのは、中嶋の声だ。どうやら秦の傍らで、しっかり二人の会話を聞いていたらしい。和彦は顔を綻ばせる。
「それは悪かった」
『どうしますか? わたしと中嶋は、すごく先生に会いたいですけど』
 意味ありげに囁かれて、和彦の頬はわずかに熱くなる。
 あることを強く意識して、予感もしていながら――いや、予感しているからこそ、和彦は断れなかった。
「――今から行く」
 そう答えると、電話の向こうから秦の柔らかな笑い声が聞こえてきた。
 和彦は車に乗り込むと、組員に行き先を告げる。そして、握ったままだった携帯電話で賢吾に連絡を取った。
『手術に立ち合って、どうだった?』
 前置きなしに賢吾に問われ、和彦は軽く唇を舐める。
「人間の指の皮膚で、パズルをすることになるとは思わなかった」
 和彦の表現に、電話の向こうで賢吾が低く笑い声を洩らす。
『メールじゃなく、電話がかかってきたから、てっきり先生は怒っているのかと思った』
「……どうしてぼくが、あんたに怒るんだ」
『犯罪の片棒を担がせたと言って。指紋の偽造ってのは、どうやったって言い訳ができない。普通じゃ、まず需要のない手術だ。顔の整形手術とはわけが違う。先生は、この世界の深みに、またさらにハマり込んだんだ』
「だから、総和会からの求めになかなか応じなかったのか」
 ハンドルを握る組員が、一瞬バックミラー越しに視線を向けてくる。
『うちの連中は、先生に甘いな。そんなことまで話したのか』
「ぼくが、あんたを責めるかもしれないと心配してくれたんだ。頼むから、組員は責めないでくれ」
『先生も、うちの連中に甘い』
 シートに深く体を預けて、和彦は外に目をやる。こちらから促すまでもなく、賢吾は教えてくれた。
『俺は、先生の柔軟性やしたたかさを評価しているし、愛している。だからこそ、仕事の面で甘やかす気はない。なんといっても、長嶺組組長のビジネスパートナーだ。――先生の医者としての腕は、できることなら長嶺組で囲い込みたかった。だからこそ先生を、総和会に一時預けるという形で、いままでの仕事を受けていたんだ』
「今回は違った?」
『リスクの大きな仕事は、総和会が責任を持って管理すると言っている。総和会全体で、先生の安全を守ってやる。だからこそ、危険な仕事も引き受けろ、ということだ。今晩の手術は、完全に総和会主導だ。手順はいままでと変わらなかっただろうが、裏ではいろいろとあった』
 自分の知らないところで、総和会と賢吾の間でそんなやり取りがあったのかと、和彦は静かに息を呑む。
『オヤジ……総和会会長が、えらく先生を気に入ったようだ。あんなジジイまで骨抜きにするなんざ、本当に性質が悪いオンナだ』
 賢吾の口調には、皮肉げな響きと苦々しさが同居していた。なんとなく心配になった和彦は、ついこんな問いかけをしていた。
「……もしかして、ぼくのことで、会長と揉めたのか……?」
 口にして、なんとも自惚れた発言だと思い、和彦は一人恥じ入る。一方の賢吾は、楽しそうに笑っていた。
『安心しろ。先生が原因で、総和会との仲がこじれることはない。俺もオヤジも、長嶺組が大事、先生が可愛い、という点で一致しているからな』
「何言ってるんだ」
 賢吾が事実を語っているのか、和彦には確かめようがない。一つはっきりしているとすれば、これからも和彦は、回ってくる仕事を淡々とこなすということだけだ。総和会が主導権を握ろうが、物騒な男たちに守ってもらう和彦の立場は変わらない。
『先生、メシは食ったのか』
「食べた。これから――夜遊びに行くところだ」
『誰に相手をしてもらうんだ?』
 和彦はぎこちなく息を吸い込み、意識して平坦な声で答えた。
「――……秦と、中嶋くんに……」
『楽しんでこい』
 そう言った賢吾の声にゾクリとするような疼きを感じ、和彦は小さく身震いした。

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