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第21話
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話しながら賢吾は、和彦の腕の内側や、脇の下に触れてくる。
「隠し彫りを知っているか? 普段の生活をしていたらまったく人目に触れない部分に、刺青を彫ることを言うんだ。目にできるのは、特別な関係を持つ相手だけだ。先生なら……何人の男が見ることになるだろうな」
和彦はやっと確信する。刺青のことを語るとき、賢吾の欲望がひときわ力強く脈打ち、大きくなることを。
「……見えようが、見えまいが、ぼくは刺青は入れない」
「頑固だな、先生」
「当然のことを主張しているだけだ」
賢吾はニヤリと笑い、和彦の髪を撫でてくる。頭を引き寄せられて肩に額を押し当てると、賢吾の手は背に滑り落ちた。この瞬間、和彦はヒヤリとするものを感じた。
「先生が本気で嫌がることはしないつもりだが、それも場合による。――先生が浮気したら、背中に刺青を入れるというのはどうだ?」
和彦は顔を強張らせる。唐突に何を言い出すのかと思ったが、少なからず和彦には身に覚えがあった。賢吾に隠して、里見と密会したことだ。ただ会話を交わしただけだというのは、言い訳にならないだろう。なんといっても和彦は、里見の存在をいまだに賢吾に報告していない。
もしかして鷹津が何か洩らしたのだろうかとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。
「いっそのこと浮気をしてくれたら、堂々とこの背中に刺青を彫れるのにな……」
「ぼくに、浮気を推奨しているのか?」
「なんだ、先生。男には不自由させていないつもりだが、まだ男が欲しいのか」
あまりな言われように、和彦は顔を上げて賢吾を睨みつける。すかさず唇を吸われ、そのまま舌を絡め合った。
「俺が認めた男と寝るのはかまわねーが、まず俺をたっぷり満足させろ。それが、オンナの役割だ。その代わり、俺がオンナを満足させてやる。そうだろ?」
賢吾の熱い吐息が唇にかかる。執着という熱に内から溶かされそうになりながら、和彦も熱い吐息を洩らして応えた。
「――……ああ」
クリニックを閉めた和彦は、慌しく迎えの車に乗り込む。今日もジムに行こうかと思っていたが、帰る間際になって突然組から連絡が入り、ある場所に向かってほしいと言われたのだ。
緊急の患者かとも考えたが、そうではないようだ。移動する車の中で、組員から事情を説明してもらったが、今日は患者の治療をするわけではなく、他の医者が治療するところを見てほしいと言うものだった。
車が停まったのは、見覚えのあるビルの前だった。夕方のビジネス街ということで、多くの人たちの往来がある中、何食わぬ顔をしてビルに入る。
前に訪れたことがある廃業した歯科クリニックに足を踏み入れると、堅気には見えない男二人が、所在なさげに待合室のソファに腰掛けていた。和彦についてきた護衛の組員が一声かけ、和彦は奥の処置室へと案内される。
ちょうど、処置中だった。ただし、怪我の治療をしているわけではないと、一目見てわかった。
「もしかして……」
和彦がぽつりと洩らすと、隣に立った組員が頷く。
「指紋の偽造手術です。実は前々から、先生にこの手術を手がけてほしいという話はきていました。組長は、焦る必要はないというお考えだったのですが、最近になって総和会から組長へ直接、強い申し入れがあったそうです」
「なるほど。それで今日は、ぼくのための勉強会ということか」
そんなつもりはなかったが、和彦の口調は苦々しいものとなる。いままで何人もの組員を診てきて、治療もしている。その中には、警察への報告義務が生じるような類の怪我や症状もあったが、当然和彦は、報告などしていない。恵まれた生活を送る見返りとして、相応の危険を冒しているのだ。
今、目の前で繰り広げられている光景も、その危険の一つだ。和彦の知らないところで賢吾は遠ざけようとしていたようだが、今の生活を送っている限り、いつかは負わなくてはならない〈義務〉だ。
コートを脱いだ和彦は手を消毒してから、手袋をする。用意されている手術用のルーペを装着すると、手術の様子を間近から観察する。
指紋の形を変えるため、両手の指から皮膚を一部切除し、別の指の皮膚と入れ替えるのだ。手術そのものはさほど難しくはないが、指の腹に無残な傷跡を残したくないなら、やはり美容外科医が持つ技術が一番必要かもしれない。日ごろ、患者の顔や体に傷跡を残さないよう細心の注意を払っており、そうやって身につけた技術は、指紋の偽造でも発揮される。
総和会が、和彦にこの手術も手がけるよう求めたというのは、そういう理由からだろう。
それとも、和彦をよりこの世界の深みに引きずり込み、共犯者としての立場を強くするためなのか――。
「隠し彫りを知っているか? 普段の生活をしていたらまったく人目に触れない部分に、刺青を彫ることを言うんだ。目にできるのは、特別な関係を持つ相手だけだ。先生なら……何人の男が見ることになるだろうな」
和彦はやっと確信する。刺青のことを語るとき、賢吾の欲望がひときわ力強く脈打ち、大きくなることを。
「……見えようが、見えまいが、ぼくは刺青は入れない」
「頑固だな、先生」
「当然のことを主張しているだけだ」
賢吾はニヤリと笑い、和彦の髪を撫でてくる。頭を引き寄せられて肩に額を押し当てると、賢吾の手は背に滑り落ちた。この瞬間、和彦はヒヤリとするものを感じた。
「先生が本気で嫌がることはしないつもりだが、それも場合による。――先生が浮気したら、背中に刺青を入れるというのはどうだ?」
和彦は顔を強張らせる。唐突に何を言い出すのかと思ったが、少なからず和彦には身に覚えがあった。賢吾に隠して、里見と密会したことだ。ただ会話を交わしただけだというのは、言い訳にならないだろう。なんといっても和彦は、里見の存在をいまだに賢吾に報告していない。
もしかして鷹津が何か洩らしたのだろうかとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。
「いっそのこと浮気をしてくれたら、堂々とこの背中に刺青を彫れるのにな……」
「ぼくに、浮気を推奨しているのか?」
「なんだ、先生。男には不自由させていないつもりだが、まだ男が欲しいのか」
あまりな言われように、和彦は顔を上げて賢吾を睨みつける。すかさず唇を吸われ、そのまま舌を絡め合った。
「俺が認めた男と寝るのはかまわねーが、まず俺をたっぷり満足させろ。それが、オンナの役割だ。その代わり、俺がオンナを満足させてやる。そうだろ?」
賢吾の熱い吐息が唇にかかる。執着という熱に内から溶かされそうになりながら、和彦も熱い吐息を洩らして応えた。
「――……ああ」
クリニックを閉めた和彦は、慌しく迎えの車に乗り込む。今日もジムに行こうかと思っていたが、帰る間際になって突然組から連絡が入り、ある場所に向かってほしいと言われたのだ。
緊急の患者かとも考えたが、そうではないようだ。移動する車の中で、組員から事情を説明してもらったが、今日は患者の治療をするわけではなく、他の医者が治療するところを見てほしいと言うものだった。
車が停まったのは、見覚えのあるビルの前だった。夕方のビジネス街ということで、多くの人たちの往来がある中、何食わぬ顔をしてビルに入る。
前に訪れたことがある廃業した歯科クリニックに足を踏み入れると、堅気には見えない男二人が、所在なさげに待合室のソファに腰掛けていた。和彦についてきた護衛の組員が一声かけ、和彦は奥の処置室へと案内される。
ちょうど、処置中だった。ただし、怪我の治療をしているわけではないと、一目見てわかった。
「もしかして……」
和彦がぽつりと洩らすと、隣に立った組員が頷く。
「指紋の偽造手術です。実は前々から、先生にこの手術を手がけてほしいという話はきていました。組長は、焦る必要はないというお考えだったのですが、最近になって総和会から組長へ直接、強い申し入れがあったそうです」
「なるほど。それで今日は、ぼくのための勉強会ということか」
そんなつもりはなかったが、和彦の口調は苦々しいものとなる。いままで何人もの組員を診てきて、治療もしている。その中には、警察への報告義務が生じるような類の怪我や症状もあったが、当然和彦は、報告などしていない。恵まれた生活を送る見返りとして、相応の危険を冒しているのだ。
今、目の前で繰り広げられている光景も、その危険の一つだ。和彦の知らないところで賢吾は遠ざけようとしていたようだが、今の生活を送っている限り、いつかは負わなくてはならない〈義務〉だ。
コートを脱いだ和彦は手を消毒してから、手袋をする。用意されている手術用のルーペを装着すると、手術の様子を間近から観察する。
指紋の形を変えるため、両手の指から皮膚を一部切除し、別の指の皮膚と入れ替えるのだ。手術そのものはさほど難しくはないが、指の腹に無残な傷跡を残したくないなら、やはり美容外科医が持つ技術が一番必要かもしれない。日ごろ、患者の顔や体に傷跡を残さないよう細心の注意を払っており、そうやって身につけた技術は、指紋の偽造でも発揮される。
総和会が、和彦にこの手術も手がけるよう求めたというのは、そういう理由からだろう。
それとも、和彦をよりこの世界の深みに引きずり込み、共犯者としての立場を強くするためなのか――。
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