血と束縛と

北川とも

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第20話

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 三田村が言うところの『世俗的なイベント』を、和彦は無視できなくなっていた。誕生日を祝ってくれた男たちに対して、ささやかなお返しをしようと考えたとき、これ以上ない口実として利用できるからだ。
 仕事を終え、いつもより早めにクリニックを閉めた和彦は、組員に頼んでデパートへと寄ってもらう。
 そこで、自分の考えがチョコレートよりも甘いことを痛感させられた。
 バレンタインデー前日のデパートのチョコレート売り場は、目を瞠る混雑ぶりだ。
 こんなときだからこそ、豊富な種類が揃ったチョコレートをじっくり見て回ろうと思っていたが、ショーケースに近づくのも苦労しそうだ。とにかく女性客でごった返しており、心なしか殺気立っているようにも感じる。
 すでに他のフロアで買い物を済ませた和彦だが、さすがにこのフロアでの自分の場違いぶりを肌で感じ、怯んでしまう。辺りに漂う甘い香りが、その感覚に拍車をかける。
 当然といえば当然だろう。バレンタインデーのために買い物をするのは、やはり女性だ。もしくは、勇気あるチョコレート好きの男性か。実際、女性客に交じって、ちらほらと男性客の姿もある。
 同性の恋人のために――と勘繰るほど悪趣味ではない和彦は、自分もチョコレート好きなのだと思い込むことで、大勢の女性客の中を進んでいく。
 誰に対する言い訳なのか、自分も食べるから、と心の中で繰り返しつつ、少し値の張るチョコレートをいくつも買い込む。長嶺の本宅に置いておけば、組員の誰かが摘まんでくれるだろう。もちろん、買い込んだチョコレートの中には、〈本命〉に渡すものもある。
 いくつかの袋を手に、和彦はやっと売り場から抜け出す。
 自意識過剰だと思いつつも、途中までは他の客の視線が気になっていたが、買い物好きの気質は、こういうとき便利だ。チョコレート選びに夢中になってしまうと、他人どころではなくなった。どうせ一年に一回のことだと、開き直るのも容易だ。
 肩の荷が下りた気分で歩いていた和彦だが、すぐに歩調を緩め、手にした袋を見下ろす。チョコレートを買って気分が浮ついている一方で、自分のズルさがチクチクと胸に突き刺さる。いつもなら無関心を通すイベントにあえて乗ってみたのは、里見の件を男たちに隠している罪悪感ゆえ、というのが最大の理由だ。
 ただこれは、和彦の胸に仕舞っておけばいいことだ。それだけで、誰も嫌な思いをしなくて済む。
 マフラーを直してデパートを出た途端、冷たい風に顔全体を撫でられる。暖房と熱気で火照っていたため、身を切るような冷気が心地いいと思ったが、それも一瞬だ。次の瞬間には寒さに震え上がり、和彦は急ぎ足で組員が待機している車へと戻る。
 車が走り出すと、ほっと一息をついてマフラーを外す。これでやっと安心して明日を迎えられると、のん気なことを考えていた和彦に、ハンドルを握る組員が遠慮がちに声をかけてきた。
「――……先生、お伝えすることがあるのですが……」
 こういう切り出し方をされるとき、だいたい用件は決まっている。〈誰か〉が、和彦の予定を勝手に決めてしまったときだ。
「本宅に寄れと言うなら、ちょうどよかった――」
「いえ、長嶺会長からです。今、行きつけのクラブにいらっしゃるそうで、先生の都合がつくようなら一緒に飲まないかと。そう、伝言を言付かりました」
 数瞬、和彦は言葉をなくしていた。これまでも守光からの誘いは唐突だったため、こうして誘われること自体に衝撃はない。ただ、先日守光の自宅で一泊したことで、和彦の中で守光の存在は大きく変化した。
 どんな顔をして会えばいいのかと、まずそう思った。動揺と困惑と恐怖、それにわずかな羞恥が胸の奥で入り乱れ、それでも和彦はわかりきった答えを口にする。
「……わかった。このまま向かってくれ」
 それ以外の答えはなかった。守光から誘われたということは、和彦に選択肢は用意されていない。
 強張った息を吐き出すと、ぎこちなくシートに体を預ける。総和会会長の自宅に招かれて一泊しておきながら、今になって和彦は、自分が総和会に深く取り込まれつつあることを実感していた。
 一度の接触はささやかなものかもしれないが、それを重ねることによって和彦の存在が、長嶺組の身内ではなく、総和会の人間として認識されていく可能性もある。長嶺組と総和会は近い組織だが、同じ組織ではない。この二つの組織が反目し合うこともありうる。そう賢吾も言っていた。
 一介の医者でしかない和彦にできることは限られており、逆らえる力は皆無に等しい。ただ、巧く身を委ねるだけだ。
 男たちの機嫌を損ねることなく。そして媚びることなく――。

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