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第20話
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テーブルの下で、鷹津の靴先がくるぶしの辺りを軽く突いてくる。和彦はぐっと唇を引き結び、鷹津の靴先を蹴った。
「あんたに仕事を頼んだ覚えはない。働きって、なんのことだ」
「お前に迫っていた、熊みたいにでかい男のことだ。総和会第二遊撃隊の頭だろ」
眼差しを鋭くした和彦は、鷹津を見据えたまま肉を口に運ぶ。
「名前は、南郷桂。三十九歳という若さだが、けっこうな修羅場を踏んでいる。元は金城組の人間だった。金城組は、今も派手にやっているある連合会の一門だったんだが、分派騒動で力を削ぎ落とされ、後ろ盾を失った。そこに手を差し伸べたのが、当時長嶺組組長だった長嶺守光だ。――これはまあ、得々と語るまでもなく、組の事情に詳しい人間に聞けばわかることだ」
「ぼくは別に、個々の組に興味はない」
「賢い奴だよ、お前は。知らないことが身を守る術だと、よく理解している」
鷹津なりの皮肉かもしれないが、和彦自身、自分のそんな性質をよく自覚していた。この世界で力を持たない人間にとって、小賢しいながらも大事な処世術だ。
表情を変えない和彦の反応に、鷹津は軽く鼻を鳴らして話を続ける。
「俺が暴力団担当から外れている間に頭角を現した男かと思ったが、どうやら長嶺守光は、南郷にずいぶん昔から目をかけているようだな」
鷹津が南郷のことを調べたのなら、自分が持っているささやかな情報を隠しても仕方ないと判断し、和彦は頷く。
「……十代の頃から可愛がってもらっていると言っていた。組を紹介してくれて、総和会にも招き入れてくれて……、実の親より面倒を見てくれたとも」
やっぱり、と鷹津は洩らした。
「三年前に県警を定年退職した男がいるんだ。総和会の幹部と繋がっている、という噂があって、最後まで出世とは無縁な刑事だったが、少なくとも俺より善良だ。その男に会って、知っていることを教えてもらおうとしたが、なかなか口を開かなくて苦労した。いまだに、ヤクザに義理立てしているんだ」
「あんたにとっての『善良』という価値観がどうなっているのか、ぼくには理解できないんだが……」
「細かいことは気にするな」
鷹津がニヤリと笑ったところで、リゾットが運ばれてくる。和彦は布ナプキンで口元を拭ってから、物騒な会話を交わしていたことを感じさせない自然さで水を飲む。
「その男が言ってたんだ。総和会会長は南郷を、自分の息子の影武者にでもする気じゃないかと勘繰る人間がいたと。その男自身は、会長の隠し子なんじゃないかと疑っていたらしい。つまり、それぐらい側に置いて、目をかけているということだ。何が真実なのか、わかっているのは長嶺守光だけだ」
和彦は、南郷の姿を思い返す。守光とも賢吾とも、まったく似ている部分のない顔立ちをしていると思うが、世の中には似ていない親子も兄弟もいくらでもいる。
父親とも兄とも、よく似た部分を持つ和彦にとっては皮肉な話だが。
「十年以上前、南郷は金城組の組員だった頃、長嶺組の組長だった長嶺守光のために汚れ仕事をして、ムショに数年入っていたこともある。長嶺賢吾がヤクザのエリート街道を泥一つ被らず突き進んでいる一方で、南郷は対照的な道を歩んできた。そんなふうに天と地ほど立場がかけ離れていた二人だが、今はどうだ?」
賢吾は長嶺組組長に、南郷は総和会第二遊撃隊を率いる立場にいる。もう、天と地ほど立場が違うとは誰も思わないだろう。
「長嶺守光は何かを企んでいるのか、それとも、たまたまなのか……」
他人の好奇心を刺激するような勘繰りをちらつかせ、鷹津がニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる。鷹津にとってはあくまで他人事なので、あれこれ推測するのはさぞかし楽しいだろう。しかし、和彦はそういうわけにもいかない。険しい目つきで鷹津を見据える。
「――……それを調べるのが、あんたの仕事だろ」
「だが、俺の話はおもしろかっただろ?」
「言っておくが、ぼくはこの程度の話で、餌を与える気はないからな。あんたがしたことといえば、噂話を聞き込みして、南郷の前科をちょっと調べたぐらいだろ」
「簡単に言うな。警察内であれこれ動くには、それなりの危険を冒す必要があるんだ。特に俺は、〈前科〉があるからな。少しでも怪しいと思われたら、今の課からまた叩き出される」
「犯罪組織対策課、だったな」
「少し前まで忙しかったんだが、悪さをしている奴らが急に鳴りをひそめて、捜査が行き詰まった。網にかかるのは、なんの情報も持っていないような、つまらん小物ばかりだ――」
「あんたに仕事を頼んだ覚えはない。働きって、なんのことだ」
「お前に迫っていた、熊みたいにでかい男のことだ。総和会第二遊撃隊の頭だろ」
眼差しを鋭くした和彦は、鷹津を見据えたまま肉を口に運ぶ。
「名前は、南郷桂。三十九歳という若さだが、けっこうな修羅場を踏んでいる。元は金城組の人間だった。金城組は、今も派手にやっているある連合会の一門だったんだが、分派騒動で力を削ぎ落とされ、後ろ盾を失った。そこに手を差し伸べたのが、当時長嶺組組長だった長嶺守光だ。――これはまあ、得々と語るまでもなく、組の事情に詳しい人間に聞けばわかることだ」
「ぼくは別に、個々の組に興味はない」
「賢い奴だよ、お前は。知らないことが身を守る術だと、よく理解している」
鷹津なりの皮肉かもしれないが、和彦自身、自分のそんな性質をよく自覚していた。この世界で力を持たない人間にとって、小賢しいながらも大事な処世術だ。
表情を変えない和彦の反応に、鷹津は軽く鼻を鳴らして話を続ける。
「俺が暴力団担当から外れている間に頭角を現した男かと思ったが、どうやら長嶺守光は、南郷にずいぶん昔から目をかけているようだな」
鷹津が南郷のことを調べたのなら、自分が持っているささやかな情報を隠しても仕方ないと判断し、和彦は頷く。
「……十代の頃から可愛がってもらっていると言っていた。組を紹介してくれて、総和会にも招き入れてくれて……、実の親より面倒を見てくれたとも」
やっぱり、と鷹津は洩らした。
「三年前に県警を定年退職した男がいるんだ。総和会の幹部と繋がっている、という噂があって、最後まで出世とは無縁な刑事だったが、少なくとも俺より善良だ。その男に会って、知っていることを教えてもらおうとしたが、なかなか口を開かなくて苦労した。いまだに、ヤクザに義理立てしているんだ」
「あんたにとっての『善良』という価値観がどうなっているのか、ぼくには理解できないんだが……」
「細かいことは気にするな」
鷹津がニヤリと笑ったところで、リゾットが運ばれてくる。和彦は布ナプキンで口元を拭ってから、物騒な会話を交わしていたことを感じさせない自然さで水を飲む。
「その男が言ってたんだ。総和会会長は南郷を、自分の息子の影武者にでもする気じゃないかと勘繰る人間がいたと。その男自身は、会長の隠し子なんじゃないかと疑っていたらしい。つまり、それぐらい側に置いて、目をかけているということだ。何が真実なのか、わかっているのは長嶺守光だけだ」
和彦は、南郷の姿を思い返す。守光とも賢吾とも、まったく似ている部分のない顔立ちをしていると思うが、世の中には似ていない親子も兄弟もいくらでもいる。
父親とも兄とも、よく似た部分を持つ和彦にとっては皮肉な話だが。
「十年以上前、南郷は金城組の組員だった頃、長嶺組の組長だった長嶺守光のために汚れ仕事をして、ムショに数年入っていたこともある。長嶺賢吾がヤクザのエリート街道を泥一つ被らず突き進んでいる一方で、南郷は対照的な道を歩んできた。そんなふうに天と地ほど立場がかけ離れていた二人だが、今はどうだ?」
賢吾は長嶺組組長に、南郷は総和会第二遊撃隊を率いる立場にいる。もう、天と地ほど立場が違うとは誰も思わないだろう。
「長嶺守光は何かを企んでいるのか、それとも、たまたまなのか……」
他人の好奇心を刺激するような勘繰りをちらつかせ、鷹津がニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる。鷹津にとってはあくまで他人事なので、あれこれ推測するのはさぞかし楽しいだろう。しかし、和彦はそういうわけにもいかない。険しい目つきで鷹津を見据える。
「――……それを調べるのが、あんたの仕事だろ」
「だが、俺の話はおもしろかっただろ?」
「言っておくが、ぼくはこの程度の話で、餌を与える気はないからな。あんたがしたことといえば、噂話を聞き込みして、南郷の前科をちょっと調べたぐらいだろ」
「簡単に言うな。警察内であれこれ動くには、それなりの危険を冒す必要があるんだ。特に俺は、〈前科〉があるからな。少しでも怪しいと思われたら、今の課からまた叩き出される」
「犯罪組織対策課、だったな」
「少し前まで忙しかったんだが、悪さをしている奴らが急に鳴りをひそめて、捜査が行き詰まった。網にかかるのは、なんの情報も持っていないような、つまらん小物ばかりだ――」
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