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第20話
(9)
しおりを挟む長嶺の男たちは、和彦が静かに誕生日を過ごせるよう結託したのかもしれない。
そう勘繰ってしまうぐらい、誕生日当日の和彦は普段以上に淡々と過ごしていた。――夕方までは。
まったく予定が入っていなかったため、外で適当に食事を済ませ、さっさと自宅に引きこもろうと考えていた和彦だが、意外な人物と誕生日のディナーを共にすることになった。
急な仕事に備えて電源を入れておいた携帯電話が震える。慌ててフォークを置いた和彦は、ジャケットのポケットから取り出した携帯電話をテーブルの下で確認する。メールは、無粋とは対極にあるような内容だった。知らず知らずのうちに顔を綻ばせると、向かいの席についている鷹津が不躾な言葉をぶつけてくる。
「お前の男からか?」
和彦は携帯電話に視線を落としたまま、テーブルの下で遠慮なく、口の悪い男の脛を蹴りつけてやった。
ささやかな攻撃が効いたのか、次に鷹津が口にしたのは、悪態でも皮肉でもなく、ジンジャーエールのお代わりを頼む言葉だった。
野獣と一緒に食事しているようだと思いながら和彦は、届いたメールを改めて読み返す。送り主は、中嶋からだった。
和彦と特別な関係を持っている男たちは、二月十日という日を決して無視しているわけではなく、しっかりと気にかけてくれている。その証拠に、今日は何通かのメールが届いていた。内容はどれも、和彦の誕生日を祝うものだ。
唯一、メールを送ってこなかった男は、なぜか今、和彦の目の前でステーキにかぶりついている。和彦はその食べっぷりを、半ば感心しつつ眺める。
今晩の鷹津は不精ひげを剃っているだけでなく、見た目だけはいつもより多少マシだった。
いままで見たことがない、きちんとプレスされたスーツを着込んでいるのだ。ネクタイもセットで色合いは地味そのものだが、オールバックの髪型や彫りの深い印象的な顔立ちのおかげで、かえってちょうどいいバランスとなっている。少なくとも、高級感漂うレストランにあって悪目立ちはしていない。
好奇心に負けて、和彦は鷹津に問いかけた。
「――なあ、どうして今晩は、まともな格好をしているんだ?」
鷹津は皮肉っぽく唇を歪めてから、素っ気なく答える。
「お前にいいものを食わせてもらおうと思って」
今度は、和彦が唇を歪める番だ。実は鷹津は、夕方になって突然連絡をしてきたかと思うと、美味いものを食わせろと要求してきたのだ。当然、和彦の予定など気にかけてもいない。それどころか、何を差し置いてでも自分の要求に応じるべきだという図々しさを、隠そうともしていなかった。
適当なファミレスで食事を済ませるつもりだった和彦が、わざわざ高い店に鷹津を伴ってきたのは、ある意味、嫌味のようなものだ。
誕生日だからと何かを期待することはないのだが、さすがにこの状況はどうなのかと思い、和彦は皮肉を口にする。自慢ではないが、鷹津がどんな種の皮肉を嫌がるかすでに把握していた。
「せっかくマシな格好をしたところで、ヤクザの組長のオンナに食事を集ることぐらいしか、使い道がないのか。ぼくの奢りで、あんたが美味しそうに食べてたと知ったら、組長も喜ぶかもな」
「……蛇のオンナらしく、ねちっこい嫌味が板についてきたな」
互いに威嚇し合うような視線を交わしたところで、不毛ともいえる会話に早々に区切りをつける。せっかく美味しいものを食べているというのに、胃痛を引き起こしそうだ。
本当は言うつもりはなかったのだが、グラスの水を飲んだ和彦はさりげなく切り出した。
「今日はぼくの、誕生日なんだ」
あっさりと受け流されるかと思ったが、鷹津の反応は予想に反するものだった。心底驚いたように目を見開き、じっと和彦の顔を見つめてくる。その後、落ち着きなくイスに座り直し、今度は芝居がかったように顔をしかめた。
「あとで長嶺に鼻先で笑われるのは癪だから、今日は俺の奢りだ」
「へえ。あんたにも見栄ってものがあるのか」
「メシを食ったあと、俺が楽しませてもらうんだから、安いもんだ。――たっぷりサービスしろよ、佐伯」
鷹津がなんのことを言っているのか、すぐに理解した和彦の頬はわずかに熱くなる。咄嗟に周囲に視線を向けたのは、ヤクザの組長のオンナと悪徳刑事の会話に、誰かが聞き耳を立てているのではないかと心配したからだ。テーブル同士が離れていることもあり、これは単なる杞憂で済んだ。
「……いい。自分の分ぐらい、自分で払う」
声を低くした和彦をおもしろがるように、鷹津の唇に嫌な笑みが浮かぶ。
「メシは、ついでだ。俺がお前を呼び出すときは、それなりの働きをしたことを報告するためだ。その働きに対して、お前は美味い〈餌〉をくれる。この肉も十分美味いが――」
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