407 / 1,267
第19話
(20)
しおりを挟む何かと気忙しい日常生活を送っている和彦だが、それでも、一人になれば寛げる程度には、精神的なゆとりは持っている。
順応性が高いとか、柔軟な神経をしているとか、表現の仕方はいろいろあるだろう。どれも自分に当てはまっていると、和彦は自覚している。とにかく何が起ころうが、貪欲に受け止めてきたはずなのだ。
書斎にこもり、何をするでもなくデスクについた和彦は、深々とため息を洩らし、数瞬の逡巡のあと、小物を入れてあるボックスからメッセージカードを取り出す。一昨日、澤村から渡された誕生日プレゼントの財布に入っていたものだ。
もう何度となく眺めているのだが、それでもこうして手に取り、流麗な字を指先で撫でる。そうしながら実は、この字を書いた人物の記憶を丹念に辿っていた。
懐かしさや切なさが心の奥から溢れてくるが、同時に、どうしようもない罪悪感めいた苦しさも湧き起こっている。感情の奔流に身を置くことで和彦は、自分がどうしたいのか――どうするべきなのか、必死に考えようとしていた。
澤村と会うことで厄介な問題を片付けたはずが、新たに別の問題を背負っただけなのだ。しかも今度は、迂闊に人には相談できない。
このメッセージカードを書いた人物は、和彦にとって特別で、大切な存在だ。だからこそ、きれいな思い出のまま胸の奥に残っている。会いたくないわけではないが、会いたいというわけではない。
ヤクザのオンナとなっている現状を知られたくなかった。一方で、そう思ってしまう自分を、ひどく許せなくもある。
今の和彦を、複数の男たちが大事にしてくれており、そんな男たちの気持ちを踏みにじっているように感じるのだ。
どれだけため息をつこうが、胸を塞ぐ重苦しさは少しも楽にはならない。
和彦はデスクの引き出しを開け、そこに入っている化粧ケースを眺める。この歳になって誕生日を祝ってもらうものではないと、実は密かに思っていた。
実家からの、なんらかの意図が見え隠れするプレゼントだけでも持て余しているというのに、総和会会長からもプレゼントを贈られたとなると、扱いに困る。本当は返したいのだが、守光の顔に泥を塗るまねもできず、結局、守光の側近にお礼の言葉を託けた。間に人を入れることで、守光との接触を避け、賢吾に対応を相談する手間も省いたのだ。つまり、和彦の独断だ。
化粧ケースを開き、ブレスレットをてのひらにのせる。ブレスレットのひんやりとした感触と重みは、守光との関係を暗示しているようで、怖い。
男たちから何かを贈られるたびに、和彦は確実に束縛され、いままでの自分とは違う何かに変化していくと感じるのだ。愉悦すら覚えながら。
ブルッと大きく体を震わせた和彦は、慌ててブレスレットを仕舞うと、代わりに、デスクの上にきちんと置いた腕時計を両てのひらで包み込む。
三田村がクリスマスにプレゼントしてくれた腕時計を、和彦は愛用している。いつでも慈しみ、支えてくれる誠実な男の想いを、常に肌で感じていたいからだ。本当は、贈ってくれた本人が側にいてくれるのが一番なのだが、若頭補佐という肩書きを持つ三田村にそれを求めるのは酷だろう。
急に気持ちが高ぶり、和彦は唇を引き結ぶ。もう半月以上、三田村に会っていなかった。
最後に会ったとき、バレンタインと和彦の誕生日が話題となり、ずいぶん会話が弾んだのだ。
その後、自分の身に起こった出来事を思い返し、たまらず和彦は書斎を出る。ダイニングで子機を取り上げると、すぐに三田村にかける。
夜八時を過ぎたとはいえ、仕事から解放されていないようだ。三田村の携帯電話は留守電に切り替わり、和彦は失望が声に出ないよう気をつけながら、一応用件を吹き込んでおいた。
「……別に、用はなかったんだ。ただ、声が聞きたくなった。最近、ぼくもバタバタしていて、なかなか電話もできないから……。本当に、それだけなんだ。それじゃあ、もう切るから」
電話を切った和彦は、もう書斎に戻る気にもなれず、だからといってリビングで寛げる心境でもない。この落ち着かなさはなんだろうかと思いながら、静かなダイニングを見回す、そしてすぐに、納得のいく答えを見つけた。
たまらなく人恋しいのだ。もちろん誰でもいいから側にいてほしいわけではなく、今顔が見たいのは、たった一人の男だけだ。
わがままを言えば、無理をしてでも駆けつけてくれるだろうが、優しく誠実な男を困らせるのは、和彦の本意ではない。
だったらせめて気分転換ぐらいしようと、手早く着替えを済ませる。着込んだダウンジャケットのポケットに小銭だけを入れ、部屋の鍵を手に和彦は部屋を出た。
39
お気に入りに追加
1,359
あなたにおすすめの小説
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ヤクザと捨て子
幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子
ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。
ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。
公爵家の五男坊はあきらめない
三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。
生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。
冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。
負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。
「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」
都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。
知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。
生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。
あきらめたら待つのは死のみ。
【完結】別れ……ますよね?
325号室の住人
BL
☆全3話、完結済
僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。
ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる