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第19話
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悪びれた様子もなく澄ました顔で秦に問われ、すっかり毒気を抜かれた和彦は、曖昧に首を動かす。
「……気が抜けた」
「それはよかった」
満足そうに頷く秦を一瞥して、中嶋に視線を移す。ほんの一か月ほど前に、嫉妬と猜疑心に駆られて和彦に詰め寄ってきたこともある男は、余裕たっぷりの表情で和彦と秦を交互に見つめていた。
現金なものだと内心で呟いた和彦は、まったく別のことを口にした。
「中嶋くん、この男と会話していて、気疲れすることはないのか?」
秦とよく似た澄ました表情で、中嶋が応じる。
「刺激的でいいですよ。それに、もう慣れました。知り合ったときから、この調子ですから」
「ええ、慣らしました」
これもノロケになるのだろうかと思いながら、和彦は返事をするのはやめておいた。秦も、すぐに会話を切り替えてくれる。
「――それで先生、友人の方とは、食事をする予定はないんですか?」
「ああ、会ってお茶を飲みながら、実家からの伝言を聞いて、プレゼントを受け取るだけだ。それと、ちょっとした世間話」
「わたしたちのことは気にしなくてかまいませんよ。放っておいても、勝手に先生を尾行して、影から見守っていますから。せっかくだから、楽しまれたら――」
「いいんだ」
きっぱりと言い切った和彦は、思いがけず口調がきついものになったことを自覚し、小さくため息を洩らす。気遣ってくれたのか、中嶋が肩に手をのせてきた。
「……今のぼくの事情を、友人は知らないほうがいい。組だけじゃなく、ぼくの実家も大概面倒だからな。普通の人間を巻き込みたくない」
「そういうことなら、安心してください。そこそこ荒事が得意な俺と、かなり口の巧い秦さんがついているんですから、トラブっても、俺たちが処理します。もちろん、先生の友人を傷つけたりしません」
中嶋の物言いについ笑みをこぼした和彦は、しっかりと頷いた。
「それについては信頼している。だから、君らに頼んだんだ」
率直な和彦の言葉に、珍しく中嶋は照れたような表情となる。ヤクザらしくないその表情の意味を、おそらく誰よりも中嶋のことを把握している男が教えてくれた。
「褒められ慣れてないんですよ、中嶋は」
和彦は秦を振り返り、しれっと言ってやった。
「だったらそこも、君が慣らしてやるんだな」
一本取られたと言いたげな秦の表情に、これもまた珍しいものが見られたと、和彦は心の中で呟いた。
テーブルについてコーヒーを飲んでいる澤村の姿を見て、和彦はつい苦笑する。
恵まれた容貌の友人はきっと、今カフェ内にいる客の誰よりもお人よしだろうなと思ったら、自然とこういう表情になってしまう。
同僚であり友人ではあったが、何もかもを打ち明けられるほど深いつき合いをしていたわけではない。それなのに澤村は、厄介な事情を背負った和彦を見捨てることなく、こうしてカフェで待っていてくれる。
仮に、佐伯家に強引に押し付けられたにしても、それを断れないのなら、やはりお人よしだと言えるだろう。
和彦がテーブルに歩み寄ると、それに気づいた澤村がカップを置く。開口一番に文句を言われた。
「――お前の実家の押しの強さはなんなんだ。俺から欲しい答えをもぎ取るために、自宅にまで押しかけてきそうな勢いだったぞ」
再び苦笑を洩らした和彦は、澤村の向かいの席につき、同じくコーヒーを注文する。
「それは、悪かったな。……ぼくとはもう関わりたくないと、はっきり言ってよかったんだぞ。息子が悪く言われたからといって、傷つくような一家じゃないから」
「ここでお前とのつき合いをやめたら後味が悪いから、連絡を絶つつもりはなかった。ただしお前の実家とは、こちらから関わりを持つ気はなかった。が、向こうが許してくれなかったな」
軽い口調で言う澤村に、和彦のほうは申し訳なさを感じ、つい視線を伏せる。するとテーブルの下で、気にするなと言いたげに靴の先を軽く蹴られた。
「だが、大物官僚から手書きの年賀状をもらったのは、気分がよかったぞ。何か相談事があれば、いつでも言ってくれ、と電話ももらった」
父親のやりそうなことだと、和彦がわずかに眉をひそめると、そんな反応を予測していたらしい。澤村は小さく声を洩らして笑った。
「俺が医者として独立したいと言えば、相談に乗ってくれると思うか?」
「ぼくの父と兄に直接聞いてみたらどうだ」
「相談と引き換えに、お前を捕まえてきてくれと言われそうだな」
毒を含んだ冗談を言った澤村は、空いているイスに置いてあった小さな手提げ袋を差し出してきた。複雑な顔をして和彦は受け取り、中を覗く。きれいにラッピングされた箱が入っていた。
「……気が抜けた」
「それはよかった」
満足そうに頷く秦を一瞥して、中嶋に視線を移す。ほんの一か月ほど前に、嫉妬と猜疑心に駆られて和彦に詰め寄ってきたこともある男は、余裕たっぷりの表情で和彦と秦を交互に見つめていた。
現金なものだと内心で呟いた和彦は、まったく別のことを口にした。
「中嶋くん、この男と会話していて、気疲れすることはないのか?」
秦とよく似た澄ました表情で、中嶋が応じる。
「刺激的でいいですよ。それに、もう慣れました。知り合ったときから、この調子ですから」
「ええ、慣らしました」
これもノロケになるのだろうかと思いながら、和彦は返事をするのはやめておいた。秦も、すぐに会話を切り替えてくれる。
「――それで先生、友人の方とは、食事をする予定はないんですか?」
「ああ、会ってお茶を飲みながら、実家からの伝言を聞いて、プレゼントを受け取るだけだ。それと、ちょっとした世間話」
「わたしたちのことは気にしなくてかまいませんよ。放っておいても、勝手に先生を尾行して、影から見守っていますから。せっかくだから、楽しまれたら――」
「いいんだ」
きっぱりと言い切った和彦は、思いがけず口調がきついものになったことを自覚し、小さくため息を洩らす。気遣ってくれたのか、中嶋が肩に手をのせてきた。
「……今のぼくの事情を、友人は知らないほうがいい。組だけじゃなく、ぼくの実家も大概面倒だからな。普通の人間を巻き込みたくない」
「そういうことなら、安心してください。そこそこ荒事が得意な俺と、かなり口の巧い秦さんがついているんですから、トラブっても、俺たちが処理します。もちろん、先生の友人を傷つけたりしません」
中嶋の物言いについ笑みをこぼした和彦は、しっかりと頷いた。
「それについては信頼している。だから、君らに頼んだんだ」
率直な和彦の言葉に、珍しく中嶋は照れたような表情となる。ヤクザらしくないその表情の意味を、おそらく誰よりも中嶋のことを把握している男が教えてくれた。
「褒められ慣れてないんですよ、中嶋は」
和彦は秦を振り返り、しれっと言ってやった。
「だったらそこも、君が慣らしてやるんだな」
一本取られたと言いたげな秦の表情に、これもまた珍しいものが見られたと、和彦は心の中で呟いた。
テーブルについてコーヒーを飲んでいる澤村の姿を見て、和彦はつい苦笑する。
恵まれた容貌の友人はきっと、今カフェ内にいる客の誰よりもお人よしだろうなと思ったら、自然とこういう表情になってしまう。
同僚であり友人ではあったが、何もかもを打ち明けられるほど深いつき合いをしていたわけではない。それなのに澤村は、厄介な事情を背負った和彦を見捨てることなく、こうしてカフェで待っていてくれる。
仮に、佐伯家に強引に押し付けられたにしても、それを断れないのなら、やはりお人よしだと言えるだろう。
和彦がテーブルに歩み寄ると、それに気づいた澤村がカップを置く。開口一番に文句を言われた。
「――お前の実家の押しの強さはなんなんだ。俺から欲しい答えをもぎ取るために、自宅にまで押しかけてきそうな勢いだったぞ」
再び苦笑を洩らした和彦は、澤村の向かいの席につき、同じくコーヒーを注文する。
「それは、悪かったな。……ぼくとはもう関わりたくないと、はっきり言ってよかったんだぞ。息子が悪く言われたからといって、傷つくような一家じゃないから」
「ここでお前とのつき合いをやめたら後味が悪いから、連絡を絶つつもりはなかった。ただしお前の実家とは、こちらから関わりを持つ気はなかった。が、向こうが許してくれなかったな」
軽い口調で言う澤村に、和彦のほうは申し訳なさを感じ、つい視線を伏せる。するとテーブルの下で、気にするなと言いたげに靴の先を軽く蹴られた。
「だが、大物官僚から手書きの年賀状をもらったのは、気分がよかったぞ。何か相談事があれば、いつでも言ってくれ、と電話ももらった」
父親のやりそうなことだと、和彦がわずかに眉をひそめると、そんな反応を予測していたらしい。澤村は小さく声を洩らして笑った。
「俺が医者として独立したいと言えば、相談に乗ってくれると思うか?」
「ぼくの父と兄に直接聞いてみたらどうだ」
「相談と引き換えに、お前を捕まえてきてくれと言われそうだな」
毒を含んだ冗談を言った澤村は、空いているイスに置いてあった小さな手提げ袋を差し出してきた。複雑な顔をして和彦は受け取り、中を覗く。きれいにラッピングされた箱が入っていた。
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