血と束縛と

北川とも

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第19話

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「わたしが円満に、先生を連れ帰りますよ。先生が今現在、どんな環境で、どんな人間に囲まれて生活しているか、一切うかがわせずに」
「そうだ。いざというとき、ぼくを守ってくれるだけでいいなら、長嶺組の組員に護衛してもらえばいいんだ。だけど、ぼくが長嶺組の身内になっていると知られるわけにはいかない」
 それでなくても、澤村には千尋と、英俊には三田村と一緒にいるところを見られている。その点、秦は表向きは青年実業家という肩書きを持ち、仮に素性を調べられたところで、裏での組やその関係者との繋がりの多さが、かえって長嶺組の存在を隠してくれる。
 この計画で大丈夫だろうかと、頭の中でめまぐるしく自問を繰り返す和彦に、秦は芝居がかったように明るい声をかけてきた。
「そうだ、先生、中嶋も連れて行っていいですか? あいつこそ、見た目は普通の勤め人に見えて都合がいい」
 何を企んでいるのかと、和彦が胡乱な目つきとなると、秦はヌケヌケとこう言った。
「先生の用心棒をしつつ、デート気分を味わおうかと思いまして」
「……正体不明の怪しい男には似合わない、爽やかな言葉だな」
「わたしだって、手探り状態なんですよ、中嶋との関係は。即物的な繋がりを求めている反面、それだけじゃいけないとも思っている。だからこそ、先生のしたたかでしなやかな存在感に、刺激を受けるんです。いい緩衝材であり、接着剤ですよ、先生は」
 中嶋の首の付け根についていた赤い痕を思い出し、なぜか和彦のほうが気恥ずかしい気分になってくる。秦と中嶋の関係に、緩衝材や接着剤という言葉はともかく、和彦は搦め捕られ、惹かれている。純粋に、性的な興味を覚えているといってもいい。こういう経験は初めてで、手探り状態なのは和彦も同じだ。
「せっかくなので、わたしと中嶋で、先生へのプレゼントを用意しますよ」
 秦の申し出に、和彦は苦笑しつつ首を横に振る。
「正直、誕生日を祝われるのは慣れてないから、いつもと同じように接してもらったほうがありがたい。……昔から、おめでとうと言われても、どういう顔をすればいいのかわからないんだ」
 わずかに目を細めた秦は、寿司を口に運んだあと、ぽつりと洩らした。
「いかにも育ちのいい先生にも、いろいろと事情があるんですね」
「ぼく以上にいろいろと事情を背負っている男に言われると、重みがあるな」
 秦は、小さく笑い声を洩らしただけで、何も言わなかった。
 このとき和彦がふと気になったのは、秦が背負っている事情のいくつかを、中嶋に話しているのだろうかということだ。


 寿司屋を出ると、コートの襟を直す秦に向けて和彦は、頭を下げる。
「忙しいだろうが、今日頼んだ件、よろしく頼む」
 澤村と会う日時は、仕事帰りに気安く友人と会うという演出のために、二月四日の夕方を考えている。その日は火曜日だが、それ自体に意味はなく、仕事が休みで時間がある土日に、じっくりと腰を据えて話し合う状況を避けたかったのだ。
「先生から頼み事ごとをされて喜んでいるんですから、頭なんて下げないでください」
 和彦は頭を上げると、そっと微笑みながら今度は礼を言う。
「今晩は、ありがとう。美味しかった」
「先生には、わたしの店選びを信用してもらっているようなので、気合いが入ります」
 一瞬、そんなことを秦に話したことがあっただろうかと考えたが、次の瞬間には、ああ、と声を洩らす。和彦が中嶋に話した内容が、秦に伝わったのだ。
「中嶋が先生の部屋にお邪魔して、もてなしてもらったそうなので、今晩の食事はそのお礼です」
「……もてなしてもらったのは、むしろぼくのほうだと思うが……。しかし、中嶋くんの保護者みたいな口ぶりだ」
 和彦が指摘すると、秦が微苦笑を浮かべる。その表情を見て漠然と、秦と中嶋は、本人たちなりのやり方で歩み寄り、確実に距離を縮めているのだと感じた。
 頼みごとを引き受けてくれ、食事まで奢ってもらったうえに、最後にいいものを見られたかもしれない。抱えた厄介事が片付いたわけではないのだが、二人の仲の進展具合を感じて、和彦の気持ちは少しだけ柔らかくなっていた。
 秦と並んで歩き出す。護衛の組員は先に店を出て、すでに車で待機している。
 寿司を食べつつたっぷり話はしたので、いまさらもう、車までの短い距離を歩きながら話すことはない。
 そもそも今日は少し話しすぎたと、和彦は顔を背けて小さく咳き込む。なんとなく、喉が痛かった。気遣いのできる男が、すかさず声をかけてくる。
「おや、風邪ですか?」
「いや、外の空気が乾燥しているから……」
「気をつけてください。誕生日だけでなく、バレンタインまで控えた大事な体ですから」
 意味深な冗談と受け止めて、和彦が横目でじろりと見たとき、秦はコートのポケットから携帯電話を取り出していた。メールが届いたようだ。
 秦が携帯電話の画面を見つめる。数秒の間を置いて、端麗な横顔を怜悧な表情が彩った。素性の怪しい食えない男の本性が、この表情から垣間見えそうだ。
 すぐに携帯電話を閉じた秦が、何事もなかったように和彦を見て、表情を和らげた。
「仕事のメールです」
「……忙しそうだな」
「長嶺組の後ろ盾のおかげで、儲け話に事欠かなくなりました」
 皮肉とも思えない秦の口ぶりに、和彦は慎重に問いかける。
「長嶺組からのメールなのか……?」
「――先生の旦那さんからです」
 あまりにさらりと言われ、危うく聞き流しそうになった和彦だが、ハッと我に返って秦にきつい眼差しを向ける。悪びれることなく、秦は満足げな様子で携帯電話を振った。
「冗談です」
「命知らずだな……。ぼくはともかく、長嶺組組長のことをそんなふうに言えるなんて」
「わたしは一言も、長嶺組長のことだと言ってませんよ」
 和彦は、秦の脇腹に拳を入れた。ただし、機嫌を損ねられても困るので、あくまで軽く。

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