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第19話
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澤村から和彦の携帯電話の番号を聞いて、自分たちが連絡しようと考えないのだろうかと、非難めいた気持ちを佐伯家に抱いてはいるが、仮に自分の家族の声を聞いたとしたら、和彦は次の瞬間には電話を切る自信があった。
結局、澤村に厄介な役回りを押し付けている責任の一端は、和彦にあるということだ。そういう負い目もあって、澤村からの働きかけを無碍にはできない。
困惑気味に電話で話す和彦を、シャワーを浴び終えた賢吾はニヤニヤと笑いながら観察していた。電話を終えてから、一通り和彦が事情を説明すると、さらにおもしろがる表情で、賢吾はこう問いかけてきた。
『それで、無邪気な子供のように、優しい両親からのプレゼントを受け取りに行くのか?』
嫌味な言い方をするなと、賢吾に対して怒った和彦だが、それでも、行かないとは答えられなかった。賢吾にしても、行くな、とは命令しなかった。それどころか、和彦の好きにすればいいとさえ言ってくれたのだ。
何を企んでいるのだろうか――。和彦の脳裏を、ふっとそんな言葉が過る。ただし、その言葉を向ける相手は賢吾ではなく、佐伯家に対してだ。
根に持っているつもりはないが、和彦は家族から誕生日プレゼントをもらった記憶がない。祝ってくれていたのは、常に他人だった。
携帯電話の画面に視線を落としたまま、無意識のうちに和彦は眉をひそめる。佐伯家の動向だけでなく、和彦を悩ましい気分にさせる事柄は他にもあるのだ。
守光の自宅で、顔にかけられた布の感触がふいに蘇り、反射的に頬を撫でる。次の瞬間、テーブルの傍らで人の気配を感じた。ランチが運ばれてきたのだと思い、無防備に顔を上げた和彦は、飛び上がるほど驚いた。
「あっ……」
見上げるほど大きな体をスーツに包んだ男が、じっと和彦を見下ろしていた。南郷だ。
目が合った途端、身がすくむ。和彦が南郷に対して感じる怖さは、理屈ではなく、本能的なものだ。南郷から漂う粗暴さや猛々しさは、和彦が絶対受け付けられない種類のものだ。この男の側にいるだけで、痛みを感じてしまう。
警戒して身構える和彦の反応をどう感じたのか、南郷は唇を歪めるようにして笑った。
「どうして、ここに――」
ようやく和彦が口を開いたそのとき、タイミング悪く、ランチが運ばれてくる。すると、ごく自然な動作で南郷は、和彦の向かいのイスに座り、コーヒーを注文した。
戸惑う和彦に向けて、南郷はこう言い放った。
「気にせず食ってくれ。俺も勝手に話す」
「……気にせずって……、何か、ご用ですか? 職場のすぐ近くで、あまり目立つことはしたくないんですが」
どうしても和彦の口調は刺々しいものとなる。片手の指で足りるほどしか南郷と顔を合わせていないが、好印象を抱ける相手ではないと認識するには十分だ。
和彦は、客がほとんどいない店内をそっと見回す。一見して筋者だとわかる南郷を、離れた場所に立つ店員が遠慮がちに眺めていた。しばらくこの店には立ち寄れないと、和彦は思った。
半ば強引に南郷の存在を意識の外に追い払い、割り箸を手にする。すでに食欲はなくなっていたが、いまさら席を立つわけにはいかない。味噌汁を一口啜ってから、ご飯に箸をつけようとしたとき、南郷がスッと化粧ケースを差し出してきた。何事かと思いはしたが、たった今、南郷を相手にしないと決めたばかりだ。和彦はムキになって食事を続ける。
一方の南郷は、和彦の態度をものともせず、化粧ケースを開けた。中に入っていたのは、シルバーチェーンのブレスレットだ。
「――あんたへの誕生日プレゼントだ」
慌てて椀と箸を置いた和彦は、南郷を真正面から見つめる。
「えっ……?」
「あんたもうすぐ、誕生日だろ」
「誰から、そのことを聞いたんですか」
問いかけてすぐに、南郷に和彦のことを話すのは、守光しかいないと確信する。次に和彦が考えたのは、このプレゼントには、誕生日祝い以外の意味が込められているのではないかということだった。
「……もしかして、これは……、会長から、ですか?」
「あんたに似合いそうだ」
和彦は咄嗟に化粧ケースを押し返そうとしたが、簡単に南郷に押し戻される。
「俺が持って帰れると思うか? いらないなら、俺の見ている前でゴミ箱に捨ててくれ」
「そんなことっ……。正直、こういうことをされると困ります」
「俺は困らない。諦めて、身につけるんだな」
南郷が、まるで威圧してくるようにテーブルに身を乗り出してくる。他人からは、さぞかし和彦が脅されているように見えるだろう。実際、似たような状況だ。
結局、澤村に厄介な役回りを押し付けている責任の一端は、和彦にあるということだ。そういう負い目もあって、澤村からの働きかけを無碍にはできない。
困惑気味に電話で話す和彦を、シャワーを浴び終えた賢吾はニヤニヤと笑いながら観察していた。電話を終えてから、一通り和彦が事情を説明すると、さらにおもしろがる表情で、賢吾はこう問いかけてきた。
『それで、無邪気な子供のように、優しい両親からのプレゼントを受け取りに行くのか?』
嫌味な言い方をするなと、賢吾に対して怒った和彦だが、それでも、行かないとは答えられなかった。賢吾にしても、行くな、とは命令しなかった。それどころか、和彦の好きにすればいいとさえ言ってくれたのだ。
何を企んでいるのだろうか――。和彦の脳裏を、ふっとそんな言葉が過る。ただし、その言葉を向ける相手は賢吾ではなく、佐伯家に対してだ。
根に持っているつもりはないが、和彦は家族から誕生日プレゼントをもらった記憶がない。祝ってくれていたのは、常に他人だった。
携帯電話の画面に視線を落としたまま、無意識のうちに和彦は眉をひそめる。佐伯家の動向だけでなく、和彦を悩ましい気分にさせる事柄は他にもあるのだ。
守光の自宅で、顔にかけられた布の感触がふいに蘇り、反射的に頬を撫でる。次の瞬間、テーブルの傍らで人の気配を感じた。ランチが運ばれてきたのだと思い、無防備に顔を上げた和彦は、飛び上がるほど驚いた。
「あっ……」
見上げるほど大きな体をスーツに包んだ男が、じっと和彦を見下ろしていた。南郷だ。
目が合った途端、身がすくむ。和彦が南郷に対して感じる怖さは、理屈ではなく、本能的なものだ。南郷から漂う粗暴さや猛々しさは、和彦が絶対受け付けられない種類のものだ。この男の側にいるだけで、痛みを感じてしまう。
警戒して身構える和彦の反応をどう感じたのか、南郷は唇を歪めるようにして笑った。
「どうして、ここに――」
ようやく和彦が口を開いたそのとき、タイミング悪く、ランチが運ばれてくる。すると、ごく自然な動作で南郷は、和彦の向かいのイスに座り、コーヒーを注文した。
戸惑う和彦に向けて、南郷はこう言い放った。
「気にせず食ってくれ。俺も勝手に話す」
「……気にせずって……、何か、ご用ですか? 職場のすぐ近くで、あまり目立つことはしたくないんですが」
どうしても和彦の口調は刺々しいものとなる。片手の指で足りるほどしか南郷と顔を合わせていないが、好印象を抱ける相手ではないと認識するには十分だ。
和彦は、客がほとんどいない店内をそっと見回す。一見して筋者だとわかる南郷を、離れた場所に立つ店員が遠慮がちに眺めていた。しばらくこの店には立ち寄れないと、和彦は思った。
半ば強引に南郷の存在を意識の外に追い払い、割り箸を手にする。すでに食欲はなくなっていたが、いまさら席を立つわけにはいかない。味噌汁を一口啜ってから、ご飯に箸をつけようとしたとき、南郷がスッと化粧ケースを差し出してきた。何事かと思いはしたが、たった今、南郷を相手にしないと決めたばかりだ。和彦はムキになって食事を続ける。
一方の南郷は、和彦の態度をものともせず、化粧ケースを開けた。中に入っていたのは、シルバーチェーンのブレスレットだ。
「――あんたへの誕生日プレゼントだ」
慌てて椀と箸を置いた和彦は、南郷を真正面から見つめる。
「えっ……?」
「あんたもうすぐ、誕生日だろ」
「誰から、そのことを聞いたんですか」
問いかけてすぐに、南郷に和彦のことを話すのは、守光しかいないと確信する。次に和彦が考えたのは、このプレゼントには、誕生日祝い以外の意味が込められているのではないかということだった。
「……もしかして、これは……、会長から、ですか?」
「あんたに似合いそうだ」
和彦は咄嗟に化粧ケースを押し返そうとしたが、簡単に南郷に押し戻される。
「俺が持って帰れると思うか? いらないなら、俺の見ている前でゴミ箱に捨ててくれ」
「そんなことっ……。正直、こういうことをされると困ります」
「俺は困らない。諦めて、身につけるんだな」
南郷が、まるで威圧してくるようにテーブルに身を乗り出してくる。他人からは、さぞかし和彦が脅されているように見えるだろう。実際、似たような状況だ。
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