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第18話
(22)
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「内緒」
先日、千尋が入れるつもりの刺青の絵柄について尋ねたとき、千尋が答えた言葉をそっくりそのまま返してやる。本人もそれがわかったのか、短く声を洩らして笑った。
「意外に根に持たれてる?」
「ぼくは執念深いんだ」
ようやく髪が乾き、ドライヤーを置いた千尋が手櫛で整えてくれる。至れり尽せりだと、口元を緩めた和彦が立ち上がろうとすると、すかさず背後から抱きつかれた。
「おい、千尋――」
「なんか先生、今朝は妙に色っぽいよね。さっき俺たちの前に姿見せたとき、ちょっとドキッとしたもん」
「何言ってるんだ……」
千尋の嗅覚の鋭さを、和彦はよく知っている。動揺を押し隠して腕の中から抜け出そうとするが、かまわず千尋は間近から顔を覗き込んでくる。
「――長嶺の男って、結局、好みと行動が似てるのかな。気に入った人を逃がさないよう、長嶺の家に取り込んで、縛り付けようとする」
独りごちるように言いながら、千尋が和彦の首筋に顔を寄せて、ペロリと舐め上げてきた。熱く濡れた感触に和彦は、鳥肌が立ちそうなほど強烈な疼きを感じる。
「千尋、こんなところでふざけるなっ」
「俺は、歓迎だよ。先生が、長嶺の男と深く結びついていくの。そうすることで先生は、俺たちから離れられなくなる。目に見えない形で、長嶺の血が先生の中に流れ込んでいくんだ。……じいちゃんが今、総和会に対してやっているみたいに」
千尋の物言いは、確信しているようだった。和彦が夜、〈誰〉と深く結びついたのかということを。
しかし和彦自身は確信を得ることを避け、瞼の裏に焼きついている、掛け軸に描かれた若武者の姿にすがっている。
「……さっきも言ったが、夜はゆっくりと休めた。お前が何を勘繰っているのか知らないが、何もなかった。ただ……、ちょっと艶かしい夢を見ただけだ」
和彦を抱き締める千尋の腕に、わずかに力が加わる。
「その艶かしい夢って、相手がいた?」
「ああ……」
「誰?」
「客間に行ってこい。掛け軸の中にいるから」
そう言って和彦が振り返ると、千尋は奇妙な顔をしていた。和彦が何を指しているのか、ピンとこないらしい。それはつまり、夜の客間での出来事について、千尋は自分の目で見ていないし、説明も受けていないということだ。ただ、何かがあったということを感じ取っただけなのだ。
「先生、本当は――」
和彦は、すかさず千尋の口元を手で覆う。鋭い視線で見据えると、千尋は驚いたように目を丸くしたあと、すべてを理解したように頷いた。
そこに、守光と賢吾が姿を現す。やけに楽しげな守光とは対照的に、賢吾のほうは心なしか機嫌が悪そうだ。
二人が何を話していたのか気になるが、尋ねる権利のない和彦は、ただ身構える。守光よりも、賢吾の反応が怖かった。
その賢吾が、指先で和彦を呼ぶ。
「先生、帰るぞ」
「えっ、ああ……」
反射的に立ち上がった和彦は、千尋に視線を向ける。大げさなほど残念そうな顔をした千尋は首を横に振り、守光とともに出かける予定なのだと言った。
「朝メシぐらい、ここで食っていったらどうだ。もう準備はできているから、すぐにここに運ばせる」
守光の言葉に、余計なことを言うなとばかりに賢吾は眉をひそめた。
「……ここのメシは口に合わん」
「ほお、お前は上品な舌をしているからな」
「うるさいぞ、ジジイ」
守光と賢吾のやり取りに、傍らで聞いている和彦のほうが肝が冷える。そもそも和彦は、父子らしい遠慮ないやり取りというものに免疫がないのだ。だからこそ、賢吾と千尋のやり取りにも、ときおりヒヤリとしながらも、物珍しさと羨ましさを感じてしまう。
賢吾には先に玄関に行ってもらい、和彦は慌しく客間に戻る。姿見の前に立ち、ジャケットとコートを羽織ったところで、つい視線は床の間の掛け軸に向いていた。
すでにもう、艶かしいとしか思えなくなった若武者の顔を見つめていて、ふと視線を感じる。和彦は姿見に映る自分の姿を見て、ドキリとした。
いつの間にやってきたのか、背後に守光が立っていた。
素早く振り返った和彦は、頭を下げる。
「本当にお世話になりましたっ……」
「いつでも遊びに来てくれ――と言ったところで、自分から気軽に足を運べる場所じゃないだろうから、また賢吾に黙って、あんたを連れてくることにしよう」
頭を上げた和彦に、守光が笑いかけてくる。和彦は逡巡してから、おずおずと応じた。
「できることなら、もう少し早くに連絡をいただけるとありがたいです。そうすればぼくも、予定を空けておくことができますから」
「あんたと一緒の時間を過ごしたがる男は多いだろ。わしが無理を言って、あんたを独占したと知れば、その男たちに恨まれるだろうな」
先日、千尋が入れるつもりの刺青の絵柄について尋ねたとき、千尋が答えた言葉をそっくりそのまま返してやる。本人もそれがわかったのか、短く声を洩らして笑った。
「意外に根に持たれてる?」
「ぼくは執念深いんだ」
ようやく髪が乾き、ドライヤーを置いた千尋が手櫛で整えてくれる。至れり尽せりだと、口元を緩めた和彦が立ち上がろうとすると、すかさず背後から抱きつかれた。
「おい、千尋――」
「なんか先生、今朝は妙に色っぽいよね。さっき俺たちの前に姿見せたとき、ちょっとドキッとしたもん」
「何言ってるんだ……」
千尋の嗅覚の鋭さを、和彦はよく知っている。動揺を押し隠して腕の中から抜け出そうとするが、かまわず千尋は間近から顔を覗き込んでくる。
「――長嶺の男って、結局、好みと行動が似てるのかな。気に入った人を逃がさないよう、長嶺の家に取り込んで、縛り付けようとする」
独りごちるように言いながら、千尋が和彦の首筋に顔を寄せて、ペロリと舐め上げてきた。熱く濡れた感触に和彦は、鳥肌が立ちそうなほど強烈な疼きを感じる。
「千尋、こんなところでふざけるなっ」
「俺は、歓迎だよ。先生が、長嶺の男と深く結びついていくの。そうすることで先生は、俺たちから離れられなくなる。目に見えない形で、長嶺の血が先生の中に流れ込んでいくんだ。……じいちゃんが今、総和会に対してやっているみたいに」
千尋の物言いは、確信しているようだった。和彦が夜、〈誰〉と深く結びついたのかということを。
しかし和彦自身は確信を得ることを避け、瞼の裏に焼きついている、掛け軸に描かれた若武者の姿にすがっている。
「……さっきも言ったが、夜はゆっくりと休めた。お前が何を勘繰っているのか知らないが、何もなかった。ただ……、ちょっと艶かしい夢を見ただけだ」
和彦を抱き締める千尋の腕に、わずかに力が加わる。
「その艶かしい夢って、相手がいた?」
「ああ……」
「誰?」
「客間に行ってこい。掛け軸の中にいるから」
そう言って和彦が振り返ると、千尋は奇妙な顔をしていた。和彦が何を指しているのか、ピンとこないらしい。それはつまり、夜の客間での出来事について、千尋は自分の目で見ていないし、説明も受けていないということだ。ただ、何かがあったということを感じ取っただけなのだ。
「先生、本当は――」
和彦は、すかさず千尋の口元を手で覆う。鋭い視線で見据えると、千尋は驚いたように目を丸くしたあと、すべてを理解したように頷いた。
そこに、守光と賢吾が姿を現す。やけに楽しげな守光とは対照的に、賢吾のほうは心なしか機嫌が悪そうだ。
二人が何を話していたのか気になるが、尋ねる権利のない和彦は、ただ身構える。守光よりも、賢吾の反応が怖かった。
その賢吾が、指先で和彦を呼ぶ。
「先生、帰るぞ」
「えっ、ああ……」
反射的に立ち上がった和彦は、千尋に視線を向ける。大げさなほど残念そうな顔をした千尋は首を横に振り、守光とともに出かける予定なのだと言った。
「朝メシぐらい、ここで食っていったらどうだ。もう準備はできているから、すぐにここに運ばせる」
守光の言葉に、余計なことを言うなとばかりに賢吾は眉をひそめた。
「……ここのメシは口に合わん」
「ほお、お前は上品な舌をしているからな」
「うるさいぞ、ジジイ」
守光と賢吾のやり取りに、傍らで聞いている和彦のほうが肝が冷える。そもそも和彦は、父子らしい遠慮ないやり取りというものに免疫がないのだ。だからこそ、賢吾と千尋のやり取りにも、ときおりヒヤリとしながらも、物珍しさと羨ましさを感じてしまう。
賢吾には先に玄関に行ってもらい、和彦は慌しく客間に戻る。姿見の前に立ち、ジャケットとコートを羽織ったところで、つい視線は床の間の掛け軸に向いていた。
すでにもう、艶かしいとしか思えなくなった若武者の顔を見つめていて、ふと視線を感じる。和彦は姿見に映る自分の姿を見て、ドキリとした。
いつの間にやってきたのか、背後に守光が立っていた。
素早く振り返った和彦は、頭を下げる。
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「いつでも遊びに来てくれ――と言ったところで、自分から気軽に足を運べる場所じゃないだろうから、また賢吾に黙って、あんたを連れてくることにしよう」
頭を上げた和彦に、守光が笑いかけてくる。和彦は逡巡してから、おずおずと応じた。
「できることなら、もう少し早くに連絡をいただけるとありがたいです。そうすればぼくも、予定を空けておくことができますから」
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