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第18話
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そう言って守光が襖をさらに開け、部屋へと招き入れてくれる。畳敷きの部屋の中央には、コタツが置かれていた。天板の上にはすでに夕食の準備が調えられており、美味しそうな音を立ててすき焼きが煮えている。
ふっとこの瞬間、先日三田村と食べた鍋を思い出し、胸苦しくなった。
千尋に背を押され、和彦は部屋に入る。長嶺の男二人に急き立てられるようにコートとジャケットを脱ぐと、素早く千尋に奪い取られてから座椅子に座らされた。守光に言われるままコタツに足を入れたところでもう、立ち上がることを許されない空気となる。
「千尋、冷蔵庫からビールを出してきてくれ。それと、お茶もな」
守光の言葉を受けて、千尋は一旦部屋を出て、ペットボトルのお茶と缶ビールを抱えて戻ってきた。
「じいちゃん、冷蔵庫のビールだけじゃ足りそうにないから、俺ちょっと、食堂から取ってくる」
背筋を伸ばし体を強張らせながら和彦は、二人のやり取りを聞く。今の会話の内容だけなら、本当にごく普通の祖父と孫だ。いや、本人たちにとっては、長嶺組や総和会ということは、意識するまでもない日常であり、普通のことなのだろう。
この世界にいる限り、一般的だとか普通だとか、そういったものと比較するのはやめるべきなのかもしれないと、和彦は自省する。
千尋が慌しくまた部屋を出ていき、玄関のドアが閉まる音がした。その途端、二人きりとなった部屋は静まり返った。
守光が何も言わず、和彦の斜め右に座る。こうして近くにいて目も合わせないのは不自然なので、伏せがちだった視線を上げると、守光はすでに和彦を見ていた。
総和会という大組織の会長と、こうして一緒にコタツに入るというのも、奇妙な感じだった。相変わらず緊張もしているのだが、少しだけおかしくなってくる。和彦はちらりと笑みをこぼし、守光も目元を和らげた。
「……普段はコタツは出していないんだが、このほうが、膝を突き合わせてゆっくり話せるかと思ってな。少なくとも、料亭の座敷よりは、座り心地はいいだろう?」
冗談っぽく言われ、和彦としては苦笑で返すしかない。
「にぎやかな千尋がいるだけで、ずいぶん違います」
ここで、空いている斜め左と正面の席に視線を向ける。斜め左の席には食器と座椅子を置いてあるので、千尋が座るのだろう。しかし正面の席には何も置いていない。
和彦は思いきって尋ねた。
「……賢吾さんは来ないのですか?」
「賢吾は、あまりここに近寄らない。わしは総和会会長、賢吾は長嶺組組長という立場にいる以上、ただ立ち話をするだけでも、そこに意味を求める人間はいる。邪推や勘繰りという類のものだ。それが疎ましいのだろう。あいつは、雑多な集団である総和会に、いろいろと思うところがあるようだ」
「いろいろ、ですか……」
「蛇を背負っているだけあって、賢吾は用心深い。完璧な統制を好む性質だからこそ、十一の組から集まった人間がたむろする総和会が、自分には合わないと感じているのかもしれない。だが、そろそろ総和会という環境に慣れてもらわんと――」
話しながら守光が缶ビールを軽く掲げて見せたので、意図を察した和彦は反射的にグラスを取り、ビールを注いでもらう。そこに、慌しい物音を立てて千尋が戻ってきた。
「乾杯、まだしてないよね?」
勢い込んで問いかけてきた千尋に、守光が笑みを浮かべる。穏やかさと鋭さの同居した、不思議な――魅力的ともいえる表情だ。
「落ち着きがない。二十歳を過ぎたら、少しは子供っぽさが抜けると思っていたんだがな」
「オヤジなんて、四十半ばになっても、いまだにガキみたいなとこあるじゃん。それに比べたら、俺なんてまだ大人だね」
「……誰に似たのか知らんが、減らず口が」
守光の小言は耳から素通りしているのか、千尋は上機嫌といった面持ちでコタツに入り、さっそく和彦に向けてグラスを差し出してくる。にんまりと笑いかけられ、つられて和彦も顔を綻ばせながら、ビールを注いでやった。もちろん、守光のグラスにも。
千尋と賢吾とともに過ごすことには慣れている和彦だが、さすがに今晩は勝手が違う。千尋はともかく、今傍らにいるのは、賢吾よりさらに怖い男だ。
和彦はグラスに口をつけながら、ちらりと守光を見る。千尋と楽しげに話す様子は穏やかで優しげだが、身の内には、きっと獰猛な何かが潜んでいる。
長嶺の男二人の〈オンナ〉にされた和彦だからこそ、肌で感じるものがあるのだ。
ふっとこの瞬間、先日三田村と食べた鍋を思い出し、胸苦しくなった。
千尋に背を押され、和彦は部屋に入る。長嶺の男二人に急き立てられるようにコートとジャケットを脱ぐと、素早く千尋に奪い取られてから座椅子に座らされた。守光に言われるままコタツに足を入れたところでもう、立ち上がることを許されない空気となる。
「千尋、冷蔵庫からビールを出してきてくれ。それと、お茶もな」
守光の言葉を受けて、千尋は一旦部屋を出て、ペットボトルのお茶と缶ビールを抱えて戻ってきた。
「じいちゃん、冷蔵庫のビールだけじゃ足りそうにないから、俺ちょっと、食堂から取ってくる」
背筋を伸ばし体を強張らせながら和彦は、二人のやり取りを聞く。今の会話の内容だけなら、本当にごく普通の祖父と孫だ。いや、本人たちにとっては、長嶺組や総和会ということは、意識するまでもない日常であり、普通のことなのだろう。
この世界にいる限り、一般的だとか普通だとか、そういったものと比較するのはやめるべきなのかもしれないと、和彦は自省する。
千尋が慌しくまた部屋を出ていき、玄関のドアが閉まる音がした。その途端、二人きりとなった部屋は静まり返った。
守光が何も言わず、和彦の斜め右に座る。こうして近くにいて目も合わせないのは不自然なので、伏せがちだった視線を上げると、守光はすでに和彦を見ていた。
総和会という大組織の会長と、こうして一緒にコタツに入るというのも、奇妙な感じだった。相変わらず緊張もしているのだが、少しだけおかしくなってくる。和彦はちらりと笑みをこぼし、守光も目元を和らげた。
「……普段はコタツは出していないんだが、このほうが、膝を突き合わせてゆっくり話せるかと思ってな。少なくとも、料亭の座敷よりは、座り心地はいいだろう?」
冗談っぽく言われ、和彦としては苦笑で返すしかない。
「にぎやかな千尋がいるだけで、ずいぶん違います」
ここで、空いている斜め左と正面の席に視線を向ける。斜め左の席には食器と座椅子を置いてあるので、千尋が座るのだろう。しかし正面の席には何も置いていない。
和彦は思いきって尋ねた。
「……賢吾さんは来ないのですか?」
「賢吾は、あまりここに近寄らない。わしは総和会会長、賢吾は長嶺組組長という立場にいる以上、ただ立ち話をするだけでも、そこに意味を求める人間はいる。邪推や勘繰りという類のものだ。それが疎ましいのだろう。あいつは、雑多な集団である総和会に、いろいろと思うところがあるようだ」
「いろいろ、ですか……」
「蛇を背負っているだけあって、賢吾は用心深い。完璧な統制を好む性質だからこそ、十一の組から集まった人間がたむろする総和会が、自分には合わないと感じているのかもしれない。だが、そろそろ総和会という環境に慣れてもらわんと――」
話しながら守光が缶ビールを軽く掲げて見せたので、意図を察した和彦は反射的にグラスを取り、ビールを注いでもらう。そこに、慌しい物音を立てて千尋が戻ってきた。
「乾杯、まだしてないよね?」
勢い込んで問いかけてきた千尋に、守光が笑みを浮かべる。穏やかさと鋭さの同居した、不思議な――魅力的ともいえる表情だ。
「落ち着きがない。二十歳を過ぎたら、少しは子供っぽさが抜けると思っていたんだがな」
「オヤジなんて、四十半ばになっても、いまだにガキみたいなとこあるじゃん。それに比べたら、俺なんてまだ大人だね」
「……誰に似たのか知らんが、減らず口が」
守光の小言は耳から素通りしているのか、千尋は上機嫌といった面持ちでコタツに入り、さっそく和彦に向けてグラスを差し出してくる。にんまりと笑いかけられ、つられて和彦も顔を綻ばせながら、ビールを注いでやった。もちろん、守光のグラスにも。
千尋と賢吾とともに過ごすことには慣れている和彦だが、さすがに今晩は勝手が違う。千尋はともかく、今傍らにいるのは、賢吾よりさらに怖い男だ。
和彦はグラスに口をつけながら、ちらりと守光を見る。千尋と楽しげに話す様子は穏やかで優しげだが、身の内には、きっと獰猛な何かが潜んでいる。
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