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第18話
(9)
しおりを挟む世の中には意外にマメな男が多いのだろうかと、中嶋が作ってくれた酒のつまみを眺め、和彦は素直に感心していた。
マンションに向かう途中、深夜営業しているスーパーに立ち寄ったのだが、和彦がビールを選んでいる間に、中嶋はさっさと野菜などをカゴに入れてきた。つまみを作ると言っていたが、こうして出来上がったものを目の前にすると、料理が一切できない自分が少しばかり恥ずかしくなってくる。
「ホストになる前に、メシ屋で働いていたことがあるんです」
寛いだ様子でソファに腰掛けた中嶋が、缶ビールを片手に教えてくれる。へえ、と声を洩らした和彦は、さっそくトマト炒めを口に運ぶ。酸味がほどよくて、手早く作ったものとは思えないほど美味しい。
「見た目によらず、いろいろ経験しているな」
「いろいろ、というほどじゃないですよ。少しばかり極端な道は歩んでいるかもしれませんが」
「だったら、ぼくもだな」
和彦の言葉に、中嶋はニヤリと笑う。
「先生こそ、まさに極端ですね」
「……君と違うのは、ぼくの場合、自分が選んだわけじゃないということだな」
中嶋はわずかに目を丸くしたあと、和彦のグラスにワインを注いでくれる。
「医者という職業は、先生がなりたくてなったんじゃ……?」
「物心がついたときには、医者になれと言われていた。そういうものかと思って、ぼくも逆らわなかった。佐伯の人間は、意地でもぼくを官僚にしたくなかったらしい。だが、名門である佐伯家の評判を落とすことは許さない。――ぼくに才能があったら、芸術家でもよかったのかもな。とにかく、家を出て自由になれるなら、なんでもよかった」
「でも、先生が医者になったおかげで、こうして俺たちは一緒に飲めるわけです」
和彦が手にしたグラスに、中嶋は缶を軽く当ててくる。和彦は、隣に座った中嶋をまじまじと見つめてから、淡く笑む。
「ヤクザのくせに、変な気のつかい方をするんだな。いや……、優しいんだな、と言うべきか」
「素直にそう受け止められる先生こそ、優しいですよ。野心のあるヤクザがこんなことを言ったら、普通は、何か下心があると勘繰るものです」
「実際そうだとしても、ぼくは気にしない。いつも、周りの思惑に振り回されているんだから、楽しく飲んでいるときぐらい、疲れることはしたくない」
きっぱりと言い切った和彦に、中嶋は生ハムとチーズをたっぷり使ったサラダを取り分けてくれる。このとき中嶋の顔が、甘い、と言っているように見えたが、もしかすると和彦の考えすぎかもしれない。
砕けた雰囲気で、アルコールと中嶋の手料理、そして気楽な会話を堪能していたが、ときおりふと和彦の脳裏をあることが過る。この部屋に仕掛けられた盗聴器で、今の自分たちの会話も聞かれているのだろうかということだ。
ただ、賢吾も千尋も訪れておらず、のんびりと飲みながら交わされる会話に、わざわざ聞き耳を立てているとは思えない。それに、いまさら聞かれて困ることも、恥らうことも、和彦にはなかった。
「――店での質問に、まだ答えてもらってませんでしたね」
水割りを作った中嶋が、突然切り出す。心地よい酔いの感覚に身を任せるように、ソファの背もたれにしなだれかかっていた和彦は、その言葉を受けて姿勢を戻す。
「店での質問って……」
そう応じながら自分のグラスに手を伸ばしかけたが、さきほど空にしたばかりなのを思い出す。
「南郷さんと何かあったのかと、俺は聞きましたよね? その答えです」
「……何か、というほどじゃない。ただ、立て続けに会う機会があっただけだ。会長と食事をしたときと、一昨日、第二遊撃隊の人間を治療したときに」
「怖い人でしょう?」
和彦はパッと中嶋を見る。この反応は、肯定したも同然だ。決まりが悪くて視線を逸らすと、そんな和彦をからかうでもなく、中嶋は澄ました表情でグラスに口をつけた。
「実際、どうなんだ……。南郷さんは怖い人なのか? 少し話したけど、どういう人間なのか、よくわからなかった」
ヤクザ相手にこの問いかけも妙なものだが、和彦は真剣だ。中嶋は何を思い出したのか、視線をさまよわせたあと、わずかに唇を歪めた。
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