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第18話
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思わず語気を荒くすると、中嶋が驚いたように目を丸くする。和彦はウィスキーを一口飲んでから、ほっと息を吐き出した。ついでに、言い訳がましく説明する。
「別に……、総和会の仕事を受けたくないわけじゃない。ただ、たまたま君が待機組だったというだけで、いつ怪我をしてもおかしくない環境だから、心配になっただけだ」
「こんな世界にいて、甘いですね、先生は。ただ俺は、先生の甘さが大好きですよ。きっとこれは、俺だけの意見じゃないと思いますけど」
「ぼくの甘さに対して、きちんと見返りをくれる男ばかりだからな。損はしてない――と思う」
悪党ぶって言ってはみたが、返ってきたのは、中嶋の楽しげな笑い声だった。
「けっこう、悪辣な世界に染まってきましたね」
「全然、そう思ってないだろ……」
ひとしきり笑ったあと、中嶋がふっと我に返ったように真摯な顔つきとなる。隣のテーブルの客が帰ったところを狙っていたように、実にさりげなく和彦の手に触れてきた。
「――俺が怪我したら、先生が治療してください」
「その前に、怪我をしないよう気をつけることだな」
「ヤクザに、無茶言いますね」
和彦は、重ねられた中嶋の手を軽く握ってやる。
「せっかく、大きな傷跡のないきれいな体をしているんだ。そんな君の体を縫うところは、あまり考えたくないな」
「でも、いつかは現実になるかもしれない」
「……そうなったら、せめて箔がつくように、立派な縫い跡を作ってやる」
従業員がやってきて、隣のテーブルを片付け始めたので、二人は何事もなかったように手を離す。
我ながら不埒だなと思うが、中嶋との会話も、ささやかな肌の触れ合いも、適度に気分を高揚させられて心地いい。妖しい胸のざわつきを覚えながらも、反面、強い肉欲を意識するまでには至らない。
和彦は深い吐息を洩らして夜景に視線を向ける。さきほどより雨の降りが強くなってきたようで、ますます景色が霞んで見える。
ガラスを伝って流れ落ちる水滴に見入っていると、背後からにぎやかな歓声が上がる。いかにも学生らしいグループが盛り上がっているようだが、だからといって不快というほどではない。むしろ、物騒な会話を交わしているという後ろ暗さを感じなくて済み、ありがたいぐらいだ。
中嶋も同じ感想を持っているのか、ガラスに反射して映るハンサムな顔には機嫌よさそうな笑みが浮かんでいた。その中嶋が、唐突に問いかけてくる。
「――そういえば先生、南郷さんと何かありましたか?」
完全に虚をつかれた和彦は目を見開く。思わず隣を見ると、いつの間にか中嶋は、したたかで食えない男の顔となっていた。普通の青年の顔をしているから騙されそうになるが、中嶋の中身は、たっぷりの野心を抱え持つ切れ者のヤクザだ。
よりによって、南郷の話題を持ち出してくるとは――。
心地よい酩酊感に浸りかけていたところを、強引に現実に引き戻された気がして、和彦はつい顔をしかめる。それがますます、中嶋の好奇心を刺激したらしい。肘掛けにしなだれかかるようにして、和彦に身を寄せてきた。
「何かあったという顔ですね」
「……どうして、そう思うんだ」
「南郷さんが、俺に聞いてきたんですよ。先生は、どんな人間なのかって」
和彦は、一昨日の夜の出来事を嫌でも思い出す。総和会からの仕事だということで、三田村との逢瀬の途中にもかかわらず慌しく部屋を出て、迎えの車に乗り込んだまではよかったが、なぜか南郷も同乗していたのだ。
露骨に性的なことを言われはしたが、それも最初だけで、南郷はすぐに黙り込んでしまった。和彦が極端に、警戒と拒絶の態度を示したせいかもしれないが、今にして、自分は値踏みされていたのではないかと思う。佐伯和彦としてではなく、〈長嶺組長のオンナ〉として。
中嶋が、和彦をじっと見据えて答えを待っている。仕方なく口を開こうとしたとき、背後で突然、怒声が響いた。
「うるせーんだよっ、さっきから。酒の飲み方も知らないガキが、こんなところに来るなっ」
さらに、グラスが割れるような音に続いて、女性の小さな悲鳴が上がる。驚いた和彦がピクンと肩を震わせる間に、中嶋はソファから腰を浮かせて振り返っていた。向けられた横顔は鋭い殺気を放っている。〈普通の青年〉という表現をためらう迫力があった。
和彦が一瞬息を呑むと、中嶋はふっと表情を和らげる。
「酔っ払いが、他の客に絡んでいるみたいです。先生、危ないから動かないでください」
「あ、あ……」
「別に……、総和会の仕事を受けたくないわけじゃない。ただ、たまたま君が待機組だったというだけで、いつ怪我をしてもおかしくない環境だから、心配になっただけだ」
「こんな世界にいて、甘いですね、先生は。ただ俺は、先生の甘さが大好きですよ。きっとこれは、俺だけの意見じゃないと思いますけど」
「ぼくの甘さに対して、きちんと見返りをくれる男ばかりだからな。損はしてない――と思う」
悪党ぶって言ってはみたが、返ってきたのは、中嶋の楽しげな笑い声だった。
「けっこう、悪辣な世界に染まってきましたね」
「全然、そう思ってないだろ……」
ひとしきり笑ったあと、中嶋がふっと我に返ったように真摯な顔つきとなる。隣のテーブルの客が帰ったところを狙っていたように、実にさりげなく和彦の手に触れてきた。
「――俺が怪我したら、先生が治療してください」
「その前に、怪我をしないよう気をつけることだな」
「ヤクザに、無茶言いますね」
和彦は、重ねられた中嶋の手を軽く握ってやる。
「せっかく、大きな傷跡のないきれいな体をしているんだ。そんな君の体を縫うところは、あまり考えたくないな」
「でも、いつかは現実になるかもしれない」
「……そうなったら、せめて箔がつくように、立派な縫い跡を作ってやる」
従業員がやってきて、隣のテーブルを片付け始めたので、二人は何事もなかったように手を離す。
我ながら不埒だなと思うが、中嶋との会話も、ささやかな肌の触れ合いも、適度に気分を高揚させられて心地いい。妖しい胸のざわつきを覚えながらも、反面、強い肉欲を意識するまでには至らない。
和彦は深い吐息を洩らして夜景に視線を向ける。さきほどより雨の降りが強くなってきたようで、ますます景色が霞んで見える。
ガラスを伝って流れ落ちる水滴に見入っていると、背後からにぎやかな歓声が上がる。いかにも学生らしいグループが盛り上がっているようだが、だからといって不快というほどではない。むしろ、物騒な会話を交わしているという後ろ暗さを感じなくて済み、ありがたいぐらいだ。
中嶋も同じ感想を持っているのか、ガラスに反射して映るハンサムな顔には機嫌よさそうな笑みが浮かんでいた。その中嶋が、唐突に問いかけてくる。
「――そういえば先生、南郷さんと何かありましたか?」
完全に虚をつかれた和彦は目を見開く。思わず隣を見ると、いつの間にか中嶋は、したたかで食えない男の顔となっていた。普通の青年の顔をしているから騙されそうになるが、中嶋の中身は、たっぷりの野心を抱え持つ切れ者のヤクザだ。
よりによって、南郷の話題を持ち出してくるとは――。
心地よい酩酊感に浸りかけていたところを、強引に現実に引き戻された気がして、和彦はつい顔をしかめる。それがますます、中嶋の好奇心を刺激したらしい。肘掛けにしなだれかかるようにして、和彦に身を寄せてきた。
「何かあったという顔ですね」
「……どうして、そう思うんだ」
「南郷さんが、俺に聞いてきたんですよ。先生は、どんな人間なのかって」
和彦は、一昨日の夜の出来事を嫌でも思い出す。総和会からの仕事だということで、三田村との逢瀬の途中にもかかわらず慌しく部屋を出て、迎えの車に乗り込んだまではよかったが、なぜか南郷も同乗していたのだ。
露骨に性的なことを言われはしたが、それも最初だけで、南郷はすぐに黙り込んでしまった。和彦が極端に、警戒と拒絶の態度を示したせいかもしれないが、今にして、自分は値踏みされていたのではないかと思う。佐伯和彦としてではなく、〈長嶺組長のオンナ〉として。
中嶋が、和彦をじっと見据えて答えを待っている。仕方なく口を開こうとしたとき、背後で突然、怒声が響いた。
「うるせーんだよっ、さっきから。酒の飲み方も知らないガキが、こんなところに来るなっ」
さらに、グラスが割れるような音に続いて、女性の小さな悲鳴が上がる。驚いた和彦がピクンと肩を震わせる間に、中嶋はソファから腰を浮かせて振り返っていた。向けられた横顔は鋭い殺気を放っている。〈普通の青年〉という表現をためらう迫力があった。
和彦が一瞬息を呑むと、中嶋はふっと表情を和らげる。
「酔っ払いが、他の客に絡んでいるみたいです。先生、危ないから動かないでください」
「あ、あ……」
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