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第18話
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急かされた和彦は、反射的に小走りとなる。後部座席のドアが開けられ、無防備に車に乗り込んだが、次の瞬間、物騒な気配を感じて総毛立った。
ぎこちなく隣に視線を向けると、なぜか南郷がいた。和彦が目を見開くと、南郷は凄みを帯びた笑みを向けてくる。
驚きのあまり一声も発せないうちに、車は静かに発進した。
「――怪我をしたのは、俺の隊の人間だ」
唐突に南郷が切り出す。
「総和会はでかい組織だが、だからこそ、内部での小さないざこざはよくある。そりゃまあ、十一の組から、それぞれの組の意向を受けて出向いている人間がいるんだ。対立する組同士、表向きは総和会の看板を背負っていても、自分たちの組のために少しでも利益を得ようとする。あんたと仲のいい中嶋のように、自分がかつていた組のことなんて、すっぱり切り捨てられる人間のほうが珍しい。だからこそ、あいつは遊撃隊が似合っている」
「どうしてです?」
思わず問いかけると、南郷はニヤリと笑った。
「オヤジさんは第二遊撃隊を、総和会内の跳ね返りたちの抑えとしても使っている。総和会の和を乱す人間は、身内であろうが容赦しない。そういう懲罰的意味合いで、俺たちは駆り出される。でかい組織をまとめ上げるには、どうしたって荒っぽい力が必要だ。俺は、その力を振るうにはちょうどいい。所属していた組はもうないから、しがらみがないんだ」
南郷の説明通りなら、確かに中嶋には、第二遊撃隊はお似合いだ。いままでのつき合いから和彦は、中嶋が自分が属していた組に対して、忠誠心も執着心もないことは感じていた。あくまで、ヤクザとして出世するための過程の一つなのだろう。
「そういう集団だから、厄介事を片付けたときには、怪我人も出る場合がある。今回がそうだ」
今話題に出た中嶋のことが心配になったが、すかさず南郷が付け加えた。
「中嶋は、今回は待機組だ」
露骨に安堵して見せるわけにもいかず、そうですか、と淡々と応じた和彦だが、もう一つ気になったことがある。警戒しつつ、慎重に南郷をうかがう。
「――……そちらの事情はわかりましたが、どうして、あなたが車に?」
「大事な部下を診てくれる先生を、俺が迎えに来たところで、不思議じゃないだろ。それにあんたは、オヤジさんのお気に入りだ」
小さく声を洩らした和彦を、南郷は酷薄そうな笑みを浮かべて見つめていた。その表情を見ていると、先日、南郷にマンションまで送ってもらったときの出来事を思い出す。あのとき鷹津が現れなければ、自分はどうやって南郷から逃げ出していたのか、想像するだけで不安な気持ちに駆られる。
南郷が見た目同様、物騒で野蛮な男であることは、疑いようがなかった。できることなら、もう二人きりになりたくないと願っていたのだが、総和会と関わる限り、その願いは叶えられないのだろう。
和彦は静かにため息をつくと、ハンドルを握る人間に視線を向ける。この状況で運転手は、いないものとして考えられる。長嶺組の組員であれば、当然、和彦の求めがあれば助けてくれるだろうが、この車内は総和会のテリトリーであり、南郷は総和会で肩書きを持つ人間だ。
いかに自分が長嶺組の看板に守られているか、強く実感した瞬間だった。その一方で、心細さと不安も強く感じる。
和彦はシートに座り直すふりをして、さりげなくドア側に体を寄せようとしたが、南郷に腕を掴まれて簡単に阻止される。思わず睨みつけると、南郷がスッと耳元に顔を寄せた。
「――楽しんでいるところを邪魔されて、機嫌が悪いのか?」
「何言って……」
動揺する和彦に向けて、南郷が下卑た笑みとともに言った。
「あんたが車に乗ってきた途端、汗と精液の匂いがしたぜ」
下卑た表情に相応しい明け透けな言葉に、全身の血が凍りつきそうになったが、次の瞬間には一気に全身が熱くなる。もちろん、羞恥のためだ。
自覚があるからこその反応だった。実際和彦は、寸前まで三田村と体を重ね、激しく求め合っていたのだ。それに、体も洗っていない。
必死に動揺を押し隠す和彦に、南郷は追い討ちをかけてくる。
耳に生ぬるい息遣いが触れ、言葉を注ぎ込まれた。
「あとは――発情した〈オンナ〉の匂いだ。……腰にくる、いい匂いだ」
腕を掴む南郷の手を鋭く振り払う。咄嗟に怒鳴りつけそうになったが、南郷が向けてくる冴えた眼差しに、一瞬にして冷静さを取り戻す。凄んでいるわけでもないのに、和彦の怒気など簡単に呑み込んでしまいそうな禍々しさが、南郷にはあった。
物騒な獣を刺激してはいけないと、本能的に悟った和彦は息を詰め、慎重にドアのほうに体を寄せる。ついでに、ウィンドーを下ろして冷たい風を車内に入れる。南郷が独りごちるように洩らした。
「……もったいない。せっかくの匂いが消える」
和彦は頑なにウィンドーの外に視線を向け、目的地に到着するまで、南郷を一瞥すらしなかった。目が合った途端、抱えた怯えを南郷に見抜かれると確信していたからだ。
ぎこちなく隣に視線を向けると、なぜか南郷がいた。和彦が目を見開くと、南郷は凄みを帯びた笑みを向けてくる。
驚きのあまり一声も発せないうちに、車は静かに発進した。
「――怪我をしたのは、俺の隊の人間だ」
唐突に南郷が切り出す。
「総和会はでかい組織だが、だからこそ、内部での小さないざこざはよくある。そりゃまあ、十一の組から、それぞれの組の意向を受けて出向いている人間がいるんだ。対立する組同士、表向きは総和会の看板を背負っていても、自分たちの組のために少しでも利益を得ようとする。あんたと仲のいい中嶋のように、自分がかつていた組のことなんて、すっぱり切り捨てられる人間のほうが珍しい。だからこそ、あいつは遊撃隊が似合っている」
「どうしてです?」
思わず問いかけると、南郷はニヤリと笑った。
「オヤジさんは第二遊撃隊を、総和会内の跳ね返りたちの抑えとしても使っている。総和会の和を乱す人間は、身内であろうが容赦しない。そういう懲罰的意味合いで、俺たちは駆り出される。でかい組織をまとめ上げるには、どうしたって荒っぽい力が必要だ。俺は、その力を振るうにはちょうどいい。所属していた組はもうないから、しがらみがないんだ」
南郷の説明通りなら、確かに中嶋には、第二遊撃隊はお似合いだ。いままでのつき合いから和彦は、中嶋が自分が属していた組に対して、忠誠心も執着心もないことは感じていた。あくまで、ヤクザとして出世するための過程の一つなのだろう。
「そういう集団だから、厄介事を片付けたときには、怪我人も出る場合がある。今回がそうだ」
今話題に出た中嶋のことが心配になったが、すかさず南郷が付け加えた。
「中嶋は、今回は待機組だ」
露骨に安堵して見せるわけにもいかず、そうですか、と淡々と応じた和彦だが、もう一つ気になったことがある。警戒しつつ、慎重に南郷をうかがう。
「――……そちらの事情はわかりましたが、どうして、あなたが車に?」
「大事な部下を診てくれる先生を、俺が迎えに来たところで、不思議じゃないだろ。それにあんたは、オヤジさんのお気に入りだ」
小さく声を洩らした和彦を、南郷は酷薄そうな笑みを浮かべて見つめていた。その表情を見ていると、先日、南郷にマンションまで送ってもらったときの出来事を思い出す。あのとき鷹津が現れなければ、自分はどうやって南郷から逃げ出していたのか、想像するだけで不安な気持ちに駆られる。
南郷が見た目同様、物騒で野蛮な男であることは、疑いようがなかった。できることなら、もう二人きりになりたくないと願っていたのだが、総和会と関わる限り、その願いは叶えられないのだろう。
和彦は静かにため息をつくと、ハンドルを握る人間に視線を向ける。この状況で運転手は、いないものとして考えられる。長嶺組の組員であれば、当然、和彦の求めがあれば助けてくれるだろうが、この車内は総和会のテリトリーであり、南郷は総和会で肩書きを持つ人間だ。
いかに自分が長嶺組の看板に守られているか、強く実感した瞬間だった。その一方で、心細さと不安も強く感じる。
和彦はシートに座り直すふりをして、さりげなくドア側に体を寄せようとしたが、南郷に腕を掴まれて簡単に阻止される。思わず睨みつけると、南郷がスッと耳元に顔を寄せた。
「――楽しんでいるところを邪魔されて、機嫌が悪いのか?」
「何言って……」
動揺する和彦に向けて、南郷が下卑た笑みとともに言った。
「あんたが車に乗ってきた途端、汗と精液の匂いがしたぜ」
下卑た表情に相応しい明け透けな言葉に、全身の血が凍りつきそうになったが、次の瞬間には一気に全身が熱くなる。もちろん、羞恥のためだ。
自覚があるからこその反応だった。実際和彦は、寸前まで三田村と体を重ね、激しく求め合っていたのだ。それに、体も洗っていない。
必死に動揺を押し隠す和彦に、南郷は追い討ちをかけてくる。
耳に生ぬるい息遣いが触れ、言葉を注ぎ込まれた。
「あとは――発情した〈オンナ〉の匂いだ。……腰にくる、いい匂いだ」
腕を掴む南郷の手を鋭く振り払う。咄嗟に怒鳴りつけそうになったが、南郷が向けてくる冴えた眼差しに、一瞬にして冷静さを取り戻す。凄んでいるわけでもないのに、和彦の怒気など簡単に呑み込んでしまいそうな禍々しさが、南郷にはあった。
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「……もったいない。せっかくの匂いが消える」
和彦は頑なにウィンドーの外に視線を向け、目的地に到着するまで、南郷を一瞥すらしなかった。目が合った途端、抱えた怯えを南郷に見抜かれると確信していたからだ。
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