357 / 1,268
第17話
(23)
しおりを挟む
守光も同じようなことを尋ねてきたなと思い、和彦は探るような視線を賢吾に向ける。父子が示し合わせて、あえてこんな質問をしているのではないかと思ったが、大蛇を潜ませた賢吾の目を見ていると、そんなことはどうでもよくなった。
「ああ……。いままで生活してきたどの場所より、居心地がいい」
和彦の返事を聞くなり、賢吾は運転席の組員に短く指示を出す。あらかじめ打ち合わせをしていたのか、具体的な言葉はなかったが、それでも組員には十分通じたらしい。
「先生、約束の時間まで少し余裕があるから、寄り道をしていくぞ」
「それはかまわないが、どこに……?」
賢吾は、口元に薄い笑みを浮かべただけで、答えてくれなかった。
もっとも和彦は、三十分ほど車が走り続けたところで、自ら答えを出していた。
なんといっても、和彦の実家がすでに前方に見えている。
「――一度、佐伯家というものを自分の目で見てみたかったんだ」
和彦の手を再びきつく握り締めながら、そんなことを賢吾が言った。
車は、佐伯家から少し離れた道路脇に停まる。和彦は顔を強張らせたまま、白い壁が一際目立つ、瀟洒で立派な邸宅をじっと見つめる。そんな和彦の顔を、賢吾は冷静な目で見つめていた。
「あまり、懐かしいという顔をしないんだな」
賢吾の言葉に、思わず苦笑を洩らす。
「こんなところに連れてきて、ぼくが佐伯家に帰りたがっているのか、確認したかったのか?」
「あの家は先生の実家だ。帰りたいと思っても、咎められないだろ」
「……その口ぶりだと、ぼくが実家に顔を出したいといえば、許可してくれるみたいだ」
「かまわんぞ。先生がゆっくりしている間、俺は自分の仕事を済ませてくる」
余裕たっぷりに答える賢吾に鋭い視線を向けて、和彦は首を横に振る。
「まだ、会いたくない……。ぼくは、自分の家族が苦手なんだ」
「そうだろうな。自分の兄貴と出くわしただけで、あれだけ憔悴してたんだ。――只事じゃない」
どんな家庭だったのかと聞かれるかと思ったが、賢吾は一人で話し始めた。
「先生の父親は定年を控えて、民間企業の天下り先が決まったそうだ。大物官僚のうえに、なかなか特殊なポストにいたんだ。特定の業界へ絶大な影響力を持っている人物として、有名らしいな。そして、そんな父親譲りの切れ者ぶりを発揮しているのが、先生の兄だ。ただし活躍の場は、省庁から政界に移りそうだ。鷹津が持ってきた出馬の話は、本当のようだ。佐伯家と、ある政党の人間が頻繁に接触を持っている。表に出て対応しているのは、先生の母親だ」
佐伯家は相変わらず、自分がいなくても順調に動き続けているようだ。そう思った和彦は、淡い笑みを唇に湛える。自分だけが除け者にされているという感情はなく、むしろ安堵のようなものを覚える。
「――……はっきりした。ぼくは、家族と会う気はない。少なくとも今は、会う必要を感じない。あんたに隠れて、佐伯家と連絡を取って助けを求めたりしないから、安心してくれ」
「先生にその気があったら、とっくにそうしているだろ。その点は、俺は心配なんてしていない。ただ、先生と佐伯家の関わりについて、興味があっただけだ」
「興味も何も……、ぼくが、佐伯家の規格から外れているという話だ。向こうも、同じことを思っているはずだ」
和彦が実家の建物を見つめていると、ふいに賢吾に髪を撫でられた。
「先生は、物腰が柔らかくて優しげな人間に見えるが、ある部分じゃ、ヤクザよりよっぽど冷徹かもな。一番厄介な肉親への情を、自分の中ですっぱり切り分けている気がする」
「……どうだろう。あの家にいると、自分がひどく冷めた人間に思えることはあったけど、一人暮らしを始めて外の世界を知ると、よくわからなくなった。ただはっきりしているのは、兄に会って動揺したのは情のせいじゃないということだ」
情を感じたのはむしろ、家族に対してではなく、長嶺組や長嶺の男たちに対してだ。英俊と会ったときの凍りつくような感覚を思い出し、和彦はそっと眉をひそめる。好きとか嫌いとか、そういう感覚で自分の家族は捉えられない。ただ、関わりたくないだけだ。
こう思うこと自体、やはり冷めたいのかもしれないと、なんの後ろめたさを覚えるでもなく和彦は考える。
「冷めているかもしれないが、先生の本質は、情が深い。多情さと多淫ぶりで男を骨抜きにしながら、甘やかしてくれる。俺にとって――長嶺の男にとっては、先生が佐伯家の規格から外れていて、ありがたいがな」
髪に触れていた賢吾の指先が、スッと頬をなぞる。耳元に顔が寄せられたかと思うと、官能的なバリトンがこんなことを囁いてきた。
「こんなヤクザから感謝されても、嬉しくないか?」
「ああ……。いままで生活してきたどの場所より、居心地がいい」
和彦の返事を聞くなり、賢吾は運転席の組員に短く指示を出す。あらかじめ打ち合わせをしていたのか、具体的な言葉はなかったが、それでも組員には十分通じたらしい。
「先生、約束の時間まで少し余裕があるから、寄り道をしていくぞ」
「それはかまわないが、どこに……?」
賢吾は、口元に薄い笑みを浮かべただけで、答えてくれなかった。
もっとも和彦は、三十分ほど車が走り続けたところで、自ら答えを出していた。
なんといっても、和彦の実家がすでに前方に見えている。
「――一度、佐伯家というものを自分の目で見てみたかったんだ」
和彦の手を再びきつく握り締めながら、そんなことを賢吾が言った。
車は、佐伯家から少し離れた道路脇に停まる。和彦は顔を強張らせたまま、白い壁が一際目立つ、瀟洒で立派な邸宅をじっと見つめる。そんな和彦の顔を、賢吾は冷静な目で見つめていた。
「あまり、懐かしいという顔をしないんだな」
賢吾の言葉に、思わず苦笑を洩らす。
「こんなところに連れてきて、ぼくが佐伯家に帰りたがっているのか、確認したかったのか?」
「あの家は先生の実家だ。帰りたいと思っても、咎められないだろ」
「……その口ぶりだと、ぼくが実家に顔を出したいといえば、許可してくれるみたいだ」
「かまわんぞ。先生がゆっくりしている間、俺は自分の仕事を済ませてくる」
余裕たっぷりに答える賢吾に鋭い視線を向けて、和彦は首を横に振る。
「まだ、会いたくない……。ぼくは、自分の家族が苦手なんだ」
「そうだろうな。自分の兄貴と出くわしただけで、あれだけ憔悴してたんだ。――只事じゃない」
どんな家庭だったのかと聞かれるかと思ったが、賢吾は一人で話し始めた。
「先生の父親は定年を控えて、民間企業の天下り先が決まったそうだ。大物官僚のうえに、なかなか特殊なポストにいたんだ。特定の業界へ絶大な影響力を持っている人物として、有名らしいな。そして、そんな父親譲りの切れ者ぶりを発揮しているのが、先生の兄だ。ただし活躍の場は、省庁から政界に移りそうだ。鷹津が持ってきた出馬の話は、本当のようだ。佐伯家と、ある政党の人間が頻繁に接触を持っている。表に出て対応しているのは、先生の母親だ」
佐伯家は相変わらず、自分がいなくても順調に動き続けているようだ。そう思った和彦は、淡い笑みを唇に湛える。自分だけが除け者にされているという感情はなく、むしろ安堵のようなものを覚える。
「――……はっきりした。ぼくは、家族と会う気はない。少なくとも今は、会う必要を感じない。あんたに隠れて、佐伯家と連絡を取って助けを求めたりしないから、安心してくれ」
「先生にその気があったら、とっくにそうしているだろ。その点は、俺は心配なんてしていない。ただ、先生と佐伯家の関わりについて、興味があっただけだ」
「興味も何も……、ぼくが、佐伯家の規格から外れているという話だ。向こうも、同じことを思っているはずだ」
和彦が実家の建物を見つめていると、ふいに賢吾に髪を撫でられた。
「先生は、物腰が柔らかくて優しげな人間に見えるが、ある部分じゃ、ヤクザよりよっぽど冷徹かもな。一番厄介な肉親への情を、自分の中ですっぱり切り分けている気がする」
「……どうだろう。あの家にいると、自分がひどく冷めた人間に思えることはあったけど、一人暮らしを始めて外の世界を知ると、よくわからなくなった。ただはっきりしているのは、兄に会って動揺したのは情のせいじゃないということだ」
情を感じたのはむしろ、家族に対してではなく、長嶺組や長嶺の男たちに対してだ。英俊と会ったときの凍りつくような感覚を思い出し、和彦はそっと眉をひそめる。好きとか嫌いとか、そういう感覚で自分の家族は捉えられない。ただ、関わりたくないだけだ。
こう思うこと自体、やはり冷めたいのかもしれないと、なんの後ろめたさを覚えるでもなく和彦は考える。
「冷めているかもしれないが、先生の本質は、情が深い。多情さと多淫ぶりで男を骨抜きにしながら、甘やかしてくれる。俺にとって――長嶺の男にとっては、先生が佐伯家の規格から外れていて、ありがたいがな」
髪に触れていた賢吾の指先が、スッと頬をなぞる。耳元に顔が寄せられたかと思うと、官能的なバリトンがこんなことを囁いてきた。
「こんなヤクザから感謝されても、嬉しくないか?」
36
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる