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第17話
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「どこにでも着ていけばいい。そのために、落ち着いたデザインのものを選んだんだ。大事に仕舞い込まれるより、使い込んでくれたほうが、贈った人間は喜ぶ」
話しながら賢吾の手が、毛皮を撫でる和彦の手の上に重なる。
「先生は自分から、あれが欲しい、これが欲しいと滅多に口にしないからな。周りの男たちが気を利かせて、いいものを身につけさせないと。なんといってもこれから先、組関係の人間と顔を合わせる機会が多くなる」
「どういう意味だ」
「――総和会会長が、個人的に先生と会った話は、もうこの界隈で広がり始めている。今のうちに先生に取り入っておこうと考える奴がいても、不思議じゃない」
「たったそれだけのことが、どうして広がるんだ。というより、誰が広めるんだ」
「さあ。総和会の中もいろいろと利害が入り乱れて、毎日、情報戦だ。それが大事な〈オヤジさん〉のことともなると、誰も彼も聞き耳を立ててるぞ」
澄まして答える賢吾の横顔を、和彦はじっと見つめる。和彦と守光が食事したことを知っているのは、何も総和会内部の人間だけではないと思ったのだが、口に出すのはやめておいた。賢吾に会話を導かれているような気がしたからだ。
「あまり……ぼくを厄介なことに巻き込まないでくれ。長嶺組という組織だけでも、ぼくにとっては大きいんだ。それが総和会ともなると、想像がつかない」
「いろんな種類の凶暴な魚が泳ぐ、でかい水槽だと思えばいい。一応の棲み分けはできているが、気を抜くと――」
賢吾の腕が肩に回され、引き寄せられる。唇に賢吾の息が触れた。
「食われる。だからこそ、力を持つ魚の勢力下にいるのが安全だ」
賢吾の囁きと眼差しの迫力に、和彦は気圧される。賢吾の内に潜む大蛇が、ゾロリと身じろいだような気配を感じた。
「……そう、なのか……」
和彦の怯えを感じ取ったのか、賢吾はおどけたように肩をすくめる。
「さあな。俺は総和会の人間じゃなく、長嶺組の人間だ。ただ、オヤジはそのでかい水槽の中で、あれこれ企んでいるようだがな」
「本当に、長嶺の男は怖い」
「オヤジの怖さも堪能したか?」
和彦はドキリとして、反射的に視線を伏せる。守光と食事をしたのは三日前になるが、実はどんな会話を交わしたかまでは、賢吾に報告していない。和彦から言わなくても、守光の口から伝わるから――というのは、言い訳にしかならないだろう。
料亭の座敷で守光から言われたことは、できることならすべて、冗談にしてしまいたかった。賢吾に伝えて、何かしらの現実味を帯びる事態を和彦は恐れている。
それでなくても和彦は、すでにある厄介事に巻き込まれつつある。
困惑する和彦とは裏腹に、賢吾は楽しそうだが――。
「そういえば先生は、南郷の怖さも体験したんだったな」
できることなら、南郷に〈絡まれた〉出来事も報告したくはなかったが、鷹津の部屋で一晩過ごすに至った経緯を話さないわけにはいかない。賢吾への隠し事は、一つでも少ないほうがよかった。
「……一応、あんたに報告はしたが、大したことじゃないんだ。ただ南郷さんは、ぼくみたいな存在が物珍しかったんだと思う」
「男を骨抜きにする、性質の悪いオンナの存在が?」
和彦が睨みつけると、賢吾は低く笑い声を洩らす。
すぐに賢吾の腕から逃れようとしたが、肩にかかった手に力が込められる。どうやら和彦を離す気はないらしい。それどころか、頭を引き寄せれる。仕方なく和彦は、賢吾の肩に頭をのせる。
「まったく、わがままなじいさんのせいで、クリニックの開業を祝う予定がズレた」
「別に……、普通でいい。あんたや千尋と関わってから、何かと祝い事を体験させてもらっているんだ。どうせ祝うなら、開業一周年とか、そういうのにしてくれ」
「――一周年でも五周年でも、もちろん十周年だろうが、好きなときに祝ってやる」
パッと頭を上げた和彦は、うろたえながら賢吾を見つめる。一方の賢吾は、ひどく機嫌がよさそうだ。
「今の生活にすっかり馴染んだな、先生。クリスマスツリーを飾っているときにもポロリと洩らしていたが、ヤクザに囲まれての生活が、当たり前になってるだろ?」
ささやかな意地を張るように賢吾を睨みつけた和彦だが、すぐに諦める。
「……それがあんたの、望みなんだろ」
「先生は、長嶺組にとっても、長嶺の男たちにとっても、大事な存在だからな。去られるわけにはいかない。だからといって、狭い檻に押し込めたままってのは、俺の趣味に合わない。しなやかな獣ってのは、思いきり手足を伸ばしている姿が自然で、きれいなんだ」
賢吾の手が頬にかかり、少し手荒に撫でられる。そして、まるで試すような口調で問いかけてきた。
「先生が今いる場所は、居心地がいいか?」
話しながら賢吾の手が、毛皮を撫でる和彦の手の上に重なる。
「先生は自分から、あれが欲しい、これが欲しいと滅多に口にしないからな。周りの男たちが気を利かせて、いいものを身につけさせないと。なんといってもこれから先、組関係の人間と顔を合わせる機会が多くなる」
「どういう意味だ」
「――総和会会長が、個人的に先生と会った話は、もうこの界隈で広がり始めている。今のうちに先生に取り入っておこうと考える奴がいても、不思議じゃない」
「たったそれだけのことが、どうして広がるんだ。というより、誰が広めるんだ」
「さあ。総和会の中もいろいろと利害が入り乱れて、毎日、情報戦だ。それが大事な〈オヤジさん〉のことともなると、誰も彼も聞き耳を立ててるぞ」
澄まして答える賢吾の横顔を、和彦はじっと見つめる。和彦と守光が食事したことを知っているのは、何も総和会内部の人間だけではないと思ったのだが、口に出すのはやめておいた。賢吾に会話を導かれているような気がしたからだ。
「あまり……ぼくを厄介なことに巻き込まないでくれ。長嶺組という組織だけでも、ぼくにとっては大きいんだ。それが総和会ともなると、想像がつかない」
「いろんな種類の凶暴な魚が泳ぐ、でかい水槽だと思えばいい。一応の棲み分けはできているが、気を抜くと――」
賢吾の腕が肩に回され、引き寄せられる。唇に賢吾の息が触れた。
「食われる。だからこそ、力を持つ魚の勢力下にいるのが安全だ」
賢吾の囁きと眼差しの迫力に、和彦は気圧される。賢吾の内に潜む大蛇が、ゾロリと身じろいだような気配を感じた。
「……そう、なのか……」
和彦の怯えを感じ取ったのか、賢吾はおどけたように肩をすくめる。
「さあな。俺は総和会の人間じゃなく、長嶺組の人間だ。ただ、オヤジはそのでかい水槽の中で、あれこれ企んでいるようだがな」
「本当に、長嶺の男は怖い」
「オヤジの怖さも堪能したか?」
和彦はドキリとして、反射的に視線を伏せる。守光と食事をしたのは三日前になるが、実はどんな会話を交わしたかまでは、賢吾に報告していない。和彦から言わなくても、守光の口から伝わるから――というのは、言い訳にしかならないだろう。
料亭の座敷で守光から言われたことは、できることならすべて、冗談にしてしまいたかった。賢吾に伝えて、何かしらの現実味を帯びる事態を和彦は恐れている。
それでなくても和彦は、すでにある厄介事に巻き込まれつつある。
困惑する和彦とは裏腹に、賢吾は楽しそうだが――。
「そういえば先生は、南郷の怖さも体験したんだったな」
できることなら、南郷に〈絡まれた〉出来事も報告したくはなかったが、鷹津の部屋で一晩過ごすに至った経緯を話さないわけにはいかない。賢吾への隠し事は、一つでも少ないほうがよかった。
「……一応、あんたに報告はしたが、大したことじゃないんだ。ただ南郷さんは、ぼくみたいな存在が物珍しかったんだと思う」
「男を骨抜きにする、性質の悪いオンナの存在が?」
和彦が睨みつけると、賢吾は低く笑い声を洩らす。
すぐに賢吾の腕から逃れようとしたが、肩にかかった手に力が込められる。どうやら和彦を離す気はないらしい。それどころか、頭を引き寄せれる。仕方なく和彦は、賢吾の肩に頭をのせる。
「まったく、わがままなじいさんのせいで、クリニックの開業を祝う予定がズレた」
「別に……、普通でいい。あんたや千尋と関わってから、何かと祝い事を体験させてもらっているんだ。どうせ祝うなら、開業一周年とか、そういうのにしてくれ」
「――一周年でも五周年でも、もちろん十周年だろうが、好きなときに祝ってやる」
パッと頭を上げた和彦は、うろたえながら賢吾を見つめる。一方の賢吾は、ひどく機嫌がよさそうだ。
「今の生活にすっかり馴染んだな、先生。クリスマスツリーを飾っているときにもポロリと洩らしていたが、ヤクザに囲まれての生活が、当たり前になってるだろ?」
ささやかな意地を張るように賢吾を睨みつけた和彦だが、すぐに諦める。
「……それがあんたの、望みなんだろ」
「先生は、長嶺組にとっても、長嶺の男たちにとっても、大事な存在だからな。去られるわけにはいかない。だからといって、狭い檻に押し込めたままってのは、俺の趣味に合わない。しなやかな獣ってのは、思いきり手足を伸ばしている姿が自然で、きれいなんだ」
賢吾の手が頬にかかり、少し手荒に撫でられる。そして、まるで試すような口調で問いかけてきた。
「先生が今いる場所は、居心地がいいか?」
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