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第17話
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思わず謝罪したことで、守光の指摘の正しさを認める。そんな和彦を咎めるでもなく、むしろ反応を愛でるように守光は目を細めた。一方で、相変わらず和彦の手に触れ、指を一本ずつ撫でてくる。
「あんたを大事にしたいと考えているのは、何も長嶺組だけじゃない」
返事の代わりに和彦は目を見開く。ズバリと切り込むように、守光が低い声で告げた。
「総和会で、あんたの身を預からせてもらえないだろうか――と考えている」
恫喝されたわけではない。だがこの瞬間、和彦は得体の知れない不安と恐怖を感じていた。巧妙に仕掛けられた罠にかかってしまった小動物の心境とは、こういうものなのかもしれない。足りないのは、絶望的な痛みだけだ。
どういう意図からの提案なのか、無意識に唇を舐めてようやく問いかけようとしたとき、襖の向こうから聞き覚えのある声がした。
「――オヤジさん」
誰の声かわかった途端、和彦は体を強張らせる。そんな和彦の手をぐっと握り締めて、守光が応じた。
「南郷か」
「はい。ちょっとよろしいですか」
守光が応じると、スッと襖が開き、正座した南郷が姿を見せる。大柄な体を、見るからに高級そうなスーツで包んでいるが、内から滲み出る粗暴さは隠しきれないようだ。そんな男が、守光に対して恭しく頭を下げた。
「例の件について至急相談したいと、電話が入っています。……お楽しみのところでしたら、あとでかけ直すよう伝えますが」
わずかに頭を上げた南郷は、獣のように鋭い視線をこちらに向けてくる。襖を開けた瞬間に、守光が和彦の手を握っている光景を捉えていたのだろう。誤解されたのではないかと思った和彦は、慌てて手を引く。
そんな和彦を見て、ちらりと笑みをこぼした守光が立ち上がる。
「かまわん。隣の座敷で電話を取る。それと、わしはかまわんから、先生の分のデザートを運ぶよう、伝えてくれ」
「あの……、デザートはけっこうです。今日は疲れたので、ぼくはこれで失礼します。ちょうど、お仕事の電話も入られたようですし」
和彦としては、頭で考えるより先に、勝手に口が動いたような感覚だった。とにかく、独特の空気が支配するこの場から、早く解放されたかったのだ。突然、守光と向かい合って食事をすることになり、挙げ句、手を握られながら、思いがけない提案までされた。頭が混乱しすぎて、頭痛までしてくる。
思案するように声を洩らした守光が、和彦の傍らに歩み寄ってきたかと思うと、なんの前触れもなくあごを掬い上げた。
「……確かに、少し顔色が悪い。やはり、賢吾や千尋と一緒に過ごすほうがよかったようだ」
「いえっ、そんなことはありません。お忙しい立場なのに、気にかけていただいて感謝しています」
「次に会うときは、もっと打ち解けてくれ」
守光の指がさりげなくあごの下をくすぐる。極度の緊張を強いられた和彦が動けないでいる間に、守光は座敷を出て、廊下にいる南郷に話しかけた。二人の会話が和彦の耳に届く。
「――南郷、先生をマンションまで送ってくれ。賢吾には、先生の安全については責任を持つと言い切ったからな。総和会の第二遊撃隊の隊長が送り届けたなら、あいつも文句は言わんだろ」
「俺の運転でいいんですか?」
「お前の車を襲おうなんてバカ者は、まずおらん。……体を張って先生を守れ」
了解、と低い声が答える。和彦がおそるおそる開いた襖のほうを見ると、ちょうど南郷が座敷を覗き込んだところで、しっかり目が合う。
挨拶のつもりなのか、獣が牙を向くような怖い笑みを向けられ、和彦は咄嗟に視線を伏せる。
できることなら、この場から逃げ出したかった。
「オヤジさんの機嫌がよかった」
道路が空いているとみるや、車のスピードを上げた南郷が、ふと思い出したように口を開く。後部座席に座り、じっと体を硬くしていた和彦は、それが自分にかけられた言葉だと察して、仕方なく応じた。
「……まだ会って二度目なので、よくわかりません」
「はっ、俺相手に敬語なんて使わなくていい。あんただって、こんな学も品もない男と、本当は口も聞きたくないだろ」
こんなことを言われて、頷けるはずもない。和彦は聞こえなかったふりをして、物憂げにウィンドーの向こうに視線を向ける。こちらから話題を振ってみた。
「オヤジさん、と呼ぶんですね。会長のことを」
「あの人には、十代のガキの頃から可愛がってもらっている。組を紹介してくれて、何かと口添えをしてくれた。そのうえ、組の解散が決まったときには、総和会に招き入れてくれたしな。実の親より、俺の面倒を見てくれた」
「そうなんですか……。だったら、長嶺組長とも昔からお知り合いなんですか?」
「あんたを大事にしたいと考えているのは、何も長嶺組だけじゃない」
返事の代わりに和彦は目を見開く。ズバリと切り込むように、守光が低い声で告げた。
「総和会で、あんたの身を預からせてもらえないだろうか――と考えている」
恫喝されたわけではない。だがこの瞬間、和彦は得体の知れない不安と恐怖を感じていた。巧妙に仕掛けられた罠にかかってしまった小動物の心境とは、こういうものなのかもしれない。足りないのは、絶望的な痛みだけだ。
どういう意図からの提案なのか、無意識に唇を舐めてようやく問いかけようとしたとき、襖の向こうから聞き覚えのある声がした。
「――オヤジさん」
誰の声かわかった途端、和彦は体を強張らせる。そんな和彦の手をぐっと握り締めて、守光が応じた。
「南郷か」
「はい。ちょっとよろしいですか」
守光が応じると、スッと襖が開き、正座した南郷が姿を見せる。大柄な体を、見るからに高級そうなスーツで包んでいるが、内から滲み出る粗暴さは隠しきれないようだ。そんな男が、守光に対して恭しく頭を下げた。
「例の件について至急相談したいと、電話が入っています。……お楽しみのところでしたら、あとでかけ直すよう伝えますが」
わずかに頭を上げた南郷は、獣のように鋭い視線をこちらに向けてくる。襖を開けた瞬間に、守光が和彦の手を握っている光景を捉えていたのだろう。誤解されたのではないかと思った和彦は、慌てて手を引く。
そんな和彦を見て、ちらりと笑みをこぼした守光が立ち上がる。
「かまわん。隣の座敷で電話を取る。それと、わしはかまわんから、先生の分のデザートを運ぶよう、伝えてくれ」
「あの……、デザートはけっこうです。今日は疲れたので、ぼくはこれで失礼します。ちょうど、お仕事の電話も入られたようですし」
和彦としては、頭で考えるより先に、勝手に口が動いたような感覚だった。とにかく、独特の空気が支配するこの場から、早く解放されたかったのだ。突然、守光と向かい合って食事をすることになり、挙げ句、手を握られながら、思いがけない提案までされた。頭が混乱しすぎて、頭痛までしてくる。
思案するように声を洩らした守光が、和彦の傍らに歩み寄ってきたかと思うと、なんの前触れもなくあごを掬い上げた。
「……確かに、少し顔色が悪い。やはり、賢吾や千尋と一緒に過ごすほうがよかったようだ」
「いえっ、そんなことはありません。お忙しい立場なのに、気にかけていただいて感謝しています」
「次に会うときは、もっと打ち解けてくれ」
守光の指がさりげなくあごの下をくすぐる。極度の緊張を強いられた和彦が動けないでいる間に、守光は座敷を出て、廊下にいる南郷に話しかけた。二人の会話が和彦の耳に届く。
「――南郷、先生をマンションまで送ってくれ。賢吾には、先生の安全については責任を持つと言い切ったからな。総和会の第二遊撃隊の隊長が送り届けたなら、あいつも文句は言わんだろ」
「俺の運転でいいんですか?」
「お前の車を襲おうなんてバカ者は、まずおらん。……体を張って先生を守れ」
了解、と低い声が答える。和彦がおそるおそる開いた襖のほうを見ると、ちょうど南郷が座敷を覗き込んだところで、しっかり目が合う。
挨拶のつもりなのか、獣が牙を向くような怖い笑みを向けられ、和彦は咄嗟に視線を伏せる。
できることなら、この場から逃げ出したかった。
「オヤジさんの機嫌がよかった」
道路が空いているとみるや、車のスピードを上げた南郷が、ふと思い出したように口を開く。後部座席に座り、じっと体を硬くしていた和彦は、それが自分にかけられた言葉だと察して、仕方なく応じた。
「……まだ会って二度目なので、よくわかりません」
「はっ、俺相手に敬語なんて使わなくていい。あんただって、こんな学も品もない男と、本当は口も聞きたくないだろ」
こんなことを言われて、頷けるはずもない。和彦は聞こえなかったふりをして、物憂げにウィンドーの向こうに視線を向ける。こちらから話題を振ってみた。
「オヤジさん、と呼ぶんですね。会長のことを」
「あの人には、十代のガキの頃から可愛がってもらっている。組を紹介してくれて、何かと口添えをしてくれた。そのうえ、組の解散が決まったときには、総和会に招き入れてくれたしな。実の親より、俺の面倒を見てくれた」
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