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第17話
(13)
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「先日は、相手をしてくれてありがとう。――先生」
賢吾に似た太く艶のある声が発せられ、呆然と立ち尽くしていた和彦は我に返る。急に落ち着かなくなり、緊張のあまりこの場から逃げ出したくなったが、手招きされると、もう逆らえない。会釈をして座敷に足を踏み入れた。
さらに促されるまま、座卓を挟んで守光の正面に座る。和彦は唇を動かしはするものの、守光の顔を見ると、頭の中が真っ白になってしまい、何も言葉が出ない。正体を知ってしまうと、どう話しかけていいのかすら、わからないのだ。
相手は、総和会という大きな組織の会長で、賢吾の父親で、千尋の祖父だ。そして和彦は、その二人の〈オンナ〉だ。医者として、長嶺組と総和会にも協力しており、和彦の立場は複雑だ。
「総和会会長と対面しているから、そう緊張しているのかね?」
笑いを含んだ声で問われ、戸惑いながらも和彦は小さく頷く。
「そう、です……」
「テレビや新聞を通して、さんざん総和会の悪評を聞いていたら、当然かもしれないな。事実でもあるし、あんたには物騒な患者の治療もさせている。だが、ヤクザの世界云々は、今はいい。わしは長嶺の男で、あんたは、長嶺の男の扱いに慣れている。そう考えると、少しは気が楽になるだろ?」
総和会会長という肩書きの威圧感が、考え方一つで変わるわけではない。ただ、守光の物言いの柔らかさは、和彦にとって救いだ。ぎこちなく微笑むと、守光は襖の向こうに一声かける。
すぐに料理が運ばれてきて、座卓の上に並ぶ。その間、手持ち無沙汰となった和彦は、所在なく座敷内を見回していたが、仲居が襖を開いた瞬間、影のように廊下に立つスーツ姿の男たちの姿を目にした。自分は今、総和会会長とともにいるのだと、改めて思い知らされる光景だ。
「あんたが来る前に、賢吾と電話で話したが、機嫌が悪かった。先生との約束をわしに奪われたと、恨み言を言われたよ」
「……組長が、ですか?」
「組長、か……。いつもそう呼んでいるわけじゃないだろう。今晩はあくまで、長嶺の身内として、あんたと話しているんだ。そういう堅苦しい呼び方は抜きにしないかね」
和彦が戸惑いながら口ごもると、守光は笑いながら猪口を手にして差し出してくる。意図を察した和彦は、恐縮しながらおずおずと猪口を受け取り、酒を注いでもらう。味わう余裕などもちろんなく、ぎこちない動作で返杯するのが精一杯だ。
今度は和彦が注いだ酒を、守光が飲み干す。その様子を、不思議な感覚で見つめていた。
ノーネクタイ姿で、座椅子にあぐらをかいて座っている守光の姿は、やはりどう見ても物騒なヤクザには見えない。ところどころ所作に鋭さが出るものの、それでも立派な企業の経営者や重役で十分通る物腰だ。
この人は本当に総和会の会長なのだろうかと、今になって基本的な疑問すら抱いてしまう。
和彦の視線に気づいたのか、ふいに顔を上げた守光がニヤリと笑いかけてくる。
「夢でも見ているような顔だ」
「あっ、いえ……。まだこの状況が、信じられなくて」
「今の生活だと、ヤクザなんて珍しくもないだろう」
「でも、あなたはただのヤクザじゃ――」
「ヤクザはヤクザ。どれだけ大層な看板を背負おうが、それは変わらんよ。堅気からすれば、疫病神一匹、といったところだ。あんたは、その疫病神の中で特に性質の悪いのに気に入られたというわけだ」
返事のしようがなくて、和彦は小さく苦笑を洩らす。
料理に箸をつけながら会話を交わすが、まだ緊張している和彦を気遣ってか、守光のほうからあれこれと話しかけてくれる。それに答えるうちに、ようやくまともに会話が続くといった感じだ。
少しずつ、守光と一緒にいる空気に慣れていく。〈長嶺の男〉という一括りは本来はどうかとも思うのだが、こうして話していると、賢吾や千尋が持つ雰囲気と共通する部分があり、それが和彦には馴染むのだ。自覚がないまま、これまでの生活で慣らされてきたのかもしれない。
打ち解けてきたからこそわかったことなのだが、長嶺の男は、妙なところまで似ていた。
「――賢吾と千尋は、あんたを〈オンナ〉として満足させているかね」
吸い物に口をつけていた和彦は危うく咳き込みそうになり、慌てて口元を手で覆う。息を詰めたせいもあるが、それ以上の激しい羞恥で、瞬く間に顔が熱くなってくる。
「なっ、何、言って……」
うろたえる和彦を、守光は興味深そうに見つめてくる。明け透けなことを平然と言えるところが、本当に賢吾と千尋にそっくりだ。
「最初にあんたのことを教えてくれたのは、千尋だ。バイト先の客に、気になる医者がいると言って。その医者を調べさせたのは、賢吾だ。――ヤクザの好奇心を掻き立てるものを、いろいろと持ってるな、あんたは」
賢吾に似た太く艶のある声が発せられ、呆然と立ち尽くしていた和彦は我に返る。急に落ち着かなくなり、緊張のあまりこの場から逃げ出したくなったが、手招きされると、もう逆らえない。会釈をして座敷に足を踏み入れた。
さらに促されるまま、座卓を挟んで守光の正面に座る。和彦は唇を動かしはするものの、守光の顔を見ると、頭の中が真っ白になってしまい、何も言葉が出ない。正体を知ってしまうと、どう話しかけていいのかすら、わからないのだ。
相手は、総和会という大きな組織の会長で、賢吾の父親で、千尋の祖父だ。そして和彦は、その二人の〈オンナ〉だ。医者として、長嶺組と総和会にも協力しており、和彦の立場は複雑だ。
「総和会会長と対面しているから、そう緊張しているのかね?」
笑いを含んだ声で問われ、戸惑いながらも和彦は小さく頷く。
「そう、です……」
「テレビや新聞を通して、さんざん総和会の悪評を聞いていたら、当然かもしれないな。事実でもあるし、あんたには物騒な患者の治療もさせている。だが、ヤクザの世界云々は、今はいい。わしは長嶺の男で、あんたは、長嶺の男の扱いに慣れている。そう考えると、少しは気が楽になるだろ?」
総和会会長という肩書きの威圧感が、考え方一つで変わるわけではない。ただ、守光の物言いの柔らかさは、和彦にとって救いだ。ぎこちなく微笑むと、守光は襖の向こうに一声かける。
すぐに料理が運ばれてきて、座卓の上に並ぶ。その間、手持ち無沙汰となった和彦は、所在なく座敷内を見回していたが、仲居が襖を開いた瞬間、影のように廊下に立つスーツ姿の男たちの姿を目にした。自分は今、総和会会長とともにいるのだと、改めて思い知らされる光景だ。
「あんたが来る前に、賢吾と電話で話したが、機嫌が悪かった。先生との約束をわしに奪われたと、恨み言を言われたよ」
「……組長が、ですか?」
「組長、か……。いつもそう呼んでいるわけじゃないだろう。今晩はあくまで、長嶺の身内として、あんたと話しているんだ。そういう堅苦しい呼び方は抜きにしないかね」
和彦が戸惑いながら口ごもると、守光は笑いながら猪口を手にして差し出してくる。意図を察した和彦は、恐縮しながらおずおずと猪口を受け取り、酒を注いでもらう。味わう余裕などもちろんなく、ぎこちない動作で返杯するのが精一杯だ。
今度は和彦が注いだ酒を、守光が飲み干す。その様子を、不思議な感覚で見つめていた。
ノーネクタイ姿で、座椅子にあぐらをかいて座っている守光の姿は、やはりどう見ても物騒なヤクザには見えない。ところどころ所作に鋭さが出るものの、それでも立派な企業の経営者や重役で十分通る物腰だ。
この人は本当に総和会の会長なのだろうかと、今になって基本的な疑問すら抱いてしまう。
和彦の視線に気づいたのか、ふいに顔を上げた守光がニヤリと笑いかけてくる。
「夢でも見ているような顔だ」
「あっ、いえ……。まだこの状況が、信じられなくて」
「今の生活だと、ヤクザなんて珍しくもないだろう」
「でも、あなたはただのヤクザじゃ――」
「ヤクザはヤクザ。どれだけ大層な看板を背負おうが、それは変わらんよ。堅気からすれば、疫病神一匹、といったところだ。あんたは、その疫病神の中で特に性質の悪いのに気に入られたというわけだ」
返事のしようがなくて、和彦は小さく苦笑を洩らす。
料理に箸をつけながら会話を交わすが、まだ緊張している和彦を気遣ってか、守光のほうからあれこれと話しかけてくれる。それに答えるうちに、ようやくまともに会話が続くといった感じだ。
少しずつ、守光と一緒にいる空気に慣れていく。〈長嶺の男〉という一括りは本来はどうかとも思うのだが、こうして話していると、賢吾や千尋が持つ雰囲気と共通する部分があり、それが和彦には馴染むのだ。自覚がないまま、これまでの生活で慣らされてきたのかもしれない。
打ち解けてきたからこそわかったことなのだが、長嶺の男は、妙なところまで似ていた。
「――賢吾と千尋は、あんたを〈オンナ〉として満足させているかね」
吸い物に口をつけていた和彦は危うく咳き込みそうになり、慌てて口元を手で覆う。息を詰めたせいもあるが、それ以上の激しい羞恥で、瞬く間に顔が熱くなってくる。
「なっ、何、言って……」
うろたえる和彦を、守光は興味深そうに見つめてくる。明け透けなことを平然と言えるところが、本当に賢吾と千尋にそっくりだ。
「最初にあんたのことを教えてくれたのは、千尋だ。バイト先の客に、気になる医者がいると言って。その医者を調べさせたのは、賢吾だ。――ヤクザの好奇心を掻き立てるものを、いろいろと持ってるな、あんたは」
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