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第17話
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「そうですか? 俺と秦さんが、先生を巻き込んだと思っているんですが」
「そんな君らの事情に深入りしたのは、ぼくだ。それに――」
秦と中嶋の関係に興味と興奮を覚え、その衝動に抗えなかった。
心の中で呟いて、中嶋には曖昧な笑みで返す。
更衣室に入ると、それぞれのロッカーに向かおうと別れようとしたが、和彦は大事なことを思い出し、思わず中嶋を呼び止めた。
「中嶋くんっ」
振り返った中嶋が、驚いたような表情を一瞬見せたあと、顔を綻ばせる。
「こういう場で、先生にそう呼ばれるのがくすぐったくなってきましたね。できれば、圭輔、と呼び捨てにしてください。そのほうが、親しくなった気がしませんか?」
「……今のところ、ぼくが名前を呼んでいる男は、二人だけだ」
中嶋には、それが誰を指しているのかすぐにわかったのだろう。とんでもないことを言ってしまったとばかりに、大仰に首をすくめた。
「出すぎたことを言ってしまいました」
「やめてくれ。それより――」
ちょうど更衣室に人がやってきて、出入り口近くで話すのもはばかられたため、和彦は中嶋に手招きし、壁際へと移動する。
「長嶺組長から、ぼくのことで脅されたりしなかったか?」
声を潜めて尋ねると、どういう意味なのか中嶋は、いかにもヤクザらしい食えない笑みを浮かべた。
「――内緒です」
否定しないということは、和彦の知らないところで、中嶋と賢吾の間に何かしらのやり取りはあったのかもしれない。ただし、あくまで推測だ。
ヤクザ相手に力ずくで口を割らせるなど不可能で、子供のように地団駄を踏むわけにもいかない和彦は、引き下がるしかなかった。
恨みがましく中嶋を睨みつけながら。
夜、いつもより少し早めにベッドに入った和彦は、枕を抱え込むようにしてうつ伏せとなり、分厚いハードカバーの本を読んでいた。ジムの帰りに書店に立ち寄り、数冊ほど買い込んできたのだ。
小さくあくびを洩らした和彦は、ページを繰る手をふと止める。思わず口元を緩めていた。
さきほどから、異変には気づいていた。自分以外の誰かが、同じ屋根の下にいて、動き回っている。ときおり廊下を走る足音が聞こえてくるのだ。
普通なら、侵入者だと警戒するところだが、生憎、和彦の生活は普通とは言いがたい。部屋の主である和彦の意思に関係なく、自由に出入りできる人間が何人もいる。そしてその人間たちは、和彦に害を及ぼすことは絶対しない。
「この落ち着きのなさは――」
和彦は、一人の男の名を呟く。寝室を出て迎えてやろうかとも思ったが、ようやく温まったベッドの中に、夜の訪問者を招き入れるほうが効率的かもしれないと、多少情緒に欠けたことを考えて、じっとしておくことにする。
つまり和彦は、ベッドを出て寒さに震えるのが嫌だったのだ。
それから十分ほどして、ようやく寝室のドアが控えめにノックされる。和彦が本にしおりを挟んでヘッドボードに置くのと、ドアが開くのはほぼ同時だった。
スウェットパンツに上半身裸という格好の千尋が姿を見せ、風呂上がりなのか、肩にタオルをかけている。
「そんな格好でウロウロしてると、風邪引くぞ」
「引いても、ここには常備薬はたっぷりあるし、なんといっても、先生がいるじゃん」
「内科は専門外だ」
言葉では素っ気なく応じた和彦だが、布団の端を捲ってやる。千尋はパッと目を輝かせ、猛然とベッドに乗り上がってきた。布団の中に入り込んできた冷気は、千尋の体温であっという間に温められる。
「……湯たんぽだ」
思わず呟くと、間近に顔を寄せて千尋がにんまりと笑う。
「風呂上がりだから、ホカホカだろ」
「家賃を払っているのはお前の父親だが、一応ぼくの部屋だぞ。それなのに、自分の家のように寛いでるな」
「先生がいるから寛げるんだ。……もうさ、この部屋引き払って、本宅で一緒に暮らそうよ」
自分の居心地のいい場所を探すように、千尋がごそごそと身じろぎ、和彦に抱きついてくる。そんな千尋を見つめながら思うのは、長嶺組の後継者という看板を背負い、総和会会長の傍らで仕事をするには、とてつもないタフさが必要なのだろうなということだ。
長嶺の家に生まれたというだけで長嶺組を継げる千尋の立場に、誰もが納得するわけではないだろう。そういう人間たちを否応なく従わせるだけのものを、千尋は身につけなければいけない。
二十一歳の千尋は、急速に大人になっていくことを求められ、その反動が、和彦に対する子供のような甘ったれぶりだ。そう解釈しておけば、いくらまとわりつかれても、鬱陶しくはない――と思う。
「……あんまり近くにいると、飽きるぞ」
和彦の言葉に、千尋が強い眼差しを向けてくる。
「そんな君らの事情に深入りしたのは、ぼくだ。それに――」
秦と中嶋の関係に興味と興奮を覚え、その衝動に抗えなかった。
心の中で呟いて、中嶋には曖昧な笑みで返す。
更衣室に入ると、それぞれのロッカーに向かおうと別れようとしたが、和彦は大事なことを思い出し、思わず中嶋を呼び止めた。
「中嶋くんっ」
振り返った中嶋が、驚いたような表情を一瞬見せたあと、顔を綻ばせる。
「こういう場で、先生にそう呼ばれるのがくすぐったくなってきましたね。できれば、圭輔、と呼び捨てにしてください。そのほうが、親しくなった気がしませんか?」
「……今のところ、ぼくが名前を呼んでいる男は、二人だけだ」
中嶋には、それが誰を指しているのかすぐにわかったのだろう。とんでもないことを言ってしまったとばかりに、大仰に首をすくめた。
「出すぎたことを言ってしまいました」
「やめてくれ。それより――」
ちょうど更衣室に人がやってきて、出入り口近くで話すのもはばかられたため、和彦は中嶋に手招きし、壁際へと移動する。
「長嶺組長から、ぼくのことで脅されたりしなかったか?」
声を潜めて尋ねると、どういう意味なのか中嶋は、いかにもヤクザらしい食えない笑みを浮かべた。
「――内緒です」
否定しないということは、和彦の知らないところで、中嶋と賢吾の間に何かしらのやり取りはあったのかもしれない。ただし、あくまで推測だ。
ヤクザ相手に力ずくで口を割らせるなど不可能で、子供のように地団駄を踏むわけにもいかない和彦は、引き下がるしかなかった。
恨みがましく中嶋を睨みつけながら。
夜、いつもより少し早めにベッドに入った和彦は、枕を抱え込むようにしてうつ伏せとなり、分厚いハードカバーの本を読んでいた。ジムの帰りに書店に立ち寄り、数冊ほど買い込んできたのだ。
小さくあくびを洩らした和彦は、ページを繰る手をふと止める。思わず口元を緩めていた。
さきほどから、異変には気づいていた。自分以外の誰かが、同じ屋根の下にいて、動き回っている。ときおり廊下を走る足音が聞こえてくるのだ。
普通なら、侵入者だと警戒するところだが、生憎、和彦の生活は普通とは言いがたい。部屋の主である和彦の意思に関係なく、自由に出入りできる人間が何人もいる。そしてその人間たちは、和彦に害を及ぼすことは絶対しない。
「この落ち着きのなさは――」
和彦は、一人の男の名を呟く。寝室を出て迎えてやろうかとも思ったが、ようやく温まったベッドの中に、夜の訪問者を招き入れるほうが効率的かもしれないと、多少情緒に欠けたことを考えて、じっとしておくことにする。
つまり和彦は、ベッドを出て寒さに震えるのが嫌だったのだ。
それから十分ほどして、ようやく寝室のドアが控えめにノックされる。和彦が本にしおりを挟んでヘッドボードに置くのと、ドアが開くのはほぼ同時だった。
スウェットパンツに上半身裸という格好の千尋が姿を見せ、風呂上がりなのか、肩にタオルをかけている。
「そんな格好でウロウロしてると、風邪引くぞ」
「引いても、ここには常備薬はたっぷりあるし、なんといっても、先生がいるじゃん」
「内科は専門外だ」
言葉では素っ気なく応じた和彦だが、布団の端を捲ってやる。千尋はパッと目を輝かせ、猛然とベッドに乗り上がってきた。布団の中に入り込んできた冷気は、千尋の体温であっという間に温められる。
「……湯たんぽだ」
思わず呟くと、間近に顔を寄せて千尋がにんまりと笑う。
「風呂上がりだから、ホカホカだろ」
「家賃を払っているのはお前の父親だが、一応ぼくの部屋だぞ。それなのに、自分の家のように寛いでるな」
「先生がいるから寛げるんだ。……もうさ、この部屋引き払って、本宅で一緒に暮らそうよ」
自分の居心地のいい場所を探すように、千尋がごそごそと身じろぎ、和彦に抱きついてくる。そんな千尋を見つめながら思うのは、長嶺組の後継者という看板を背負い、総和会会長の傍らで仕事をするには、とてつもないタフさが必要なのだろうなということだ。
長嶺の家に生まれたというだけで長嶺組を継げる千尋の立場に、誰もが納得するわけではないだろう。そういう人間たちを否応なく従わせるだけのものを、千尋は身につけなければいけない。
二十一歳の千尋は、急速に大人になっていくことを求められ、その反動が、和彦に対する子供のような甘ったれぶりだ。そう解釈しておけば、いくらまとわりつかれても、鬱陶しくはない――と思う。
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和彦の言葉に、千尋が強い眼差しを向けてくる。
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