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第17話
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ムキになって言い返すと、秦は目を丸くしたあと、顔を伏せて肩を震わせる。噴き出したいところを、必死に堪えているらしい。
余裕たっぷりの秦を睨みつけながら和彦は、やはり、と心の中で呟いていた。
秦が、賢吾と何かしらの策略を共有しているのは間違いない。そのうえで、和彦に自分の弱みを差し出すという形を取りながら、賢吾と強固に繋がろうと目論んでいる。もしくは、そうするよう、賢吾が働きかけたのか。
そして中嶋も、和彦と関わることで、賢吾と繋がりつつある。それを強く実感させられたのは、賢吾が言っていた『先生の兵隊になってくれるぞ、中嶋は』という言葉だ。
見た目は普通の青年ながら、中身は切れ者のヤクザである中嶋は、出世のための計算ができる男だ。――恋に溺れながらも。
和彦は、自分が利用される状況は甘受できる。しかし、自分の知らないところで、何かとてつもない事態に巻き込まれるのではないかと思うと、やはり落ち着かないし、苛立ちもするのだ。
「……腹の内を見せない人間に囲まれて、自分がどんどん疑り深い性格になっていくようだ……」
思わず和彦がぼやくと、ようやく秦が顔を上げ、柔らかな微笑を向けてくる。
「そういうことを正直に口にするあたり、先生は甘いですね」
「一人ぐらい甘い人間がいないと、息が詰まるだろ、物騒な男ばかりの世界じゃ」
「つまり先生が、その物騒な男たちの癒しとなってくれるわけですね」
皮肉を言っている様子はなく、むしろ楽しげな秦をまじまじと見つめて、和彦は苦い口調で応じる。
「誰も、そこまで言ってないだろ。ぼくはそこまで、博愛精神に溢れてないぞ」
「そうですか? わたしは、先生に救われてますよ」
「君を救ってほしいとぼくに泣きついてきたのは、中嶋くんだ」
「そうでした……。わたしは、中嶋に救われたんでした……」
そう洩らした秦の声は、いままで聞いたこともないような響きを帯びていた。苦々しい自嘲を滲ませながらも、柔らかく穏やかだ。そんな声を聞かされて、和彦はつい、こんなことを言っていた。
「――本当は、『おれ』と言うらしいな」
一瞬、意味がわかりかねたように秦が目を見開く。
「えっ?」
「中嶋くんがうっかり口を滑らせたんだ。秦静馬は普段、『わたし』なんて澄ました言い方をしているが、実は『おれ』と言うんだろ。……気を許した相手の前で」
「……中嶋は本当に、先生相手だとなんでもしゃべりますね」
芝居がかった困惑の表情を見せる秦に、和彦は素っ気なく応じた。
「ぼくは骨を削るだけじゃなく、カウンセリングも上手いんだ」
途端に秦がニヤリと笑う。
「だったら先生、わたしにアドバイスをください。どうすれば、わたしの〈恋〉は上手くいくと思います?」
恥ずかしい単語をよく口にできるものだと思いながら、和彦は腕時計に視線を落とす。もちろん左手首に収まっているのは、三田村から贈られた腕時計だ。
このあと行く場所があるため、秦に小言をぶつけるのは、そろそろ切り上げなければいけない。
「それは、カウンセリングじゃなく、恋愛相談の部類だろ……。とりあえず、君が今住んでいるところに招待したらどうだ。本当は、深入りもさせたいし、自分の事情にも巻き込みたくてたまらないんだろ? 心配ゆえの秘密主義だろうが、君が思っているより、彼はしたたかでタフだぞ」
「先生のように?」
秦が、毒々しいほど甘い眼差しを向けてくる。中嶋とベッドの上でどんなふうに絡み合ったか、すべてを一瞬にして見透かされそうな危惧を覚え、和彦は慌てて伝票を手にして席を立つ。
「先生――」
「……今のはウソだっ。ぼくのカウンセリングは、女性相手じゃないと的確さに欠けるんだ」
言い訳がましく言い置いて和彦が歩き出すと、背後から、秦の軽やかな笑い声が聞こえてくる。他人の恋愛相談など、慣れないことはするものではないと後悔しながら、和彦は足早にカフェをあとにした。
余裕たっぷりの秦を睨みつけながら和彦は、やはり、と心の中で呟いていた。
秦が、賢吾と何かしらの策略を共有しているのは間違いない。そのうえで、和彦に自分の弱みを差し出すという形を取りながら、賢吾と強固に繋がろうと目論んでいる。もしくは、そうするよう、賢吾が働きかけたのか。
そして中嶋も、和彦と関わることで、賢吾と繋がりつつある。それを強く実感させられたのは、賢吾が言っていた『先生の兵隊になってくれるぞ、中嶋は』という言葉だ。
見た目は普通の青年ながら、中身は切れ者のヤクザである中嶋は、出世のための計算ができる男だ。――恋に溺れながらも。
和彦は、自分が利用される状況は甘受できる。しかし、自分の知らないところで、何かとてつもない事態に巻き込まれるのではないかと思うと、やはり落ち着かないし、苛立ちもするのだ。
「……腹の内を見せない人間に囲まれて、自分がどんどん疑り深い性格になっていくようだ……」
思わず和彦がぼやくと、ようやく秦が顔を上げ、柔らかな微笑を向けてくる。
「そういうことを正直に口にするあたり、先生は甘いですね」
「一人ぐらい甘い人間がいないと、息が詰まるだろ、物騒な男ばかりの世界じゃ」
「つまり先生が、その物騒な男たちの癒しとなってくれるわけですね」
皮肉を言っている様子はなく、むしろ楽しげな秦をまじまじと見つめて、和彦は苦い口調で応じる。
「誰も、そこまで言ってないだろ。ぼくはそこまで、博愛精神に溢れてないぞ」
「そうですか? わたしは、先生に救われてますよ」
「君を救ってほしいとぼくに泣きついてきたのは、中嶋くんだ」
「そうでした……。わたしは、中嶋に救われたんでした……」
そう洩らした秦の声は、いままで聞いたこともないような響きを帯びていた。苦々しい自嘲を滲ませながらも、柔らかく穏やかだ。そんな声を聞かされて、和彦はつい、こんなことを言っていた。
「――本当は、『おれ』と言うらしいな」
一瞬、意味がわかりかねたように秦が目を見開く。
「えっ?」
「中嶋くんがうっかり口を滑らせたんだ。秦静馬は普段、『わたし』なんて澄ました言い方をしているが、実は『おれ』と言うんだろ。……気を許した相手の前で」
「……中嶋は本当に、先生相手だとなんでもしゃべりますね」
芝居がかった困惑の表情を見せる秦に、和彦は素っ気なく応じた。
「ぼくは骨を削るだけじゃなく、カウンセリングも上手いんだ」
途端に秦がニヤリと笑う。
「だったら先生、わたしにアドバイスをください。どうすれば、わたしの〈恋〉は上手くいくと思います?」
恥ずかしい単語をよく口にできるものだと思いながら、和彦は腕時計に視線を落とす。もちろん左手首に収まっているのは、三田村から贈られた腕時計だ。
このあと行く場所があるため、秦に小言をぶつけるのは、そろそろ切り上げなければいけない。
「それは、カウンセリングじゃなく、恋愛相談の部類だろ……。とりあえず、君が今住んでいるところに招待したらどうだ。本当は、深入りもさせたいし、自分の事情にも巻き込みたくてたまらないんだろ? 心配ゆえの秘密主義だろうが、君が思っているより、彼はしたたかでタフだぞ」
「先生のように?」
秦が、毒々しいほど甘い眼差しを向けてくる。中嶋とベッドの上でどんなふうに絡み合ったか、すべてを一瞬にして見透かされそうな危惧を覚え、和彦は慌てて伝票を手にして席を立つ。
「先生――」
「……今のはウソだっ。ぼくのカウンセリングは、女性相手じゃないと的確さに欠けるんだ」
言い訳がましく言い置いて和彦が歩き出すと、背後から、秦の軽やかな笑い声が聞こえてくる。他人の恋愛相談など、慣れないことはするものではないと後悔しながら、和彦は足早にカフェをあとにした。
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