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第16話
(19)
しおりを挟む夕食のあとに知らされたが、長嶺父子と和彦のみが別荘の本館に宿泊し、護衛の組員たちは、渡り廊下で繋がった離れを使うらしい。
家族水入らずの旅行だから、というのが賢吾の言い分だ。
和彦としては、同じ建物内を組員が歩いていても、さほど気にしない。本宅で過ごしているときは常に組員がいるのだ。その生活に、年末年始の間で和彦はすっかり慣らされた。
むしろ、三人だけで過ごすことに戸惑ってしまう。
ガスストーブの近くに置いたクッションに、あぐらをかいて座った和彦は、大きなカップに口をつける。中身はワインで、ここに来る途中に寄ったスーパーで買ったものだ。値段が安く、味も値段相応だと思うのだが、雰囲気のある別荘のリビングで飲んでいるというだけで、不思議と美味しい。
和彦の右隣に座っている賢吾は、さきほどから缶ビールを呷っている。ストーブで暖かくした部屋で飲むビールは、普段以上に美味いと言っていたので、和彦だけが特別な感性をしているわけではないようだ。
一方の千尋は、さきほどから窓に張り付いて外を見ている。
「――千尋」
和彦が呼びかけると、振り返った千尋がにんまりと笑いかけてきた。
「先生、また雪降ってきたよ」
「だったら寝る前に、少し散歩してみるか……」
別に誘ったつもりはないのだが、当然のように千尋が頷き、つい和彦は苦笑を洩らす。
賢吾が持ってきた缶ビールの一本を取り上げて、千尋は左隣に座る。
「今年はさ――」
ビールを一口飲んだ千尋が、突然口火を切る。
「うん?」
「いい正月だったと思う。楽しかったんだ。毎年、ほとんど変わらない面子で年末年始を過ごして、それが退屈で、大学入ってからは、正月だろうが家には戻らなかった」
千尋の言葉に、すかさず賢吾が茶々を入れる。
「親不孝息子だったからな」
「うるせーな。あれやこれやと用事を押し付けられて、鬱陶しかったんだよ。少しもゆっくりできないし、家はうるさいし。だけど今年は……先生がずっといてくれた」
不貞腐れたように話す千尋だが、実は照れているのは明白だ。なんだか和彦まで照れ臭くなってくる。
「……ぼくも、いい正月だったと思う。いろいろと振り回されたけど、忙しいなりに、人並みの年末年始を送れた。いつもの正月より、楽しかった……」
「ヤクザの世界は刺激があるだろ?」
賢吾がニヤリと笑いかけてくる。ことの善悪はともかく、事実ではあるので、和彦は頷く。
「刺激が、ありすぎだ。前までの自分の生活がどんなものだったか、もうわからなくなりかけてる」
「まだまだ、こんなもんじゃねーぞ。長嶺組の大事な身内になるってことは、総和会にとっても、貴重な存在になるってことだ。総和会の会長が先生をどう扱うかによって、先生は、うちの連中だけじゃなく、総和会の人間も引き連れて歩くようになるかもな。姐さんどころか、姫さまみたいな生活を送れる」
冗談じゃないと、和彦はぼそぼそと抗議する。
賢吾と話していると、この先、どんなとんでもないことが起こるのかと不安になってくる。和彦の価値が高まることを賢吾は楽しみ、望んでいるようだが、和彦自身はそうではない。あくまで、利用されることを許容しているだけだ。できることなら、総和会というよくわからない組織にまで深く関わりたくなかった。
和彦のそんな胸の内を知ってか知らずか、千尋は楽しそうに目を輝かせてこう言った。
「今の総和会は、じいちゃんが会長で、その総和会で一番力を持っているのが、長嶺組。オヤジが長嶺組の組長で、俺は跡継ぎ。先生は――何になるのかな」
和彦は、千尋の頬を軽く抓り上げてやる。
「ぼくは、ぼくだ。長嶺の男たちみたいに、大層な存在にはならない」
「そう思ってるの、先生だけだったりして」
カップを床に置いた和彦は、今度は千尋の両頬を抓る。もちろん本気ではないため、抓られているほうは声を上げて笑っている。
ふいに、すぐ側で獣が動くような気配がしたかと思うと、背後からしっかりと抱き締められた。
「――長嶺の性質の悪い男たちを手懐けて、骨抜きにするんだから、先生は十分、大層な存在だぞ」
首筋にかかる賢吾の息が熱い。ゾクリと疼きを感じ、和彦は首をすくめる。
「あんた、酔ってるだろ……」
「ああ、先生の色気に酔いっぱなしだ」
賢吾の手がセーターの下に入り込み、脇腹を撫でられる。賢吾の腕の中から逃れようとした和彦だが、目の前には千尋がいる。
淫らに絡み合うのも、じゃれ合うのも大好きな男が、この状況で我慢できるはずもなく、缶ビールを近くのテーブルの上に置くと、獣のように和彦に這い寄ってきた。
「……二頭のでかい動物の、餌やり係になった気分だ……」
身を擦りつけてきた千尋を胸に抱き締めてやりながら、思わず和彦はぼやく。すると耳元で賢吾が笑った。
「こんなに懐いて可愛いだろ」
「図々しい。自分で言うな」
千尋の頭を撫でてやり、背では賢吾の温もりを感じながら、和彦は窓に視線を向ける。穏やかな時間に、このまま眠りたくなっていた。
「こんなにのんびりしていると、もう何日かすると自分がクリニックを開業するなんて、信じられないな」
「仕事に慣れるまで、本宅からクリニックに通ったらどうだ。メシから何から、全部面倒見てやるぞ」
「それは……遠慮しておく」
頭を上げた千尋が、露骨に残念そうな顔をする。抗議の声を上げられる前に、もう一度頭を抱き締めてやると、賢吾が耳元で囁いてくる。
「その口ぶりだと、もうマンションに戻るのか?」
「ああ。正月気分はたっぷり堪能したから、明日の夕方には本宅を出るつもりだ」
「俺としては、このまま本宅で暮らしてもらってもいいんだが」
「怖い誰かに、抱き殺されたくない」
「――……長嶺の本宅に、そんなに物騒な男がいるのか?」
白々しくとぼける賢吾を、肩越しに振り返った和彦は軽く睨みつける。ここぞとばかりに、噛み付くような口づけを与えられた。
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