血と束縛と

北川とも

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第16話

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 ここに来るのは初めてではないという千尋の道案内で、息を弾ませながら和彦は、雪道を歩く。
 一応除雪はされているが、あくまでそれは車のためで、道の端には雪がたっぷり積もったままだ。歩きながら和彦は、ときおり雪に足を取られて転びそうになり、そのたびに、前を歩く千尋の肩に掴まる。
「先生、腕組んで歩く?」
 とうとう千尋が苦笑して、腕を差し出してくる。和彦は断固として拒否した。
「そんなみっともない歩き方、できるか」
「転ぶよりいいじゃん」
 和彦は周囲を見回す。人の姿は見えないが、ときおり車は通りかかるのだ。その車の様子からして、どうやら賢吾たちがいる別荘に向かっているらしい。
 いまさら和彦が見栄を張ってどうにかなるわけではないが、千尋は、見栄もハッタリも必要とする立場だ。その千尋が、男と腕を組んで歩いていたと、他人から悪し様に言われるのは嫌だった。
 千尋は何かを察したのか、妙に大人びた微笑を浮かべる。
「大丈夫だよ。先生の価値を知っている人間なら、誰も先生を悪く言ったりしない。もちろん、俺やオヤジのことも。もし、言う奴がいるとしたら、そいつは――命知らずのバカだ」
 若いからこそ、すぐに熱くなって暴走しそうな危うさがあった千尋だが、今は違う。長嶺組の跡継ぎという、見えない〈力〉を武器にするしたたかさと狡猾さを、急速に身につけつつあった。そこに、総和会という後ろ盾も加わったら、千尋自身が、一つの巨大な武器だ。
 千尋がまた腕を差し出してきたが、和彦はあえて無視して歩く。
「お前の言いたいことはわかる。だが、難しい理屈は必要ない。……大人の男が、腕組んで歩けるかっ。恥ずかしい……」
「先生の照れ屋」
「人並みの羞恥心を持ち合わせてるだけだっ」
「えー」
 小走りで追いついた千尋が、ニヤニヤしながら顔を覗き込んでくる。
「……なんだ、その顔は。ぼくの羞恥心に文句があるのか」
「何も」
 和彦は、千尋の頬を抓り上げてやろうとしたが、寸前で逃げられる。それを早足で追いかけては、また逃げられ、そうしているうちに二人は小走りとなった。
 次第に道は細くなり、車も通れないほどになる。道に積もった雪は、人が踏んだ様子もなく、この先には建物もないのだろう。とにかく静かで、木の枝から落ちる雪の音すら大きく聞こえる。
 歩きながら和彦は、頭上を見上げる。今にも雪が降り出しそうな空模様だ。
 散歩にしては、なかなかハードだと思っていると、ふいに千尋に腕を取られる。うかがうように見つめられ、仕方なく腕を組むことを許可した。
「先生、こういう状況になる前にさ、二人きりで旅行とか行きたかったよね。できれば、海外旅行」
「お前と一緒に海外旅行か……。何も知らなかった頃なら、楽しかったかもな」
「かっこいい美容外科医と、気楽なフリーターの組み合わせだったもんね。つき合い始めたばかりの頃は、本当に、何するのも自由だったよ。どこにでも行けたし」
 千尋の口調にほろ苦いものを感じる。和彦は、千尋と知り合ったばかりのことを思い出し、すでにもう、ほろ苦さや切なさより、懐かしさを覚えるようになっていた。
「まあ、今だって、こんなところに連れてきてもらえるんだから、悪くはない。いざとなれば、海外旅行はぼく一人で行けばいいんだし」
 わざと意地の悪いことを言ってみると、案の定、千尋は捨てられた子犬のような目をする。
「……ヤクザの跡継ぎが、そういう目をするなっ。お前は、自分がどんなふうに見えるかわかってやっているから、性質が悪いんだ」
「昔はさ、こんな目をしたら、みんなからちやほやされたんだけど、今は先生にしか効かないんだよなあ」
「あー、どうせぼくは、お前に甘いからな」
「だから俺たち、相性がいいんだ」
「――……そう思っているのは、お前だけだったりして」
 ぼそりと呟くと、千尋がキャンキャンと抗議の声を上げる。我慢できずに和彦は声を上げて笑っていたが、突然、視界が開けて何事かと思う。
「ここ……」
 目の前に、湖面の凍った湖が広がっていた。ひっそりと静まり返って人の姿はなく、鳥の羽ばたく音が聞こえるだけだ。
「凍ってなかったら、ボート浮かべたり、釣りをしたりできるんだけど。でも、なかなかいい眺めだろ?」
「ああ。……きれいだ。こういう景色は、初めて見た」
 よかった、と洩らした千尋が、絡めていた腕を解く。何事かと和彦が隣を見ると、千尋にしっかりと手を握られた。目が合うと、憎めない笑顔を向けられる。

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