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第16話
(15)
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自分に関わることなら諦めもつくが、中嶋と秦の関係は、和彦には関わりのないことだ。したたかな秦はともかく、中嶋の感情を、賢吾に道具として利用させたくなかった。
もしかすると中嶋本人は、出世のためなら本望ですよと、笑うかもしれないが――。
「先生」
前触れもなく背後から声をかけられ、和彦は驚いて振り返る。いつの間にか障子が開き、千尋が顔を覗かせていた。和彦の反応に、千尋のほうが驚いた様子だ。
「あっ、ごめん。一応、外から声かけたんだけど……」
「いや、いいんだ。ちょっとぼんやりしてた。――どうした?」
和彦が座卓に携帯電話を戻すところをしっかりと見ていた千尋だが、何事もなかった顔でダウンコートを差し出してきた。
「先生、これ着ない? 雪積もってるならさ、こっちのほうがいいと思うんだ。汚しても大丈夫だし」
「暖かそうだから、ぼくはありがたいけど……、いいのか?」
「もちろん」
和彦はダウンコートを受け取ると、マフラーと手袋も一緒に持って部屋を出ようとする。このとき、携帯電話にちらりと視線を向ける。中嶋のことは気になるが、今日はどうしようもできない。
ひとまず気がかりは、携帯電話とともに、この部屋に置いていくしかなかった。
『一泊旅行』という言葉の、無難でのんびりとした響きにすっかり惑わされかけていたが、和彦が行動をともにしているのは、ヤクザの男たちだ。しかも、和彦を〈オンナ〉にしているのは、ヤクザの組長と、その跡継ぎだ。
そんな二人が揃って出かけるとなれば、気楽にドライブ気分で、となるはずもない。
和彦が長嶺父子と同乗したのは、スモークフィルムが貼られているとはいえ、ごく普通のワゴン車だった。だが、その前後を、しっかりと黒の高級車に挟まれていた。走行中、ずっと。
途中、サービスエリアで休憩したときには、和彦の隣にはぴったりと千尋がくっつき、そんな二人の背後を、組員が張り付いていた。長嶺父子が揃って移動することの大変さを、和彦は多少の気詰まりとともに、改めて痛感させられる。
だがそんな気持ちも、目的地が近づくにつれ、きれいに忘れてしまった。
「すごい、こんなに積もってる……」
車から降りた和彦は、足元に積もる雪の感触に素直に感動しながら、辺りを歩き回り、雪の上に自分の足跡を残していく。
和彦の生活圏でも雪は降るが、こんなに積もることはほとんどない。ごくまれに、ほんの数センチ積もったところで、すぐに泥と区別がつかなくなり、こんなふうに踏みしめようという気にはならないのだ。
白い息を吐き出して、顔を上げた和彦はゆっくりと周囲を見回す。
保養地と聞いてはいたが、ようは、別荘地だ。ここに来るまでの間にも、ぽつぽつと別荘が点在しており、いくつかのペンションも目にした。山の中の隠れ家のような雰囲気で、自然が多く、人目を避けてゆっくりと過ごすには最適だろう。とにかく雪景色が素晴らしい。
ヤクザとしても、物騒な人物と密会をするには最適なのかもしれない。
目的はともかく、いい場所に連れてきてもらったと、素直に和彦は感謝していた。
「――先生」
千尋に呼ばれて振り返ると、父子が並んでこちらを見ていた。じっくりと雪を踏みしめている和彦がおもしろいのか、二人揃って口元を緩めている。
恥ずかしいところを見られてしまったと、密かに顔を熱くしながら和彦は、促されるまま建物へと入る。
先に人が訪れて準備を整えていたのか、室内は暖められていた。吹き抜けとなっている二階を見上げていると、傍らに立った賢吾が話しかけてくる。
「元はペンションだったものを、総和会が別荘にするために買い取ったんだ。この辺りの立地を考えると、人と会うのに都合がいいからな。愛人を連れ込むのにも、最適だ」
和彦がちらりと一瞥すると、賢吾は意味ありげな流し目を寄越してきた。
「俺は、そんなことで使ったことはないぞ。保養も兼ねて、悪だくみをするときに借りているだけだ。今日は、家族水入らずでゆっくりするために、だが」
「……別にぼくは、何も言ってないだろ。そういう言い訳みたいなことを、わざわざ言わなくても――」
「気にするな。俺が言いたかっただけだ」
和彦が返事に詰まると、満足したのか、賢吾は会心の笑みを浮かべた。
組員に呼ばれて廊下を歩いていこうとした賢吾が、ふと和彦を振り返る。
「先生、これからちょっと客が来て、奥の部屋で仕事の話をする。その間一階のリビングには、うちの組の人間だけじゃなく、他の組の人間もいることになるが……居心地が悪いなら、二階の部屋を使っていいぞ。この辺りを歩いてきてもいいし」
「だったら先生、俺と行こうよ」
勢いよく千尋が手を上げ、和彦は思わず苦笑を洩らす。賢吾は大きく頷いて、こう言った。
「ということで、千尋の子守を頼むぞ、先生」
もしかすると中嶋本人は、出世のためなら本望ですよと、笑うかもしれないが――。
「先生」
前触れもなく背後から声をかけられ、和彦は驚いて振り返る。いつの間にか障子が開き、千尋が顔を覗かせていた。和彦の反応に、千尋のほうが驚いた様子だ。
「あっ、ごめん。一応、外から声かけたんだけど……」
「いや、いいんだ。ちょっとぼんやりしてた。――どうした?」
和彦が座卓に携帯電話を戻すところをしっかりと見ていた千尋だが、何事もなかった顔でダウンコートを差し出してきた。
「先生、これ着ない? 雪積もってるならさ、こっちのほうがいいと思うんだ。汚しても大丈夫だし」
「暖かそうだから、ぼくはありがたいけど……、いいのか?」
「もちろん」
和彦はダウンコートを受け取ると、マフラーと手袋も一緒に持って部屋を出ようとする。このとき、携帯電話にちらりと視線を向ける。中嶋のことは気になるが、今日はどうしようもできない。
ひとまず気がかりは、携帯電話とともに、この部屋に置いていくしかなかった。
『一泊旅行』という言葉の、無難でのんびりとした響きにすっかり惑わされかけていたが、和彦が行動をともにしているのは、ヤクザの男たちだ。しかも、和彦を〈オンナ〉にしているのは、ヤクザの組長と、その跡継ぎだ。
そんな二人が揃って出かけるとなれば、気楽にドライブ気分で、となるはずもない。
和彦が長嶺父子と同乗したのは、スモークフィルムが貼られているとはいえ、ごく普通のワゴン車だった。だが、その前後を、しっかりと黒の高級車に挟まれていた。走行中、ずっと。
途中、サービスエリアで休憩したときには、和彦の隣にはぴったりと千尋がくっつき、そんな二人の背後を、組員が張り付いていた。長嶺父子が揃って移動することの大変さを、和彦は多少の気詰まりとともに、改めて痛感させられる。
だがそんな気持ちも、目的地が近づくにつれ、きれいに忘れてしまった。
「すごい、こんなに積もってる……」
車から降りた和彦は、足元に積もる雪の感触に素直に感動しながら、辺りを歩き回り、雪の上に自分の足跡を残していく。
和彦の生活圏でも雪は降るが、こんなに積もることはほとんどない。ごくまれに、ほんの数センチ積もったところで、すぐに泥と区別がつかなくなり、こんなふうに踏みしめようという気にはならないのだ。
白い息を吐き出して、顔を上げた和彦はゆっくりと周囲を見回す。
保養地と聞いてはいたが、ようは、別荘地だ。ここに来るまでの間にも、ぽつぽつと別荘が点在しており、いくつかのペンションも目にした。山の中の隠れ家のような雰囲気で、自然が多く、人目を避けてゆっくりと過ごすには最適だろう。とにかく雪景色が素晴らしい。
ヤクザとしても、物騒な人物と密会をするには最適なのかもしれない。
目的はともかく、いい場所に連れてきてもらったと、素直に和彦は感謝していた。
「――先生」
千尋に呼ばれて振り返ると、父子が並んでこちらを見ていた。じっくりと雪を踏みしめている和彦がおもしろいのか、二人揃って口元を緩めている。
恥ずかしいところを見られてしまったと、密かに顔を熱くしながら和彦は、促されるまま建物へと入る。
先に人が訪れて準備を整えていたのか、室内は暖められていた。吹き抜けとなっている二階を見上げていると、傍らに立った賢吾が話しかけてくる。
「元はペンションだったものを、総和会が別荘にするために買い取ったんだ。この辺りの立地を考えると、人と会うのに都合がいいからな。愛人を連れ込むのにも、最適だ」
和彦がちらりと一瞥すると、賢吾は意味ありげな流し目を寄越してきた。
「俺は、そんなことで使ったことはないぞ。保養も兼ねて、悪だくみをするときに借りているだけだ。今日は、家族水入らずでゆっくりするために、だが」
「……別にぼくは、何も言ってないだろ。そういう言い訳みたいなことを、わざわざ言わなくても――」
「気にするな。俺が言いたかっただけだ」
和彦が返事に詰まると、満足したのか、賢吾は会心の笑みを浮かべた。
組員に呼ばれて廊下を歩いていこうとした賢吾が、ふと和彦を振り返る。
「先生、これからちょっと客が来て、奥の部屋で仕事の話をする。その間一階のリビングには、うちの組の人間だけじゃなく、他の組の人間もいることになるが……居心地が悪いなら、二階の部屋を使っていいぞ。この辺りを歩いてきてもいいし」
「だったら先生、俺と行こうよ」
勢いよく千尋が手を上げ、和彦は思わず苦笑を洩らす。賢吾は大きく頷いて、こう言った。
「ということで、千尋の子守を頼むぞ、先生」
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