321 / 1,268
第16話
(14)
しおりを挟む雪を見に行かないかと賢吾から言われたとき、和彦がまっさきに思ったのは、これは機嫌取りなのだろうか、ということだった。
朝食のパンを食べ終えたところだった和彦は、指先を軽く払ってから、カップを両手で包み込む。ホットミルクを一口飲んで、向かいのイスに座る賢吾をジロリと見ると、口元を緩めていた。
「――……雪?」
「これから新年の挨拶も兼ねて、人に会いに行くんだ。ちょっと距離があるんだが、今はたっぷり雪が積もって、静かでいいところだ。一泊旅行の行き先として、最適だと思うんだが……」
「それで、ぼくに同行しろと?」
「旅行という表現が気に食わないなら、デートでもいいぞ」
和彦はぐっと唇を引き結び、テーブルの上に置かれた新聞に視線を落とす。日付は、一月六日となっていた。
世間では、すでに仕事始めを迎えた人間が大半だろう。ただ、長嶺の本宅にいると、時間の流れは微妙に違う。組関係者が頻繁に訪ねてはくるが、仕事始めというほど、本格的に動いてはいない。つまりここにいると、もう少しだけ正月気分が味わえるのだ。
外に出かけるのは嫌いではないが、また騙されて、今度こそ総和会会長宅に連れ込まれるのではないかと、和彦は露骨に警戒して見せる。すると賢吾の唇には、はっきりと笑みが刻まれた。
「安心しろ。騙まし討ちみたいなことはしない。今度、オヤジに会わせるときは、きちんと先生に説明する。そして今日は、総和会の人間と会う予定はない。先生は純粋に寛げばいい。俺は少し仕事の話があるが、その間、先生の相手は――」
このとき和彦の肩に、ズシリと重みが加わる。思わず声を洩らして振り向くと、いつダイニングにやってきたのか、千尋がべったりと抱きついていた。
「千尋がしてくれる」
そう言い切った賢吾と千尋を交互に見て、和彦は軽く眉をひそめる。一つ屋根の下で何日か一緒に暮らしただけで、千尋の甘ったれぶりに拍車がかかり、そのことに対して賢吾は何も言わない。それどころか、楽しげにこう言うのだ。
「いや、反対か。しっかり俺の息子の子守をしてくれよ、先生」
「……勘弁してくれ」
とにかく、話は決まった。正確には、父子によって決められ、和彦は承諾の返事をもぎ取られてしまった。
すぐに出かける準備をするよう言われ、仕方なく客間へと戻る。
山の中にある保養地ということで、とにかく暖かい服装をしろと言われたが、バッグに詰め込んで持ってきた着替えでは限りがある。コーデュロイパンツと、カシミアのニットの下にシャツを着込んだ和彦は、賢吾から贈られた毛皮のコートにおそるおそる手を伸ばす。さすがに、羽織って出かけるいい機会ではないかと思ったのだ。
このとき、座卓の上に置いた携帯電話が鳴る。表示された名を確認した瞬間、和彦の心臓の鼓動は速くなった。
大きく深呼吸をしてから電話に出る。
「――……どうかしたのか、こんな時間に」
努めて平素の調子で問いかけると、電話の向こうから返ってきたのは、少し緊張したような中嶋の声だった。
『すみません、せっかくのお休み中』
「いいんだ。もう起きていたし。それで――」
『先生、今日、会えませんか?』
「……唐突だな」
そう洩らした和彦は、静かにため息をつく。電話を通して伝わってくる中嶋の気配は、切実であると同時に、凄みも感じさせる。そこに、元日にこの本宅で見かけた、中嶋本人の姿が重ねる。
どう考えても、新年の挨拶も兼ねて食事でも、という雰囲気ではない。
「ぼくに何か用が?」
『電話では言いにくいんです……』
和彦も、中嶋の態度がずっと気になっていたこともあり、なんとかしたいところだが、さすがに今日はタイミングが悪すぎた。
「すまない、今から出かけるんだ。帰りは明日になりそうだから、会うのは無理だと思う」
別の日でよければ、と続けようとしたが、その前に中嶋は慌しく電話を切ってしまい、和彦は空しく唇を動かす。
できることなら電話をかけ直し、もう少し話をしたかったが、臆してしまう。今の電話で和彦は、しっかりと感じてしまったのだ。中嶋の感情の揺れを。そして、〈女〉を。
中嶋が〈女〉を感じさせるとき、それは秦が絡むときだけだ。
和彦には自分から、秦のことを切り出す勇気はない。それに、こちらはこちらで、複雑だ。
大晦日の夜に、布団の中で賢吾が語った内容を思い出し、和彦は小さく身震いする。賢吾は、和彦を中心とした男たちの複雑な関係をすべて把握している。それどころか、秦と中嶋の微妙な関係すら。秦本人が打ち明けたと言っていたが、あの男が賢吾に〈恋愛相談〉をするとも思えない。打ち明ける男も、それを聞く男も、何かしらの打算があるはずだ。
37
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる