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第16話
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傍らに立つ千尋に手招きして、腰を屈めさせる。昨日は一日中パジャマを着て過ごしていた千尋だが、今はきちんとスーツを着込み、髪もセットしている。
和彦は、ネクタイを直してやってから尋ねた。
「めかし込んでるが、出かけるのか?」
「俺、じっとしてると、すぐに飽きるんだよ」
「ああ、確かに落ち着きがないもんな」
まじめな顔で和彦が応じると、千尋は唇を尖らせる。せっかくスーツで決めて、年齢以上に落ち着いて見えるというのに、表情だけは子供っぽい。
和彦はやっと笑みを浮かべると、ポンポンと千尋の肩を叩く。
「冗談だ。やっと正月休みが取れるようになったのかと思ったのに、今日はもうそんな格好をしてるから、気になったんだ。……仕事か?」
「先生、外にメシ食いに行こうよ」
千尋からの誘いに和彦は面食らう。
「……突然だな」
「三が日の最後ぐらいさ、世間の正月の空気に触れようよ。オヤジと一緒だと、気楽にブラブラすることもできなかっただろ?」
さきほどの賢吾との行為のせいで、体がだるい。部屋で休みたいところだが、外の空気が恋しいのも確かなのだ。千尋と一緒なら、外での一時を楽しめることは間違いない。
結局和彦は、千尋の誘いに乗ることにした。
千尋に少し待ってもらい、急いで着替えを済ませる。ラフな服装でかまわないと言われたが、千尋に合わせてスーツを選んだ。
千尋は玄関で待っており、和彦を見るなり、嬉しそうに顔を輝かせる。
「嬉しいなー。新年早々、先生とデートできるなんて」
「大げさだな。外で昼食を食べるだけだろ」
「――まあ、ね」
このときの千尋の返事に少しだけ引っかかるものを覚えたが、些細なことだ。
玄関を出た和彦は寒さに首をすくめながら、千尋に促されるまま待機している車に乗り込んだ。
初詣のため外出したとき、新しい年を迎えたという意識のせいか粛々とした空気を感じたのだが、さすがに三日ともなると、その感覚は薄れる。
普段とは変わらない街の風景を見下ろしながら、和彦の中で入り乱れるのは、今年の自分はどんな生活を送ることになるのだろうかという、ほんのわずかな期待と、大きな不安だ。
昼間のホテルのレストランはほぼ満席だった。カジュアルな雰囲気もあってか、店内はうるさくない程度ににぎわっており、息抜きも兼ねて食事に来た和彦としては気楽な気分で料理を味わっている。千尋がスーツを着ていたため、どんなすごい店に連れて行かれるのかと身構えていたのだ。
きのことドライトマトがたっぷり入ったピラフを食べていた千尋が、ふと思い出したように話しかけてきた。
「先生、今日の予定は?」
「特にない。夜になったら、組長たちとどこかに出かけないといけないみたいだけど、それまではのんびりさせてもらう」
「それって、じいちゃんのところに連れて行かれるんじゃ――」
「……冗談でも、そういうことを言うのは勘弁してくれ」
そう言って和彦は、クリームパスタをフォークに巻きつける。このときよほどひどい顔をしてしまったのか、千尋が苦笑する。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。肩書きは大層だけどさ、けっこう普通のジジイだから」
「長嶺組の前組長で、総和会の現会長という肩書きを持っていたら、それはすでに、〈普通〉の範ちゅうを超えている」
しかも、〈普通〉と口にしているのは、長嶺組の後継者だ。本人は微塵も、おかしいと感じてはいないようだが。
「まあ、どれだけ先生が嫌がろうが、いつかは対面しなきゃいけないんだけどね」
「もう、言うな。考えるだけで、胃が痛くなってくる……」
ちょうどランチを食べ終えたところでよかったと、和彦はフォークを置く。千尋のほうは、寸前まで交わしていた会話など忘れたように、きょろきょろと辺りを見回し、他の客の様子を楽しげに眺めている。
ランチを頼む前に、食後のコーヒーは一階のティーラウンジで、ということを決めていたため、さっそく二人は席を立ち、精算を済ませて場所を移動した。
ティーラウンジの一人掛けのソファに腰掛けると、和彦が口を開くより先に、ウェートレスを呼んだ千尋がコーヒーを注文する。ただし、一人分だけ。
和彦が目を丸くすると、千尋は大げさに申し訳なさそうな顔となる。
「ごめん、先生っ。このホテルに部屋を取ってる人のところに、挨拶に行かないといけないんだ」
「ああ、メインはそっちだったのか」
「うちの連中とこんなとこ来たって、楽しくないからさ、せめて先生と昼メシを食えたらなって思ったんだけど……」
こちらの機嫌をうかがうように上目遣いで見つめられ、和彦は思わず笑ってしまう。
和彦は、ネクタイを直してやってから尋ねた。
「めかし込んでるが、出かけるのか?」
「俺、じっとしてると、すぐに飽きるんだよ」
「ああ、確かに落ち着きがないもんな」
まじめな顔で和彦が応じると、千尋は唇を尖らせる。せっかくスーツで決めて、年齢以上に落ち着いて見えるというのに、表情だけは子供っぽい。
和彦はやっと笑みを浮かべると、ポンポンと千尋の肩を叩く。
「冗談だ。やっと正月休みが取れるようになったのかと思ったのに、今日はもうそんな格好をしてるから、気になったんだ。……仕事か?」
「先生、外にメシ食いに行こうよ」
千尋からの誘いに和彦は面食らう。
「……突然だな」
「三が日の最後ぐらいさ、世間の正月の空気に触れようよ。オヤジと一緒だと、気楽にブラブラすることもできなかっただろ?」
さきほどの賢吾との行為のせいで、体がだるい。部屋で休みたいところだが、外の空気が恋しいのも確かなのだ。千尋と一緒なら、外での一時を楽しめることは間違いない。
結局和彦は、千尋の誘いに乗ることにした。
千尋に少し待ってもらい、急いで着替えを済ませる。ラフな服装でかまわないと言われたが、千尋に合わせてスーツを選んだ。
千尋は玄関で待っており、和彦を見るなり、嬉しそうに顔を輝かせる。
「嬉しいなー。新年早々、先生とデートできるなんて」
「大げさだな。外で昼食を食べるだけだろ」
「――まあ、ね」
このときの千尋の返事に少しだけ引っかかるものを覚えたが、些細なことだ。
玄関を出た和彦は寒さに首をすくめながら、千尋に促されるまま待機している車に乗り込んだ。
初詣のため外出したとき、新しい年を迎えたという意識のせいか粛々とした空気を感じたのだが、さすがに三日ともなると、その感覚は薄れる。
普段とは変わらない街の風景を見下ろしながら、和彦の中で入り乱れるのは、今年の自分はどんな生活を送ることになるのだろうかという、ほんのわずかな期待と、大きな不安だ。
昼間のホテルのレストランはほぼ満席だった。カジュアルな雰囲気もあってか、店内はうるさくない程度ににぎわっており、息抜きも兼ねて食事に来た和彦としては気楽な気分で料理を味わっている。千尋がスーツを着ていたため、どんなすごい店に連れて行かれるのかと身構えていたのだ。
きのことドライトマトがたっぷり入ったピラフを食べていた千尋が、ふと思い出したように話しかけてきた。
「先生、今日の予定は?」
「特にない。夜になったら、組長たちとどこかに出かけないといけないみたいだけど、それまではのんびりさせてもらう」
「それって、じいちゃんのところに連れて行かれるんじゃ――」
「……冗談でも、そういうことを言うのは勘弁してくれ」
そう言って和彦は、クリームパスタをフォークに巻きつける。このときよほどひどい顔をしてしまったのか、千尋が苦笑する。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。肩書きは大層だけどさ、けっこう普通のジジイだから」
「長嶺組の前組長で、総和会の現会長という肩書きを持っていたら、それはすでに、〈普通〉の範ちゅうを超えている」
しかも、〈普通〉と口にしているのは、長嶺組の後継者だ。本人は微塵も、おかしいと感じてはいないようだが。
「まあ、どれだけ先生が嫌がろうが、いつかは対面しなきゃいけないんだけどね」
「もう、言うな。考えるだけで、胃が痛くなってくる……」
ちょうどランチを食べ終えたところでよかったと、和彦はフォークを置く。千尋のほうは、寸前まで交わしていた会話など忘れたように、きょろきょろと辺りを見回し、他の客の様子を楽しげに眺めている。
ランチを頼む前に、食後のコーヒーは一階のティーラウンジで、ということを決めていたため、さっそく二人は席を立ち、精算を済ませて場所を移動した。
ティーラウンジの一人掛けのソファに腰掛けると、和彦が口を開くより先に、ウェートレスを呼んだ千尋がコーヒーを注文する。ただし、一人分だけ。
和彦が目を丸くすると、千尋は大げさに申し訳なさそうな顔となる。
「ごめん、先生っ。このホテルに部屋を取ってる人のところに、挨拶に行かないといけないんだ」
「ああ、メインはそっちだったのか」
「うちの連中とこんなとこ来たって、楽しくないからさ、せめて先生と昼メシを食えたらなって思ったんだけど……」
こちらの機嫌をうかがうように上目遣いで見つめられ、和彦は思わず笑ってしまう。
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