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第16話
(8)
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「先生が」
「……着方がわからない」
「とりあえず羽織ってみたらいい」
和彦は困惑しつつ、賢吾の着物姿を眺める。大柄な賢吾のために仕立てた着物を自分が着た姿を想像してしまった。すると、和彦の心配を察したのか、短く笑った賢吾が衣装ケースに歩み寄った。
「先生にちょうどよさそうな着物がある。この家じゃ、もう誰も袖を通さないものだ」
そう言って賢吾が取り出したのは、明らかに女性ものの着物だった。長襦袢の鮮やかな桜色を目にして、和彦は頬が熱くなってくる。
「それ、女物じゃないかっ……」
「ただの女物じゃないぞ。別れた千尋の母親が置いていったものだ。俺が買ってやったものは、なんでも気に食わなかったらしい。情を交わす〈女〉ができたらやろうと思っていたんだが、その前に、大事で可愛い〈オンナ〉ができたからな」
怒るべきなのかもしれないが、正直なところ、反応のしようがない。賢吾の口調があまりに淡々としているからだ。別れた妻の着物を残しているからといって、そこに未練という感情が一切感じられない。
「……男のぼくが着たって、かなり滑稽だと思うんだが……」
「戯れ事なんだから、滑稽なほうがいいだろ」
嫌だと言ったところで、賢吾は着せる気満々に見える。仕方なく、渋々着物一式を受け取った和彦は、ぞんざいな口調で言った。
「服の上から羽織るだけでいいだろ」
「浴衣とは違って、肌にまとわりつく絹の感触はなかなかのもんだぞ。一度ぐらい体験しておいたらどうだ」
和彦は賢吾を睨みつけると、壁を指さす。言いたいことがわかったのか、意外に素直に賢吾は壁のほうを向き、こちらに背を向けた。
「先生の裸なんて、瞼の裏に焼きつくぐらい見ているんだがな」
「だったら今ぐらい、見なくてもいいだろ」
「……最近先生は、ますます口が達者になってきた……」
賢吾のぼやきは聞こえないふりをして、戯れ事につき合うことにする。羽織るだけなら、賢吾しか見物人もいないこともあり、さほど抵抗は覚えない。
和彦は手早く服を脱ぐと、長襦袢に袖を通す。ひんやりとした絹の感触が肌にしっとりまとわりつき、思いがけず心地いい。どれぐらい袖を通していないのか、長襦袢には女性的な香りは一切残っておらず、樟脳の匂いが漂うだけだ。
足元の腰紐を取り上げようとすると、先に取り上げた賢吾に背後から抱き締められた。
「俺が結んでやる」
そう言った賢吾に促され、姿見の前に立たされそうになったが、和彦は軽く身じろいで拒む。
「恥ずかしい格好を自分で見たくない」
「恥ずかしい、か……」
何か含んだような賢吾の物言いが気になり、振り返る。思った通り、楽しそうに笑っていた。
「……いまさら何を恥ずかしがる、と思っている顔だな、それは」
「さあ、どうかな」
耳元で微かな笑い声を洩らした賢吾が、衿を緩めに合わせて、腰紐を締めてくれる。
「春には、先生も自分で着物の着付けができるようになってもらおうか」
「ぼくが着る必要はないだろ」
「着物姿の先生を外に連れ回すと、俺の気分がよくなる」
長襦袢の上から腰を撫でられて、和彦はビクリと体を震わせる。そのまま身を固くしていると、賢吾は着物を肩にかけてくれた。
「きちんと帯を締めてやろうか?」
「いい……。なんだか、落ち着かない。襦袢の感触は気持ちいいけど、自分の肌に馴染まないような気がして――」
「すぐに慣れる」
前を向いたまま和彦が唇を引き結ぶと、うなじに唇が押し当てられた。
「近いうちに、先生の着物を仕立てさせよう。落ち着いた色がいいな。先生自身が艶やかだから、これ以上誘われる人間が出たら困る」
今、姿見に自分の姿を映したら、きっと赤面しているだろう。和彦は、臆面のない賢吾の台詞に激しく羞恥するのだが、言った当人は楽しそうに、羽織った着物の上から腿や尻を撫でてくる。
さすがに、両足の間をまさぐられるようになると、和彦は身を捩って軽く抵抗してみせる。
「着物が汚れたらどうするんだっ」
「どうせ、処分する時期を待ってたようなものだ。かまわんぞ」
「よくないっ。……千尋の母親のものだろ」
「さすが先生、感傷的だな。あいにくヤクザは、一欠片も持ち合わせちゃいない感情だが。千尋なんて、こんなものがあることすら、とっくに忘れてる」
話しながら賢吾の手が長襦袢の下に潜り込み、内腿を撫で回される。小さく声を洩らした和彦の足元が乱れ、賢吾に促されるまま、柱に掴まった。
下着を引き下ろされ、敏感なものを握り締められたかと思うと、性急に扱かれる。和彦が体を大きく震わせた拍子に、肩にかけた着物が足元に落ちた。
「やめ、ろっ……。こんな格好なのに、何考えてるんだ」
「……着方がわからない」
「とりあえず羽織ってみたらいい」
和彦は困惑しつつ、賢吾の着物姿を眺める。大柄な賢吾のために仕立てた着物を自分が着た姿を想像してしまった。すると、和彦の心配を察したのか、短く笑った賢吾が衣装ケースに歩み寄った。
「先生にちょうどよさそうな着物がある。この家じゃ、もう誰も袖を通さないものだ」
そう言って賢吾が取り出したのは、明らかに女性ものの着物だった。長襦袢の鮮やかな桜色を目にして、和彦は頬が熱くなってくる。
「それ、女物じゃないかっ……」
「ただの女物じゃないぞ。別れた千尋の母親が置いていったものだ。俺が買ってやったものは、なんでも気に食わなかったらしい。情を交わす〈女〉ができたらやろうと思っていたんだが、その前に、大事で可愛い〈オンナ〉ができたからな」
怒るべきなのかもしれないが、正直なところ、反応のしようがない。賢吾の口調があまりに淡々としているからだ。別れた妻の着物を残しているからといって、そこに未練という感情が一切感じられない。
「……男のぼくが着たって、かなり滑稽だと思うんだが……」
「戯れ事なんだから、滑稽なほうがいいだろ」
嫌だと言ったところで、賢吾は着せる気満々に見える。仕方なく、渋々着物一式を受け取った和彦は、ぞんざいな口調で言った。
「服の上から羽織るだけでいいだろ」
「浴衣とは違って、肌にまとわりつく絹の感触はなかなかのもんだぞ。一度ぐらい体験しておいたらどうだ」
和彦は賢吾を睨みつけると、壁を指さす。言いたいことがわかったのか、意外に素直に賢吾は壁のほうを向き、こちらに背を向けた。
「先生の裸なんて、瞼の裏に焼きつくぐらい見ているんだがな」
「だったら今ぐらい、見なくてもいいだろ」
「……最近先生は、ますます口が達者になってきた……」
賢吾のぼやきは聞こえないふりをして、戯れ事につき合うことにする。羽織るだけなら、賢吾しか見物人もいないこともあり、さほど抵抗は覚えない。
和彦は手早く服を脱ぐと、長襦袢に袖を通す。ひんやりとした絹の感触が肌にしっとりまとわりつき、思いがけず心地いい。どれぐらい袖を通していないのか、長襦袢には女性的な香りは一切残っておらず、樟脳の匂いが漂うだけだ。
足元の腰紐を取り上げようとすると、先に取り上げた賢吾に背後から抱き締められた。
「俺が結んでやる」
そう言った賢吾に促され、姿見の前に立たされそうになったが、和彦は軽く身じろいで拒む。
「恥ずかしい格好を自分で見たくない」
「恥ずかしい、か……」
何か含んだような賢吾の物言いが気になり、振り返る。思った通り、楽しそうに笑っていた。
「……いまさら何を恥ずかしがる、と思っている顔だな、それは」
「さあ、どうかな」
耳元で微かな笑い声を洩らした賢吾が、衿を緩めに合わせて、腰紐を締めてくれる。
「春には、先生も自分で着物の着付けができるようになってもらおうか」
「ぼくが着る必要はないだろ」
「着物姿の先生を外に連れ回すと、俺の気分がよくなる」
長襦袢の上から腰を撫でられて、和彦はビクリと体を震わせる。そのまま身を固くしていると、賢吾は着物を肩にかけてくれた。
「きちんと帯を締めてやろうか?」
「いい……。なんだか、落ち着かない。襦袢の感触は気持ちいいけど、自分の肌に馴染まないような気がして――」
「すぐに慣れる」
前を向いたまま和彦が唇を引き結ぶと、うなじに唇が押し当てられた。
「近いうちに、先生の着物を仕立てさせよう。落ち着いた色がいいな。先生自身が艶やかだから、これ以上誘われる人間が出たら困る」
今、姿見に自分の姿を映したら、きっと赤面しているだろう。和彦は、臆面のない賢吾の台詞に激しく羞恥するのだが、言った当人は楽しそうに、羽織った着物の上から腿や尻を撫でてくる。
さすがに、両足の間をまさぐられるようになると、和彦は身を捩って軽く抵抗してみせる。
「着物が汚れたらどうするんだっ」
「どうせ、処分する時期を待ってたようなものだ。かまわんぞ」
「よくないっ。……千尋の母親のものだろ」
「さすが先生、感傷的だな。あいにくヤクザは、一欠片も持ち合わせちゃいない感情だが。千尋なんて、こんなものがあることすら、とっくに忘れてる」
話しながら賢吾の手が長襦袢の下に潜り込み、内腿を撫で回される。小さく声を洩らした和彦の足元が乱れ、賢吾に促されるまま、柱に掴まった。
下着を引き下ろされ、敏感なものを握り締められたかと思うと、性急に扱かれる。和彦が体を大きく震わせた拍子に、肩にかけた着物が足元に落ちた。
「やめ、ろっ……。こんな格好なのに、何考えてるんだ」
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