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第16話
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ようやくおせち料理を味わいながら、秦と他愛ない話をする。一見、優雅な新年を送っているように見える秦だが、明日から仕事始めだそうだ。
「経営者も大変だな」
そう相槌をうった和彦に対して秦は、艶やかすぎるからこそ胡散臭く感じる眼差しを向けてくる。
「先生だって、クリニック経営者でしょう」
「どこがだ。表向きの経営者は別の人間になっているし、実質的にも、すべてを決めるのは長嶺組だ。ぼくは、言われるままに患者を診るだけだ」
「でも、先生がいないと、あのクリニックは動きませんよ」
思わず箸をとめた和彦は、秦の指摘の正しさを認める。長嶺組の意向が強く反映してはいても、自分のクリニックだという意識は、確かに和彦の中にあるのだ。
「……自分の力で手に入れたものなら、胸を張れるんだがな」
「まあ、わたしも、実業家という肩書きを手に入れた経緯は、人に誇れるものじゃないんですが」
首を傾げた和彦に、秦はそっと声を潜めて教えてくれた。
「父の〈隠し財産〉を使ったんです」
「表にできない金というやつか?」
「そう、わかりやすいものならよかったんですけどね。――長嶺組長が非常に興味を持たれているものです」
艶やかな存在感を放つ秦は、見た目の華やかさとは裏腹に、謎が多くて胡散臭い。帰化して国籍が変わったという告白もあってか、和彦には想像もつかない業を背負ってもいるようにも思える。
それに、中嶋に対する倒錯した執着や、捻くれた欲情を知ってしまうと、端麗な容貌のこの男から、獣の素顔が透けて見えそうで、不気味だ。だからこそ、ヤクザとの親和性が高いといえるのかもしれない。
もしかすると、ヤクザの〈オンナ〉とも――。
和彦は箸を置くと、両耳を塞ぐ仕草をする。
「物騒な話なら、聞きたくない。君の過去は、ヤクザとは種類の違う、危ない匂いがプンプンするんだ。聞いたら、嫌でも関わることになる」
「今のような環境にいて、その姿勢を貫こうとするのは、すごいですね」
「……そういうことで褒められても、嬉しくない」
「でも、先生自身が危ない連中を引き寄せている事実がある以上、その姿勢はかえって魅力的とも言えます」
本当に嬉しくない言われようだ。口中で小さく毒づいた和彦は、気を取り直して食事を再開する。隣にどんな男がいようが、おせち料理は美味しいのだ。
当の秦は、組員にしっかりコーヒーまで淹れてもらい、こちらも美味そうに啜っている。明らかに、和彦が食事を終えるのを待っている様子だ。
最初は気づかないふりをして席を立とうかとも思ったが、和彦と秦はまだ、交わすべき会話を交わしていなかった。
秦のせいで和彦は、不可解な衝動を胸の内に抱えてしまった。これはきっと、和彦の特別な男たちといくら会話を交わし、口づけをして、体を重ねたところで消えはしない。和彦自身、扱いかねている、欲情だ。
この欲情と、早々に折り合いをつけてしまいたかった。理解するのはもちろん、どうやって〈散らす〉べきなのかということも。
和彦が食べ終えると、お茶と一緒に出されたのは、グラスに入ったオレンジジュースだった。こんなときでも忘れないのだなと、密かに苦笑を洩らしてから、一気に飲み干す。
「――先生、よければ、近所を散歩しませんか?」
絶妙のタイミングで秦が切り出し、和彦は頷いた。
「正月に、ヤクザの組長の本宅から、その組長のオンナを連れ出すなんて、度胸があるな」
和彦はコートのポケットに両手を突っ込んで歩きながら、呆れた口調で言う。隣を歩く秦は、様になる仕草で肩をすくめた。
「なんといってもわたしは、組長公認の〈遊び相手〉ですから。先生を散歩に連れ出すのに、度胸なんて必要ありません」
「護衛も断った」
「体を張って、わたしが先生を守りますよ。それに何かあれば、組員の方たちが駆けつけられる距離ですから、安心してください」
和彦は、歩いてきた道を振り返る。秦の言う通り、本宅と、目的地であるという広場までは、わずかな距離だ。散歩と表現するのもはばかられる。
「……別に本気で、自分が誰かに襲われるとは思ってない。本当は、いつも張り付いている護衛の組員も必要ないと思っているぐらいだ」
「それは仕方ないでしょう。なんといっても先生は、長嶺組にとって大切な人だ。それに今は――いろいろあるでしょう?」
和彦は横目で秦をうかがう。口にはしないが、和彦が強い拒絶を示したことを察したらしく、秦はそれ以上、佐伯家のことを匂わせなかった。
「わたしとしても、先生に護衛がついていない状況はありがたいです。先生には、大事なお願いをしてあることですし」
「大事なお願いって……」
「経営者も大変だな」
そう相槌をうった和彦に対して秦は、艶やかすぎるからこそ胡散臭く感じる眼差しを向けてくる。
「先生だって、クリニック経営者でしょう」
「どこがだ。表向きの経営者は別の人間になっているし、実質的にも、すべてを決めるのは長嶺組だ。ぼくは、言われるままに患者を診るだけだ」
「でも、先生がいないと、あのクリニックは動きませんよ」
思わず箸をとめた和彦は、秦の指摘の正しさを認める。長嶺組の意向が強く反映してはいても、自分のクリニックだという意識は、確かに和彦の中にあるのだ。
「……自分の力で手に入れたものなら、胸を張れるんだがな」
「まあ、わたしも、実業家という肩書きを手に入れた経緯は、人に誇れるものじゃないんですが」
首を傾げた和彦に、秦はそっと声を潜めて教えてくれた。
「父の〈隠し財産〉を使ったんです」
「表にできない金というやつか?」
「そう、わかりやすいものならよかったんですけどね。――長嶺組長が非常に興味を持たれているものです」
艶やかな存在感を放つ秦は、見た目の華やかさとは裏腹に、謎が多くて胡散臭い。帰化して国籍が変わったという告白もあってか、和彦には想像もつかない業を背負ってもいるようにも思える。
それに、中嶋に対する倒錯した執着や、捻くれた欲情を知ってしまうと、端麗な容貌のこの男から、獣の素顔が透けて見えそうで、不気味だ。だからこそ、ヤクザとの親和性が高いといえるのかもしれない。
もしかすると、ヤクザの〈オンナ〉とも――。
和彦は箸を置くと、両耳を塞ぐ仕草をする。
「物騒な話なら、聞きたくない。君の過去は、ヤクザとは種類の違う、危ない匂いがプンプンするんだ。聞いたら、嫌でも関わることになる」
「今のような環境にいて、その姿勢を貫こうとするのは、すごいですね」
「……そういうことで褒められても、嬉しくない」
「でも、先生自身が危ない連中を引き寄せている事実がある以上、その姿勢はかえって魅力的とも言えます」
本当に嬉しくない言われようだ。口中で小さく毒づいた和彦は、気を取り直して食事を再開する。隣にどんな男がいようが、おせち料理は美味しいのだ。
当の秦は、組員にしっかりコーヒーまで淹れてもらい、こちらも美味そうに啜っている。明らかに、和彦が食事を終えるのを待っている様子だ。
最初は気づかないふりをして席を立とうかとも思ったが、和彦と秦はまだ、交わすべき会話を交わしていなかった。
秦のせいで和彦は、不可解な衝動を胸の内に抱えてしまった。これはきっと、和彦の特別な男たちといくら会話を交わし、口づけをして、体を重ねたところで消えはしない。和彦自身、扱いかねている、欲情だ。
この欲情と、早々に折り合いをつけてしまいたかった。理解するのはもちろん、どうやって〈散らす〉べきなのかということも。
和彦が食べ終えると、お茶と一緒に出されたのは、グラスに入ったオレンジジュースだった。こんなときでも忘れないのだなと、密かに苦笑を洩らしてから、一気に飲み干す。
「――先生、よければ、近所を散歩しませんか?」
絶妙のタイミングで秦が切り出し、和彦は頷いた。
「正月に、ヤクザの組長の本宅から、その組長のオンナを連れ出すなんて、度胸があるな」
和彦はコートのポケットに両手を突っ込んで歩きながら、呆れた口調で言う。隣を歩く秦は、様になる仕草で肩をすくめた。
「なんといってもわたしは、組長公認の〈遊び相手〉ですから。先生を散歩に連れ出すのに、度胸なんて必要ありません」
「護衛も断った」
「体を張って、わたしが先生を守りますよ。それに何かあれば、組員の方たちが駆けつけられる距離ですから、安心してください」
和彦は、歩いてきた道を振り返る。秦の言う通り、本宅と、目的地であるという広場までは、わずかな距離だ。散歩と表現するのもはばかられる。
「……別に本気で、自分が誰かに襲われるとは思ってない。本当は、いつも張り付いている護衛の組員も必要ないと思っているぐらいだ」
「それは仕方ないでしょう。なんといっても先生は、長嶺組にとって大切な人だ。それに今は――いろいろあるでしょう?」
和彦は横目で秦をうかがう。口にはしないが、和彦が強い拒絶を示したことを察したらしく、秦はそれ以上、佐伯家のことを匂わせなかった。
「わたしとしても、先生に護衛がついていない状況はありがたいです。先生には、大事なお願いをしてあることですし」
「大事なお願いって……」
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