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第16話
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着替えて少し休みたいと思っていたが、本宅の前を通りかかったとき、それは無理だとすぐに諦めた。大晦日ほどではないが、本宅の前には高級車がずらりと並び、いかつい男たちが辺りを睥睨するように視線を向け、警戒している。
午後から夜にかけて、長嶺組から盃を受けている組が、新年の挨拶のため本宅を訪れるのだという。当然、組長である賢吾は、そのすべてに応対しなければならない。
昔は三が日が明けてから、新年の挨拶を受けていたそうだが、〈働き者〉揃いの総和会のおかげで、慌しい正月につき合う習慣になったのだという。
混乱を避けるため、長嶺組の身内扱いである和彦は裏口に車を回してもらい、そこから家の中に入る。
その足で客間に向かおうとしたが、待ちかねていた組員に呼び止められ、応接間へと案内される。着物姿の賢吾がソファに腰掛けていた。
「ご苦労だったな、先生。楽しい正月だっていうのに」
「……表の光景を見たあとで、あんたのその言葉を聞くと、笑えない冗談としか思えない」
「俺は、人望があるんだぜ。誰も彼も、正月に俺に会いたがる。正月に俺への挨拶を許されるってことは、長嶺組が今年一年、しっかり面倒見てくれる証なんだそうだ」
手招きされた和彦が賢吾の側に歩み寄ると、組員たちの視線を気にかけた様子もなく、腰を抱き寄せられた。
「そう言われるということは、あんたは面倒見のいい組長なんだな」
「なんだ。お年玉代わりに褒めてくれるのか?」
上目遣いに見上げてきた賢吾の意味ありげな表情を見て、和彦の顔は熱くなる。大晦日の夜、〈お年玉〉だと言われて賢吾に何を求められたのか、思い出したのだ。
和彦の動揺する姿を見られて満足したらしく、賢吾は腰から手を離した。
「ちょっと遅くなったが、昼メシを食ってくるといい。大広間は、挨拶に来た連中が集まって飲み食いしている。顔出して、挨拶してくるか?」
本気とも冗談とも取れる賢吾の言葉に、和彦は遠慮なく首を横に振る。
「疲れてるんだ。……新年早々、こんな不景気な顔を人前に晒したくない」
「不景気どころか、疲れているときの先生は、なかなかのもんだぞ。その気がない男でも妙な気分にさせる、性質の悪い色気があるんだ」
「ぼくなら、そんな性質の悪いものに、正月からあたりたくない」
「……うまい切り返しだ」
「鍛えられてるからな」
賢吾なりに、和彦との会話は気分転換だったのだろう。楽しげに喉を鳴らして笑ったあと、軽くあごをしゃくった。
「うちの連中は、ダイニングで交代で昼メシを食ってる。もうほとんど食い終わっただろうが、先生が楽しみにしていたおせちが残ってるはずだ。食ってくればいい。夜から、俺や幹部たちと一緒にまた出かけてもらうが、それまではゆっくりと過ごせ」
わかった、と応じて和彦は応接間を出ていこうとしたが、大事なことを思い出して足を止める。
「予定が狂ったと言ってたが、総和会の会長への挨拶は――……」
こう切り出したとき、自分の声にわずかな期待が込められていることを、和彦はよく自覚していた。賢吾は大仰に片方の眉を動かす。
「俺たちは済ませたが、先生だけ、また日を改めるしかないだろうな。いつになるかはわかんねーが。何しろ、気まぐれなジジイだ。残念だったな、先生。〈楽しみ〉にしていたのに」
「まったくだ」
賢吾の当て擦りを、まじめな顔で和彦は躱した。
総和会会長との顔合わせがキャンセルとなり、ダイニングへと向かう和彦の足取りは、どうしても軽やかなものとなる。何より、ようやくおせち料理が食べられると、楽しみにしていた。朝食では雑煮が振る舞われたが、それもまた美味しかったのだ。
正月らしく、ようやく浮かれ気分に浸った和彦だが、それも、ダイニングに向かうまでの間だった。
何げなくダイニングを覗き、意外な人物の姿があることに目を丸くする。相手もすぐに和彦に気づき、優雅に微笑みかけてきた。
「――お先にいただいています、先生」
そう言って秦が、手にした小皿を軽く掲げて見せてくる。その小皿の上には、和彦が味見した伊達巻がのっていた。
給仕をしている組員に呼ばれ、和彦は渋々、秦の隣の席につく。
「……ここがヤクザの組長の家だってことを、一瞬忘れそうになった。元ホストのイイ男が寛いで、おせち料理をつついているんだからな」
「組長への挨拶を済ませたら、すぐにお暇するつもりだったんですが、せっかくだからおせちを食べていけと言っていただけたので、遠慮なく。それに、食べている間に、先生も戻られるんじゃないかと思ったんです」
「なんだ。ぼくにお年玉でもくれるのか」
和彦の返しに、秦だけでなく、吸い物を出してくれた組員まで噴き出した。
午後から夜にかけて、長嶺組から盃を受けている組が、新年の挨拶のため本宅を訪れるのだという。当然、組長である賢吾は、そのすべてに応対しなければならない。
昔は三が日が明けてから、新年の挨拶を受けていたそうだが、〈働き者〉揃いの総和会のおかげで、慌しい正月につき合う習慣になったのだという。
混乱を避けるため、長嶺組の身内扱いである和彦は裏口に車を回してもらい、そこから家の中に入る。
その足で客間に向かおうとしたが、待ちかねていた組員に呼び止められ、応接間へと案内される。着物姿の賢吾がソファに腰掛けていた。
「ご苦労だったな、先生。楽しい正月だっていうのに」
「……表の光景を見たあとで、あんたのその言葉を聞くと、笑えない冗談としか思えない」
「俺は、人望があるんだぜ。誰も彼も、正月に俺に会いたがる。正月に俺への挨拶を許されるってことは、長嶺組が今年一年、しっかり面倒見てくれる証なんだそうだ」
手招きされた和彦が賢吾の側に歩み寄ると、組員たちの視線を気にかけた様子もなく、腰を抱き寄せられた。
「そう言われるということは、あんたは面倒見のいい組長なんだな」
「なんだ。お年玉代わりに褒めてくれるのか?」
上目遣いに見上げてきた賢吾の意味ありげな表情を見て、和彦の顔は熱くなる。大晦日の夜、〈お年玉〉だと言われて賢吾に何を求められたのか、思い出したのだ。
和彦の動揺する姿を見られて満足したらしく、賢吾は腰から手を離した。
「ちょっと遅くなったが、昼メシを食ってくるといい。大広間は、挨拶に来た連中が集まって飲み食いしている。顔出して、挨拶してくるか?」
本気とも冗談とも取れる賢吾の言葉に、和彦は遠慮なく首を横に振る。
「疲れてるんだ。……新年早々、こんな不景気な顔を人前に晒したくない」
「不景気どころか、疲れているときの先生は、なかなかのもんだぞ。その気がない男でも妙な気分にさせる、性質の悪い色気があるんだ」
「ぼくなら、そんな性質の悪いものに、正月からあたりたくない」
「……うまい切り返しだ」
「鍛えられてるからな」
賢吾なりに、和彦との会話は気分転換だったのだろう。楽しげに喉を鳴らして笑ったあと、軽くあごをしゃくった。
「うちの連中は、ダイニングで交代で昼メシを食ってる。もうほとんど食い終わっただろうが、先生が楽しみにしていたおせちが残ってるはずだ。食ってくればいい。夜から、俺や幹部たちと一緒にまた出かけてもらうが、それまではゆっくりと過ごせ」
わかった、と応じて和彦は応接間を出ていこうとしたが、大事なことを思い出して足を止める。
「予定が狂ったと言ってたが、総和会の会長への挨拶は――……」
こう切り出したとき、自分の声にわずかな期待が込められていることを、和彦はよく自覚していた。賢吾は大仰に片方の眉を動かす。
「俺たちは済ませたが、先生だけ、また日を改めるしかないだろうな。いつになるかはわかんねーが。何しろ、気まぐれなジジイだ。残念だったな、先生。〈楽しみ〉にしていたのに」
「まったくだ」
賢吾の当て擦りを、まじめな顔で和彦は躱した。
総和会会長との顔合わせがキャンセルとなり、ダイニングへと向かう和彦の足取りは、どうしても軽やかなものとなる。何より、ようやくおせち料理が食べられると、楽しみにしていた。朝食では雑煮が振る舞われたが、それもまた美味しかったのだ。
正月らしく、ようやく浮かれ気分に浸った和彦だが、それも、ダイニングに向かうまでの間だった。
何げなくダイニングを覗き、意外な人物の姿があることに目を丸くする。相手もすぐに和彦に気づき、優雅に微笑みかけてきた。
「――お先にいただいています、先生」
そう言って秦が、手にした小皿を軽く掲げて見せてくる。その小皿の上には、和彦が味見した伊達巻がのっていた。
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「……ここがヤクザの組長の家だってことを、一瞬忘れそうになった。元ホストのイイ男が寛いで、おせち料理をつついているんだからな」
「組長への挨拶を済ませたら、すぐにお暇するつもりだったんですが、せっかくだからおせちを食べていけと言っていただけたので、遠慮なく。それに、食べている間に、先生も戻られるんじゃないかと思ったんです」
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