血と束縛と

北川とも

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第16話

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 楽しげに言い切った賢吾にあごを持ち上げられ、唇を吸われる。
 和彦の体には、その長嶺父子に求められ、貪り合った行為の余韻が、疲労感として残っている。なんといっても、昨夜の出来事だ。しかも千尋が眠ったあとは、夜更けまで賢吾と睦み合っていたのだ。今朝は体がだるくてたまらず、入浴するのも一苦労だった。
 体に残る感触すべてが、長嶺父子の情の強さを物語っている。自分の存在が、今はその父子に所有されているのだとも。
 体の奥がズキリと疼き、和彦は小さく身震いする。口腔に賢吾の舌が入り込み、感じやすい粘膜を舐められる心地よさに目を閉じようとしたとき、車内に携帯電話の着信音が鳴り響いた。助手席に座る組員のもので、低い声でぼそぼそと話し始める。
 さすがに興が醒めたのか、賢吾が口づけをやめる。肩にかかった手の力がふっと緩み、急に気恥ずかしさに襲われた和彦は、唇を手の甲で拭いながらドアのほうに逃れる。
 迂闊にウィンドーを下ろすなと言われているため、スモークフィルム越しに外を眺める。その背後で、組員から携帯電話を受け取った賢吾が話している。聞く気はないが、どうしても会話が和彦の耳に入った。
「――新年早々、お盛んだな。まあ、俺も人のことは言えねーんだが」
 どんな会話を交わしているのだと、つい気になって和彦が振り返ると、賢吾と目が合う。ニヤリと笑いかけられた。
「それで、俺に直接頼みたいことってのはなんだ」
 賢吾が話し込んでいる間に、助手席に座っている組員から甘酒を飲みませんかと尋ねられ、和彦は頷く。さほど待つことなく、紙コップに入った甘酒が外から届き、さっそく和彦は口をつけようとしたが、横から伸びた手に阻まれた。
 何事かと隣を見ると、賢吾が電話を切るところだった。
「先生、予定は変更だ」
「……新年早々、ぼくに何をさせる気だ」
「先生の本業」
 一瞬にして状況を理解した和彦は、スッと背筋を伸ばして目を細める。賢吾は口元に笑みを湛えながら、和彦の手から紙コップを取り上げ、美味そうに甘酒を啜った。


 元日から、なんとも気が重くなるような仕事だった。
 和彦の本来の仕事は美容外科医で、患者のコンプレックスを取り除き、幸せになる手助けをするのが仕事だ。普段は、こういった理想や理念を意識することはなく、患者の望みに近づけるよう努めるだけだ。
 しかし長嶺組の専属医となってから、和彦はいくつかの不本意な手術を手がけていた。
 初詣をした神社の駐車場で賢吾と別れ、組員が運転する車で向かったのは、『池田クリニック』だ。さすがに元日だけあってビル全体に人気はなく、こんな日に慌しく動いているのは、後ろ暗いところがあるヤクザと、そのヤクザに手を貸す美容外科医ぐらいかもしれない。
 そんな皮肉っぽいことを考えた和彦が引き合わされたのは、中年の男だった。凡庸な顔立ちながら、一目で筋者とわかる険しさが顔に張り付いている。
 その男が何者なのか和彦は尋ねもしないし、同行している組員たちも話そうとはしない。組絡みの仕事は、これが普通なのだ。
 和彦への依頼は、男の顔を変えてほしいというものだった。それがどういう意味なのか、考えるまでもない。
 顔の骨を削れるほどの時間も人員もないとなると、取るべき手段は限られる。顔に異物を入れて、形を変えるしかないのだ。
 いつだったか千尋に言ったことがあるが、美容外科医としての和彦は、骨を削る技術に自信を持っている反面、安易に異物を入れる手術があまり好きではなかった。これが自分のプライドだと思っていた時点で、驕っていたのだろう。
 今の立場は、そういうプライドを徹底的に砕いてしまい、相手の要望に短時間で応える技術や要領が、否応なく身についてきていた。
 あとで取り出すことを前提に、あごや鼻に異物を入れて、大まかに顔の印象を変える。さすがに瞼にはメスを入れたが、これはあえて、二重の目を重く見せるための処置だ。点滴を含めて三時間ほどの処置だが、男の顔の印象は大きく変わる。
 男は最後まで口を開かなかったが、その代わりに、付き添いの組員から大げさなほどの労いと賞賛の言葉をもらった。だからといって嬉しいわけではないが、長嶺組の専属医として評価されないよりはよほどいい。
 手術室を片付けた和彦がクリニックをあとにしたのは、昼をやや過ぎた頃だった。手術そのものは迅速に行えたということだ。
 本宅へと戻る車の中で和彦は、シートに体を預けながら、慎重に手首を動かす。年明け早々の仕事に、手首だけでなく、指が強張っていた。

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