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第15話
(22)
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どれだけ宴会が盛り上がろうが、組長宅に遅くまで留まるのははばかられるし、何より、年が明ける瞬間は、自宅で、もしくは家族と一緒に迎えたいのかもしれない。
「――この家なら、部屋にいても除夜の鐘は聞こえるはずだ、先生」
引き戸を開ける音に続いて、低く抑えたハスキーボイスが語りかけてくる。ハッとして和彦が視線を向けた先では、コートを腕にかけたダークスーツ姿の三田村が立っていた。
「いつまでもこんな寒いところにいたら、風邪を引く」
三田村に片手を差し出され、自然に笑みがこぼれる。すぐに立ち上がった和彦は、三田村の元に歩み寄った。
「夕飯のあと、姿が見えなくなったから、もう帰ったのかと思った」
「別室で、他の補佐たちと連絡会をやっていた。年末だけは、組長の本宅で酒を飲みながらやるんだ」
「しきたり、か?」
「みたいなものだな」
サンダルを脱いだ和彦は、三田村に手を引かれるまま廊下に上がる。このとき、何かに気づいたのか、三田村にきつく指先を握られた。
「三田村?」
「指が冷たくなってる」
「ああ、これから風呂に入って温まる。それからお酒でも飲みながら、のんびりと除夜の鐘が鳴るのを待つんだ」
優しい目となった三田村が、周囲の様子をうかがってから、そっと和彦の髪に触れてくる。このときジャケットの袖口から、和彦がプレゼントしたカフスボタンがちらりと覗いた。
実は、大広間でみんなで夕食をとったときに気づいていたのだが、三田村との席が離れていたため、確信が持てなかったのだ。こうして改めて見て、やはりプレゼントしてよかったと思う。
すぐに二人は微妙な距離を取り、廊下を歩きながら話す。
「先生、大勢のヤクザに囲まれての晩餐はどうだった? 俺が見た限りでは、堂々としていたから、やっぱり先生は肝が据わっていると感心してたんだが……」
三田村の口ぶりに和彦は、小さく声を洩らして笑う。
「みんな、気をつかってくれた。どうして組長の〈オンナ〉がここに、と思っただろうな。それでも、話しかけてくれたし、酌もしてくれた。疎外感はなかった。……楽しかった。大晦日を大勢の人間で過ごすなんて、初めてだったんだ」
「先生が卑屈になる必要はない。みんなわかっている。この人は、組にとって大事な存在だと」
玄関に行くと、若い組員が直立不動で立っていた。三田村を見るなり、深々と頭を下げる。
「お疲れ様ですっ。タクシーを待たせてあります」
「ああ、ありがとう」
そう応じた三田村の顔は、すでに若頭補佐のものだ。ごっそりと感情をどこかに置き忘れたような無表情になっている。
若い組員の前で、三田村の威厳を損なわせても悪いと思い、和彦は黙ってその場を立ち去ると、その足で着替えを取りに行き、風呂場に向かう。
三田村に話した通り、ゆっくりと湯に浸かって体を温めるつもりだったが、なんとなく気が急いてしまう。大晦日の夜に、こんなふうに時間を使うのがもったいなく思えてきたのだ。
浴衣の上から丹前を着込んで脱衣所を出ると、ちょうど和彦を捜していた組員と出くわす。賢吾からの伝言を聞かされて、自分の気が急いていた理由がわかった気がした。
和彦は、髪を乾かす間もなく、賢吾の部屋に顔を出す。
意外なことに賢吾は、一人で飲んでいた。
「――……大晦日の夜に、組長が手酌で飲んでいる姿を見るなんて、思わなかった」
和彦がそう話しかけると、顔を上げた賢吾がニヤリと笑う。
「そんな俺を放っておけなくて、先生が濡れ髪で駆けつけてくれた」
「部屋に来いと言ったのは、あんただろ」
障子を閉めた和彦は、賢吾の向かいに座ろうとしたが、それは許されなかった。手招きされて、賢吾の隣に座らされる。
このときにはもう、あることを予感した和彦の鼓動は、速くなっていた。風呂上がりのせいばかりでなく、体温も上がりつつある。
「先生も飲むだろ?」
「だったら、もう一つお猪口をもらって――」
「いらねーだろ」
そう言って賢吾が、自分が使っている猪口を差し出してきた。一瞬戸惑いはしたものの、素直に猪口を受け取り、酒を注いでもらう。一息に飲み干すと、すかさずまた注がれた。
「うちの組の年越しそばは美味かったか」
賢吾の言葉に、ちらりと笑みを浮かべて和彦は頷く。
「ああ。おせちも楽しみにしている。朝、伊達巻を味見させてもらったが、あれも美味しかった」
「……うちの連中は、先生に甘いな」
「組長に倣っているんだろ」
和彦は猪口を空にして返す。賢吾は機嫌よさそうに低く笑い声を洩らし、猪口を取り上げて軽く傾けて見せたので、今度は和彦が酒を注いでやる。
「――この家なら、部屋にいても除夜の鐘は聞こえるはずだ、先生」
引き戸を開ける音に続いて、低く抑えたハスキーボイスが語りかけてくる。ハッとして和彦が視線を向けた先では、コートを腕にかけたダークスーツ姿の三田村が立っていた。
「いつまでもこんな寒いところにいたら、風邪を引く」
三田村に片手を差し出され、自然に笑みがこぼれる。すぐに立ち上がった和彦は、三田村の元に歩み寄った。
「夕飯のあと、姿が見えなくなったから、もう帰ったのかと思った」
「別室で、他の補佐たちと連絡会をやっていた。年末だけは、組長の本宅で酒を飲みながらやるんだ」
「しきたり、か?」
「みたいなものだな」
サンダルを脱いだ和彦は、三田村に手を引かれるまま廊下に上がる。このとき、何かに気づいたのか、三田村にきつく指先を握られた。
「三田村?」
「指が冷たくなってる」
「ああ、これから風呂に入って温まる。それからお酒でも飲みながら、のんびりと除夜の鐘が鳴るのを待つんだ」
優しい目となった三田村が、周囲の様子をうかがってから、そっと和彦の髪に触れてくる。このときジャケットの袖口から、和彦がプレゼントしたカフスボタンがちらりと覗いた。
実は、大広間でみんなで夕食をとったときに気づいていたのだが、三田村との席が離れていたため、確信が持てなかったのだ。こうして改めて見て、やはりプレゼントしてよかったと思う。
すぐに二人は微妙な距離を取り、廊下を歩きながら話す。
「先生、大勢のヤクザに囲まれての晩餐はどうだった? 俺が見た限りでは、堂々としていたから、やっぱり先生は肝が据わっていると感心してたんだが……」
三田村の口ぶりに和彦は、小さく声を洩らして笑う。
「みんな、気をつかってくれた。どうして組長の〈オンナ〉がここに、と思っただろうな。それでも、話しかけてくれたし、酌もしてくれた。疎外感はなかった。……楽しかった。大晦日を大勢の人間で過ごすなんて、初めてだったんだ」
「先生が卑屈になる必要はない。みんなわかっている。この人は、組にとって大事な存在だと」
玄関に行くと、若い組員が直立不動で立っていた。三田村を見るなり、深々と頭を下げる。
「お疲れ様ですっ。タクシーを待たせてあります」
「ああ、ありがとう」
そう応じた三田村の顔は、すでに若頭補佐のものだ。ごっそりと感情をどこかに置き忘れたような無表情になっている。
若い組員の前で、三田村の威厳を損なわせても悪いと思い、和彦は黙ってその場を立ち去ると、その足で着替えを取りに行き、風呂場に向かう。
三田村に話した通り、ゆっくりと湯に浸かって体を温めるつもりだったが、なんとなく気が急いてしまう。大晦日の夜に、こんなふうに時間を使うのがもったいなく思えてきたのだ。
浴衣の上から丹前を着込んで脱衣所を出ると、ちょうど和彦を捜していた組員と出くわす。賢吾からの伝言を聞かされて、自分の気が急いていた理由がわかった気がした。
和彦は、髪を乾かす間もなく、賢吾の部屋に顔を出す。
意外なことに賢吾は、一人で飲んでいた。
「――……大晦日の夜に、組長が手酌で飲んでいる姿を見るなんて、思わなかった」
和彦がそう話しかけると、顔を上げた賢吾がニヤリと笑う。
「そんな俺を放っておけなくて、先生が濡れ髪で駆けつけてくれた」
「部屋に来いと言ったのは、あんただろ」
障子を閉めた和彦は、賢吾の向かいに座ろうとしたが、それは許されなかった。手招きされて、賢吾の隣に座らされる。
このときにはもう、あることを予感した和彦の鼓動は、速くなっていた。風呂上がりのせいばかりでなく、体温も上がりつつある。
「先生も飲むだろ?」
「だったら、もう一つお猪口をもらって――」
「いらねーだろ」
そう言って賢吾が、自分が使っている猪口を差し出してきた。一瞬戸惑いはしたものの、素直に猪口を受け取り、酒を注いでもらう。一息に飲み干すと、すかさずまた注がれた。
「うちの組の年越しそばは美味かったか」
賢吾の言葉に、ちらりと笑みを浮かべて和彦は頷く。
「ああ。おせちも楽しみにしている。朝、伊達巻を味見させてもらったが、あれも美味しかった」
「……うちの連中は、先生に甘いな」
「組長に倣っているんだろ」
和彦は猪口を空にして返す。賢吾は機嫌よさそうに低く笑い声を洩らし、猪口を取り上げて軽く傾けて見せたので、今度は和彦が酒を注いでやる。
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