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第15話
(21)
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不遜だ、というのは簡単だが、ヤクザの世界にハッタリは必要だ。それがわかったうえで、男たちはしきたりを守っているのだ。
上座の壁には、三軸の掛け軸が掛けられている。そこに描かれているのが、賢吾の言う神なのだろう。物の良し悪しの判断は和彦にはできないが、掛け軸をかけてあるだけだというのに、大広間の空気がピリッと引き締まって感じる。
「手伝うのはかまわないが……、組員でもないぼくが手を出していいのか?」
「ヤクザの手に比べたら、先生の手なんざ、まっさらの絹布みたいにきれいだろ。うちの組の守り神さんも、先生に手伝ってもらうほうが喜びそうだ。大した仕事じゃない。ただ、運ばれてくる品物を、上座に並べていくだけだ」
そういうことならと、和彦は頷き、賢吾とともに祭壇作りを始める。
神酒に徳利・盃、盛り塩を配していると、見事な大皿が運び込まれてきたが、この皿にはあとで鯛を置くそうだ。
年末の同志会の場合、大広間の飾りつけは仰々しくはあっても派手ではいけない。だが、年が明けると様相は一変する。今度は組員たちとの新年会のために、壁に屏風が並び、新年用の華やかな飾りや献納品が上座を彩る。そんな説明を賢吾から受けている間に、組員たちが大広間に座布団を並べていく。
「昼前には、強面の男たちがぞろぞろやってくるから、そいつらに物珍しさで詮索されたくなかったら、先生は二階に避難しておいていいぞ。俺も打ち合わせや着替えがあるから、相手をしてやれないしな」
「……ぼくは一人遊びもできない子供かっ」
和彦が声を潜めて抗議すると、賢吾は意味ありげにニヤニヤと笑う。これが、寸前までヤクザのしきたりについて語っていた男の顔かと思うほど、見事な変わり様だ。
「夕方まで、ゆっくり過ごせばいい。ただし、外には出るなよ。同志会を警戒して、警官がうじゃうじゃ張り込んでいるからな。本宅の空気もピリピリする。だがそれも、夕方までだ。あとは内輪で大宴会だ。先生ももちろん、参加しろよ。――三田村も顔を出すからな」
反応を見られていると知り、和彦はつい険しい視線を賢吾に向ける。
「ぼくを試すような物言いは、好きじゃない」
「大目に見てくれ。先生と三田村の仲のよさを、妬いてるだけなんだから」
「――……大晦日に、槍でも降らせる気か、あんたは」
似合わないことを言うなと、遠回しに窘める。だが本当は、賢吾の言葉に内心で動揺したことを、誤魔化したにすぎない。
和彦の虚勢など見抜いているのか、賢吾はわずかに目を細めると、もう行っていいと軽く手を振った。助かったとばかりに和彦は、急いで大広間をあとにした。
賢吾の言葉通り、夕方までは二階に上がって過ごす。
これまでの忙しさとは打って変わって、非常に静かな――退屈な時間だ。そもそも、これが本来の過ごし方であり、いままでが異常だったのかもしれない。本宅に泊まり込んで数日経つが、客間で休むとき以外は常に側に人がいた。
ただ、普段であれば和彦にまとわりついてくる千尋は、総和会の行事のために、和彦が本宅にやってきたのと入れ違いで、祖父宅に泊まり込んでいる。さすがに今日は帰ってくるらしいが、何時になるかは不明だ。
一階からときおり聞こえてくる、男たちの野太い声や、拍手の音に、同志会とはどんなものなのか気になりつつも、和彦はあることを考えていた。
兄である英俊の、国政選挙出馬の噂についてだ。事実かどうかは、家族なのだから電話をかけて確認すればいいのだが、ヤクザとはまた違う、一癖も二癖もある佐伯家の人間が素直に話してくれるとも思えない。
自分のことさえ放っておいてくれるなら、英俊が政治家になろうが、官僚として出世しようが、和彦にはどうでもいい。むしろ、こうしてヤクザの組長の〈オンナ〉になった今、放っておいてくれるほうがありがたい。
ひとまず、なんらかの防衛策を取るなら、年が明け、賢吾が佐伯家の情報を集めてくれてからだ。
実家のことを考えるだけで気分が滅入りそうになるが、絶妙のタイミングで組員が和彦を呼びにくる。
みんな揃ったので、晩メシにしましょうと。
なんだか救われた気持ちになり、和彦はいそいそと立ち上がった。
人の熱気にあてられたのか、のぼせているようだった。それに、軽く酔っている。
和彦は火照った頬を軽く擦り、ほっと息を吐く。夜の外気は凍えるほど冷たく、吐き出した息が白く染まる。ただ、澄み切った空気を感じるのは、心地よかった。
中庭に置かれたテーブルに一人ついた和彦は、ゆっくりと周囲を見回す。少し前まで、一階のあちこちから、にぎやかな話し声が聞こえてきて、頻繁に人が出入りしていたのだが、今はもう、落ち着きを取り戻しつつある。
上座の壁には、三軸の掛け軸が掛けられている。そこに描かれているのが、賢吾の言う神なのだろう。物の良し悪しの判断は和彦にはできないが、掛け軸をかけてあるだけだというのに、大広間の空気がピリッと引き締まって感じる。
「手伝うのはかまわないが……、組員でもないぼくが手を出していいのか?」
「ヤクザの手に比べたら、先生の手なんざ、まっさらの絹布みたいにきれいだろ。うちの組の守り神さんも、先生に手伝ってもらうほうが喜びそうだ。大した仕事じゃない。ただ、運ばれてくる品物を、上座に並べていくだけだ」
そういうことならと、和彦は頷き、賢吾とともに祭壇作りを始める。
神酒に徳利・盃、盛り塩を配していると、見事な大皿が運び込まれてきたが、この皿にはあとで鯛を置くそうだ。
年末の同志会の場合、大広間の飾りつけは仰々しくはあっても派手ではいけない。だが、年が明けると様相は一変する。今度は組員たちとの新年会のために、壁に屏風が並び、新年用の華やかな飾りや献納品が上座を彩る。そんな説明を賢吾から受けている間に、組員たちが大広間に座布団を並べていく。
「昼前には、強面の男たちがぞろぞろやってくるから、そいつらに物珍しさで詮索されたくなかったら、先生は二階に避難しておいていいぞ。俺も打ち合わせや着替えがあるから、相手をしてやれないしな」
「……ぼくは一人遊びもできない子供かっ」
和彦が声を潜めて抗議すると、賢吾は意味ありげにニヤニヤと笑う。これが、寸前までヤクザのしきたりについて語っていた男の顔かと思うほど、見事な変わり様だ。
「夕方まで、ゆっくり過ごせばいい。ただし、外には出るなよ。同志会を警戒して、警官がうじゃうじゃ張り込んでいるからな。本宅の空気もピリピリする。だがそれも、夕方までだ。あとは内輪で大宴会だ。先生ももちろん、参加しろよ。――三田村も顔を出すからな」
反応を見られていると知り、和彦はつい険しい視線を賢吾に向ける。
「ぼくを試すような物言いは、好きじゃない」
「大目に見てくれ。先生と三田村の仲のよさを、妬いてるだけなんだから」
「――……大晦日に、槍でも降らせる気か、あんたは」
似合わないことを言うなと、遠回しに窘める。だが本当は、賢吾の言葉に内心で動揺したことを、誤魔化したにすぎない。
和彦の虚勢など見抜いているのか、賢吾はわずかに目を細めると、もう行っていいと軽く手を振った。助かったとばかりに和彦は、急いで大広間をあとにした。
賢吾の言葉通り、夕方までは二階に上がって過ごす。
これまでの忙しさとは打って変わって、非常に静かな――退屈な時間だ。そもそも、これが本来の過ごし方であり、いままでが異常だったのかもしれない。本宅に泊まり込んで数日経つが、客間で休むとき以外は常に側に人がいた。
ただ、普段であれば和彦にまとわりついてくる千尋は、総和会の行事のために、和彦が本宅にやってきたのと入れ違いで、祖父宅に泊まり込んでいる。さすがに今日は帰ってくるらしいが、何時になるかは不明だ。
一階からときおり聞こえてくる、男たちの野太い声や、拍手の音に、同志会とはどんなものなのか気になりつつも、和彦はあることを考えていた。
兄である英俊の、国政選挙出馬の噂についてだ。事実かどうかは、家族なのだから電話をかけて確認すればいいのだが、ヤクザとはまた違う、一癖も二癖もある佐伯家の人間が素直に話してくれるとも思えない。
自分のことさえ放っておいてくれるなら、英俊が政治家になろうが、官僚として出世しようが、和彦にはどうでもいい。むしろ、こうしてヤクザの組長の〈オンナ〉になった今、放っておいてくれるほうがありがたい。
ひとまず、なんらかの防衛策を取るなら、年が明け、賢吾が佐伯家の情報を集めてくれてからだ。
実家のことを考えるだけで気分が滅入りそうになるが、絶妙のタイミングで組員が和彦を呼びにくる。
みんな揃ったので、晩メシにしましょうと。
なんだか救われた気持ちになり、和彦はいそいそと立ち上がった。
人の熱気にあてられたのか、のぼせているようだった。それに、軽く酔っている。
和彦は火照った頬を軽く擦り、ほっと息を吐く。夜の外気は凍えるほど冷たく、吐き出した息が白く染まる。ただ、澄み切った空気を感じるのは、心地よかった。
中庭に置かれたテーブルに一人ついた和彦は、ゆっくりと周囲を見回す。少し前まで、一階のあちこちから、にぎやかな話し声が聞こえてきて、頻繁に人が出入りしていたのだが、今はもう、落ち着きを取り戻しつつある。
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