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第15話
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しおりを挟む実家に住んでいる頃、和彦にとっての年末年始は、とにかく息苦しいものだった。大勢の大人が出入りして、そのたびに和彦と兄は引っ張り出され、堅苦しい挨拶を繰り返していた。
子供心に楽しい思い出はなく、高校生の頃には、予備校の合宿のため、大晦日も正月も実家にはいなかった。
もっとも、その合宿を申し込んだのは、母親だったが――。
和彦が年末年始を楽しむ術を知ったのは、医者になってからだ。一人でふらふらと出歩いたり、そのときつき合っている〈男〉がいれば、ともに旅行に出かけたり。
ただ、誰かの家で過ごすということだけは、なかった。そうやって過ごすのは退屈だと、意識に刷り込まれていたのかもしれない。
ダイニングのテーブルに肘をつき、子供の頃の無味乾燥な思い出に浸りながらも、和彦の視線は忙しくあちこちに動いていた。
そんな和彦の様子が、組員にとってはおもしろいらしい。組員に、笑いながら話しかけられる。
「――先生、さっきからずっと眺めてますけど、楽しいですか?」
目の前にお茶が出され、礼を言った和彦は、湯飲みの縁に指先を這わせる。
「楽しい。大きな図体の男たちが、甲斐甲斐しくキッチンを行き来して、おせち料理を作っているんだ。なんだか、見ているだけでワクワクしてくる」
「うちの組では、おせちは二種類あるんです。料亭に頼む分と、こうして賄い係が総出で作る分が。料亭のおせちは、客人に振る舞うんですが、ここで作ったおせちは、組員たちで食べます。長嶺組のしきたり、というやつです」
「いいんじゃないか。そういうのは……、好きだ」
「今晩の年越しそばも期待してください。今、ダシを取っているところなんです。下手なそば屋より美味いですよ」
楽しみだ、と答えて、和彦は声を洩らして笑ってしまう。
大晦日の朝早くから長嶺の本宅はにぎやかで、客間にいても人の足音や話し声が聞こえてきた。年末の浮き足立つような空気に、和彦のほうもなんとなくソワソワしており、こうして朝からダイニングに居座って作業を眺めていたというわけだ。
ここで朝食も済ませたが、ダシのいい匂いが漂っているおかげで、普段以上に食が進んだ。
ヤクザの組長の本宅で、いつになく充実した年末を過ごすというのも、妙な感じだった。いろいろと仕事を任されて慌しくしているのだが、その忙しさすら、充実感に繋がっている。賢吾の思惑通りに進んでいるようでなんとなく悔しい一方で、この組の一員なのだと、強く実感させられているところだった。
あちこちにドロリとした闇が潜み、いつ深い穴に転がり落ちても不思議ではない物騒な世界だが、人間同士の結束が固く、利害が絡んでいるにしても、和彦を大事に守ってくれるこの場所は、居心地がいい。
いつまでここで過ごせるのだろうか――。ふっとそんなことを考えてしまい、和彦は小さく身震いする。そう考えることが、ひどく不吉であると思ったのだ。
今はただ無邪気に、年越しを控えた熱っぽい高揚感に浸っていたい。
つい難しい顔になってしまいそうになるが、そんな和彦に組員が、作りたての伊達巻を味見させてくれる。
次は栗きんとんを食べてみますかと話しかけられていると、一人の組員がダイニングにやってきた。賢吾が呼んでいると言われ、和彦は席を立つ。
案内されたのは、大広間だった。普段は使われない座敷があるのは知っていたが、足を運ぶのは初めてだ。いくら寛ぐことを許されている和彦とはいえ、長嶺組組長の本宅だ。ヤクザの領域ともいえる場所を歩き回るのは、さすがに気後れするし、やはり組員たちに遠慮もしてしまう。そのため、この本宅での和彦の行動範囲は、案外狭く、限られていた。
障子を開け放っている大広間に足を踏み入れると、新しい畳特有の匂いが鼻先を掠める。広々とした座敷で、壁は白い布で覆われていた。ゆっくりと座敷を見回した和彦が最後に視線を向けたのは、上座だ。
こちらに背を向けて、黒のスラックスにワイシャツ姿の賢吾が立っていた。スッと背筋を伸ばしている後ろ姿は、それだけで圧倒的な存在感を放ち、凄みがある。ワイシャツの下には、禍々しくも艶やかな大蛇が息づいているのだと思うと、和彦は静かに息を呑むしかない。
ふいに賢吾が振り返り、手招きしてくる。和彦は吸い寄せられるように歩み寄った。
「……何か、用か」
「先生に、祭壇作りを手伝ってもらおうと思ってな」
「祭壇?」
「昼から、うちの組の若頭補佐以上の者や、親睦組織の幹部連中が集まって、同志会を行う。まあ簡単に言うなら、今年の総括をやって、来年もよろしく頼むと、俺が挨拶するんだ。そういう儀式のとき、祭壇は必須だ。組長の上にいるのは神だけ――という形式を取るために」
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