301 / 1,267
第15話
(20)
しおりを挟む実家に住んでいる頃、和彦にとっての年末年始は、とにかく息苦しいものだった。大勢の大人が出入りして、そのたびに和彦と兄は引っ張り出され、堅苦しい挨拶を繰り返していた。
子供心に楽しい思い出はなく、高校生の頃には、予備校の合宿のため、大晦日も正月も実家にはいなかった。
もっとも、その合宿を申し込んだのは、母親だったが――。
和彦が年末年始を楽しむ術を知ったのは、医者になってからだ。一人でふらふらと出歩いたり、そのときつき合っている〈男〉がいれば、ともに旅行に出かけたり。
ただ、誰かの家で過ごすということだけは、なかった。そうやって過ごすのは退屈だと、意識に刷り込まれていたのかもしれない。
ダイニングのテーブルに肘をつき、子供の頃の無味乾燥な思い出に浸りながらも、和彦の視線は忙しくあちこちに動いていた。
そんな和彦の様子が、組員にとってはおもしろいらしい。組員に、笑いながら話しかけられる。
「――先生、さっきからずっと眺めてますけど、楽しいですか?」
目の前にお茶が出され、礼を言った和彦は、湯飲みの縁に指先を這わせる。
「楽しい。大きな図体の男たちが、甲斐甲斐しくキッチンを行き来して、おせち料理を作っているんだ。なんだか、見ているだけでワクワクしてくる」
「うちの組では、おせちは二種類あるんです。料亭に頼む分と、こうして賄い係が総出で作る分が。料亭のおせちは、客人に振る舞うんですが、ここで作ったおせちは、組員たちで食べます。長嶺組のしきたり、というやつです」
「いいんじゃないか。そういうのは……、好きだ」
「今晩の年越しそばも期待してください。今、ダシを取っているところなんです。下手なそば屋より美味いですよ」
楽しみだ、と答えて、和彦は声を洩らして笑ってしまう。
大晦日の朝早くから長嶺の本宅はにぎやかで、客間にいても人の足音や話し声が聞こえてきた。年末の浮き足立つような空気に、和彦のほうもなんとなくソワソワしており、こうして朝からダイニングに居座って作業を眺めていたというわけだ。
ここで朝食も済ませたが、ダシのいい匂いが漂っているおかげで、普段以上に食が進んだ。
ヤクザの組長の本宅で、いつになく充実した年末を過ごすというのも、妙な感じだった。いろいろと仕事を任されて慌しくしているのだが、その忙しさすら、充実感に繋がっている。賢吾の思惑通りに進んでいるようでなんとなく悔しい一方で、この組の一員なのだと、強く実感させられているところだった。
あちこちにドロリとした闇が潜み、いつ深い穴に転がり落ちても不思議ではない物騒な世界だが、人間同士の結束が固く、利害が絡んでいるにしても、和彦を大事に守ってくれるこの場所は、居心地がいい。
いつまでここで過ごせるのだろうか――。ふっとそんなことを考えてしまい、和彦は小さく身震いする。そう考えることが、ひどく不吉であると思ったのだ。
今はただ無邪気に、年越しを控えた熱っぽい高揚感に浸っていたい。
つい難しい顔になってしまいそうになるが、そんな和彦に組員が、作りたての伊達巻を味見させてくれる。
次は栗きんとんを食べてみますかと話しかけられていると、一人の組員がダイニングにやってきた。賢吾が呼んでいると言われ、和彦は席を立つ。
案内されたのは、大広間だった。普段は使われない座敷があるのは知っていたが、足を運ぶのは初めてだ。いくら寛ぐことを許されている和彦とはいえ、長嶺組組長の本宅だ。ヤクザの領域ともいえる場所を歩き回るのは、さすがに気後れするし、やはり組員たちに遠慮もしてしまう。そのため、この本宅での和彦の行動範囲は、案外狭く、限られていた。
障子を開け放っている大広間に足を踏み入れると、新しい畳特有の匂いが鼻先を掠める。広々とした座敷で、壁は白い布で覆われていた。ゆっくりと座敷を見回した和彦が最後に視線を向けたのは、上座だ。
こちらに背を向けて、黒のスラックスにワイシャツ姿の賢吾が立っていた。スッと背筋を伸ばしている後ろ姿は、それだけで圧倒的な存在感を放ち、凄みがある。ワイシャツの下には、禍々しくも艶やかな大蛇が息づいているのだと思うと、和彦は静かに息を呑むしかない。
ふいに賢吾が振り返り、手招きしてくる。和彦は吸い寄せられるように歩み寄った。
「……何か、用か」
「先生に、祭壇作りを手伝ってもらおうと思ってな」
「祭壇?」
「昼から、うちの組の若頭補佐以上の者や、親睦組織の幹部連中が集まって、同志会を行う。まあ簡単に言うなら、今年の総括をやって、来年もよろしく頼むと、俺が挨拶するんだ。そういう儀式のとき、祭壇は必須だ。組長の上にいるのは神だけ――という形式を取るために」
35
お気に入りに追加
1,359
あなたにおすすめの小説
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
ヤクザと捨て子
幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子
ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。
ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
公爵家の五男坊はあきらめない
三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。
生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。
冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。
負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。
「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」
都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。
知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。
生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。
あきらめたら待つのは死のみ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる