285 / 1,268
第15話
(4)
しおりを挟む
和彦が中嶋に抱く感情は、これまでになく複雑だ。いままでも、この青年に対してどう接すればいいのか戸惑っている部分はあったが、友情めいた感情もあった。だが今は、そこに生々しい――艶かしい感情も入り混じる。
兄の英俊と出会ったことで精神的に参ってしまい、ようやく立ち直ったところに、今日の内覧会も含めて、クリニック開業の準備に追われていた。和彦に、〈他人の恋路〉について考え込む余裕はなかった。
そう、中嶋は、秦に想われているのだ。それどころか、動物的で直情的な欲情を抱かれている。なのに中嶋は、何も知らない。
さらに事態を複雑にしているのは、和彦は中嶋と、キスしているということだ。
考えれば考えるほど、奇妙な関係だ。秦と中嶋、中嶋と和彦、和彦と秦の関係は。
物思いに耽る和彦に気づいた中嶋が、やけに色っぽい流し目を寄越してきた。
「ドキドキしますね、先生にそんなふうに見つめられると」
我に返った和彦は、慌てて正面を向き、肉まんを食べる。
「……言うことが、〈誰か〉に似てきたんじゃないか」
「誰か?」
「わかっているんだろ。ときどき感じるんだ。君の物言いは、彼に似ている」
ああ、と声を洩らした中嶋は、困ったような顔をする。
「ホスト時代、秦さんの接客の仕方を勉強して、マネしていたんですよ。接客だけじゃない。着るものから、香水まで。そのときの癖が染み付いているんでしょうね。砕けた話し方のときはそうでもないんですが、親しくなりたいと人と話すときはどうしても……、秦さんの影響が出てしまうんでしょう。あの人の柔らかい話し方は、反感を買いにくいですから」
中嶋の話に、今度は和彦のほうが困った顔になる。こういうことをはっきりと聞いてしまうのは抵抗があるが、気になったのだから仕方ない。
「親しくなりたい、って……、本気で言ってるのか? 利用し合いたいと言われたほうが、まだ素直に受け止めやすいんだが……」
「先生も、この世界に染まってきましたね。人の言葉の裏を読みたがるなんて」
「相手によるんだ」
まじめに和彦が応じると、中嶋は楽しそうに声を洩らして笑う。
中嶋のそんな様子を見て、やっと和彦は察した。片付けの手伝いをするつもりが、来るのが遅くなったと中嶋は言っていたが、これはウソだ。本当は、和彦が一人になるタイミングを見計らっていたのだ。
中嶋がそうする理由は、限られている。少なくとも和彦は、一つしか思いつかない。
肉まんを食べ終え、しっかりとお茶も飲んでから、一呼吸置いて切り出した。
「――その後、彼とはどうなんだ」
「秦さんですか?」
「他にないだろ。君がなかなか本題を切り出さないってことは」
「先生はすっかり、俺の恋愛カウンセラーになりましたね」
ピクリと肩を震わせた和彦は、もう一口お茶を飲んでから、しっかりと口を湿らせる。そして、さりげなく指摘した。
「恋愛、か」
「おっと、口が滑りましたね。言葉のアヤなので、あまり突っ込まないでください」
芝居がかった中嶋の口調すら、なんだか健気に思えてくるから困る。言った本人は、平気な顔をしてお茶を飲んでいるというのに。
ただ、それが演技かもしれないと思ってしまうのは、もしかするとヤクザの手口にすっかり引き込まれたせいかもしれない。その証拠に和彦は、中嶋を放っておけない。友情に近い感情ももちろんあるが、それ以上に、奇妙な愛情めいたものを感じるのだ。
普通の青年の顔をして、〈女〉を感じさせるという、厄介な相手にもかかわらず――。
そんな中嶋に対して秦は、倒錯した欲情を抱いている。他人からすれば、お似合いの二人ではないかと思うのだが、ヤクザと、ヤクザの世界に限りなく近い場所にいる男同士、そう簡単ではないようだ。
「……別に、言いたくないなら、それでいいんだ。ぼくだって、他人の事情にズカズカと踏み込むつもりはないし、本来は、君らでケリをつける問題だろうしな」
「ケリなんて、つくんでしょうか……。俺は一人で、気色の悪い道化を演じているんじゃないかって気がしてくるんですよ」
「気色悪いなんて言われたら、ヤクザの組長の〈オンナ〉は立つ瀬がないな」
和彦がちらりと視線を向けると、中嶋はニヤリと笑った。
「気にしないでください。俺は本来、口が悪いんです。――相変わらず、秦さんからは避けられているように感じて、少し荒んでいるんでしょうかね。仕事はきちんとやっているつもりですが、相手が先生だと、どうしても気が緩む」
「愚痴ぐらいなら、聞いてやる。君とは浅からぬ仲だし」
和彦としてはきわどい冗談を言ったつもりだが、わざとなのか、中嶋は真顔で頷いた。
「――少し前まではジム仲間だったのに、今は、キス友達ですね」
兄の英俊と出会ったことで精神的に参ってしまい、ようやく立ち直ったところに、今日の内覧会も含めて、クリニック開業の準備に追われていた。和彦に、〈他人の恋路〉について考え込む余裕はなかった。
そう、中嶋は、秦に想われているのだ。それどころか、動物的で直情的な欲情を抱かれている。なのに中嶋は、何も知らない。
さらに事態を複雑にしているのは、和彦は中嶋と、キスしているということだ。
考えれば考えるほど、奇妙な関係だ。秦と中嶋、中嶋と和彦、和彦と秦の関係は。
物思いに耽る和彦に気づいた中嶋が、やけに色っぽい流し目を寄越してきた。
「ドキドキしますね、先生にそんなふうに見つめられると」
我に返った和彦は、慌てて正面を向き、肉まんを食べる。
「……言うことが、〈誰か〉に似てきたんじゃないか」
「誰か?」
「わかっているんだろ。ときどき感じるんだ。君の物言いは、彼に似ている」
ああ、と声を洩らした中嶋は、困ったような顔をする。
「ホスト時代、秦さんの接客の仕方を勉強して、マネしていたんですよ。接客だけじゃない。着るものから、香水まで。そのときの癖が染み付いているんでしょうね。砕けた話し方のときはそうでもないんですが、親しくなりたいと人と話すときはどうしても……、秦さんの影響が出てしまうんでしょう。あの人の柔らかい話し方は、反感を買いにくいですから」
中嶋の話に、今度は和彦のほうが困った顔になる。こういうことをはっきりと聞いてしまうのは抵抗があるが、気になったのだから仕方ない。
「親しくなりたい、って……、本気で言ってるのか? 利用し合いたいと言われたほうが、まだ素直に受け止めやすいんだが……」
「先生も、この世界に染まってきましたね。人の言葉の裏を読みたがるなんて」
「相手によるんだ」
まじめに和彦が応じると、中嶋は楽しそうに声を洩らして笑う。
中嶋のそんな様子を見て、やっと和彦は察した。片付けの手伝いをするつもりが、来るのが遅くなったと中嶋は言っていたが、これはウソだ。本当は、和彦が一人になるタイミングを見計らっていたのだ。
中嶋がそうする理由は、限られている。少なくとも和彦は、一つしか思いつかない。
肉まんを食べ終え、しっかりとお茶も飲んでから、一呼吸置いて切り出した。
「――その後、彼とはどうなんだ」
「秦さんですか?」
「他にないだろ。君がなかなか本題を切り出さないってことは」
「先生はすっかり、俺の恋愛カウンセラーになりましたね」
ピクリと肩を震わせた和彦は、もう一口お茶を飲んでから、しっかりと口を湿らせる。そして、さりげなく指摘した。
「恋愛、か」
「おっと、口が滑りましたね。言葉のアヤなので、あまり突っ込まないでください」
芝居がかった中嶋の口調すら、なんだか健気に思えてくるから困る。言った本人は、平気な顔をしてお茶を飲んでいるというのに。
ただ、それが演技かもしれないと思ってしまうのは、もしかするとヤクザの手口にすっかり引き込まれたせいかもしれない。その証拠に和彦は、中嶋を放っておけない。友情に近い感情ももちろんあるが、それ以上に、奇妙な愛情めいたものを感じるのだ。
普通の青年の顔をして、〈女〉を感じさせるという、厄介な相手にもかかわらず――。
そんな中嶋に対して秦は、倒錯した欲情を抱いている。他人からすれば、お似合いの二人ではないかと思うのだが、ヤクザと、ヤクザの世界に限りなく近い場所にいる男同士、そう簡単ではないようだ。
「……別に、言いたくないなら、それでいいんだ。ぼくだって、他人の事情にズカズカと踏み込むつもりはないし、本来は、君らでケリをつける問題だろうしな」
「ケリなんて、つくんでしょうか……。俺は一人で、気色の悪い道化を演じているんじゃないかって気がしてくるんですよ」
「気色悪いなんて言われたら、ヤクザの組長の〈オンナ〉は立つ瀬がないな」
和彦がちらりと視線を向けると、中嶋はニヤリと笑った。
「気にしないでください。俺は本来、口が悪いんです。――相変わらず、秦さんからは避けられているように感じて、少し荒んでいるんでしょうかね。仕事はきちんとやっているつもりですが、相手が先生だと、どうしても気が緩む」
「愚痴ぐらいなら、聞いてやる。君とは浅からぬ仲だし」
和彦としてはきわどい冗談を言ったつもりだが、わざとなのか、中嶋は真顔で頷いた。
「――少し前まではジム仲間だったのに、今は、キス友達ですね」
46
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる